25

 気がつくと、目の前が見えなくなっていた。正確とは決して言えないが、僕の体内時計が示すに今現在は昼過ぎだろう。

 昨晩はどこを寝床に選んだのだったか、今日はどの辺りを探してみようか――いや、そんなことはどうでも良いのだ。見えるべきものが見えなくなった。それは僕にとって生きる意味をなくすのに十分過ぎる理由だ。

 付近を手探り刃物を探す。護身用には心もとないほどに錆だらけだが、喉を突くくらいならわけないだろう。尖ってさえいれば人は死ぬことができるのだ。さて、どこにあるだろう。


「おはようございます。ミトカワさん」

「ああ、おはよう」

「何かお探しですか?」

「死のうかと思ってね。目が見えないんだ」

「その必要はないかと思いますよ」


 気配は感じられないが、どうやら僕の眼前にいるらしいササがこれまでの経緯を話してくれた。

 僕が公園のベンチで眠っていると、何やら全身を色鮮やかな防護服で覆った存在――彼女はそれはおそらく人ではないものだと付け加えた――が複数現れたという。彼らは僕を町外れにある廃病院まで運んでいき、眼球を抉り出し立ち去った。そして僕は今もまだ院内に取り残されているらしい。はた迷惑な話である。


「人にあらざるものではなく、もちろん人そのものでもなかったし干渉もできなかったと」

「はい。私には目をくれる様子もありませんでした」


 ササは悪霊である。自らに少しでも近しい存在、例えば悪人であったり負の感情が強い者は彼女の存在を確認することができる。できてしまう。そうなった者に訪れるのは、狂乱による自死行為が大半だ。


「ただ……」

「ただ?」

「……まあ、大丈夫でしょう。死ななくても。というかミトカワさんにそう簡単に死なれてしまうとおそらく私も消えてしまうのでやめてください」


 ふと、扉の軋む音が聞こえた。何者かが入ってきたらしい。

 一瞬にして室内に広がる、鼻の奥にまで潜り込んでくる消毒液のニオイ。どうやらそれは、僕の顔見知りのようだった。


「やあやあミトカワくん。こんなそうそうお目にかかれない目の持ち主はどこの誰かと思ったけれど、やはりというか予想通りというかキミだったね。そうでなければよかったのに。もしくはそのまま死んでくれても良かったのに」

「ヨモツか。どうしてこんなことを?」

「ちょっとした手違いだよ。キミをここまで運んできた彼らは死にながらにして生者以上に働いてくれているんだけども、脳がないから単純でね。あ、脳がないってのはそのままの言葉の意味ね」


 何がおかしいのか声高らかに笑うなんでも屋の女性。笑い事ではない。さっさと僕の目を治してはくれないだろうか。


「あぁ、そうそう、目。目だね。別に見えればなんでもいいとは思うけど、これはキミのための目だ。本当は喉から手が出るほどに欲しいけど返すとするよ。あ! そうだ、喉から手といえばついこの前……あぁはいはい分かったよ。その話はまた後でね。それじゃあミトカワくん。確かキミは痛みを感じないんだったね。麻酔とかそんな無粋なものはナシでいかせてもらうよ」



 世界がこれほどまでに明るいとは――などと思うことはなく、廃病院を後にした僕を出迎えてくれた閂の空はいつもと変わらず雨だった。

 ヨモツはいつの間にか消えており、荒れ果てた正面玄関前ではササが暇そうに指先を弄んでいた。

 謝礼……何に対しての感謝なのかは定かではないが、ヨモツに貰った金もある。今日くらいはどこかまともなところに泊まるとしよう。[了]

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