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「生前の私はそれはそれは少食でして。二日や三日、時には一週間ほど何も食べずに過ごすこともままありました」

「それは少食とかそういう話なのか?」

「えぇ。母が言っていたのです。あなたは勉強のほうが好きなのだからご飯はいらないよね、と」


 そんなことはどうでも良いのです、とササは目の前にぶら下がっている男に向き直り、さして興味はないが聞くだけは聞いてやるといった口ぶりで質問を投げかけた。


「あなたはどうして多くの人を食べたのですか?」



 話は遡って一時間前。日課である夜間の散策を行っていると、街灯から逆さまに吊り下がっている男に出くわした。

 モリタと名乗ったハングドマンは、人を食べすぎてしまい気分が悪い、吐き出そうとしているのだと聞いてもいないのに語り始めた。


「うえぇ……。最近この辺りで女子供が消えているって噂になっているだろ……。あれ、俺なのよ」

「いや、知らん」


 この町の情報に関しては、ゴミ箱に捨てられていたりベンチに置き忘れられている地方紙で読むくらいであり、今現在何が問題になっているかなどを知ることはたまたま見聞きする以外にはない。


「そ、そうか……。もっと食べないと駄目みたいだな……。それじゃあその子、食べるけど、広めてくれるよな」


 僕の隣を震える指で指し示し、卑屈な笑みを浮かべる男。

 指定された先にいたのはすでにこの世の存在ではない、人に害なす悪霊の少女。

 彼女の姿が見えたということは、それはすなわち、急速かつ急激な人間としての崩壊を意味する。



「何をした?」

「私は特に何も。彼が食したという人たちの中に、もしかしたら彼を食べたいと思っていた人がいたのではないでしょうか」


 冒頭に戻る。

 逆さまになった男は、ササに触れようとしたまさにその瞬間、体内から滲み出るように発生した蜘蛛――いや、蜘蛛の姿を取ってはいるが、僕の知っているそれではない。あの生物がこれほどまでに人間に群がり、肉や臓器、骨までもを貪る姿を見たことはない。


「あなたはどうして多くの人を食べたのですか?」


 再びササが問うが、つい先程まで余裕の表情を浮かべていたモリタからは答えは得られず、何を追っているのか忙しなく動く眼球だけが彼の残り僅かな生を示すだけだった。

 そこから僅かな時間が過ぎ、後には何も残らなかった。



「ミトカワさんは好きな食べ物とかってあるのですか?」

「水」

「……雨、止まないですね」


 ここは閂。年中雨が降り続き、飲み水には困らない町である。[了]

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