18

「きみは人殺しだね」


 雨宿りに何気なく立ち入った、理想郷という店名にはそぐわない閑散とした喫茶店。案内されるままに着いた席で生温い水をちびちびと飲んでいると、店主らしき初老の男が気配もなく側に立っており、唐突にササに対して質問した。

 そう、聞き間違いではないらしい。彼が答えを求めているのは僕ではなく、窓から外の様子を眺めているササだ。

 彼女は悪霊である。通常であれば人がその姿を視認することはできない。


「答えてはくれない……いや、聞こえていない。そもそもこの子からは私の姿が見えていないようだ。なるほど、興味深いがそれはそれ。ならばきみに聞こうか」


 背から首筋に、嫌な予感が這い上がる。この男は無視するべきだ。目を落とせ。首を上げるな。

 しかし、気配で分かる。なぜ、他の客が全員こちらを凝視しているのだろう――はて、入店したときにはこんなに客はいただろうか――いや、そもそも彼らは客なのか? 一瞬、横目で様子を窺う。皆一様に無表情で、似たような顔で……ああ、なるほど。理解した。

 全員、この目の前の男と同じ容姿だ。やはりここは、人のいるべき場所ではない。


「この子は人殺しだろう?」

「……」

「分かるんだよ。私もそうだったからね」


 男は――カラスマと名乗った男は、自らが今までに行ってきた殺人のあらましを語り始めた。


「私はとある新興宗教の代表でね。まぁ胡散も胡散、嗅ぐ前に敵視されるような、それはそれは怪しい団体だったよ。だからさ、見りゃあ毒だって分かるんだから、来る方が悪い。でも来ちゃうんだよね。危ない方へ、危ない方へってね」


 気づいた頃には時既にってね、と、カラスマは握った拳を開いておどけてみせた。


「いやしかし、不思議なことはあるものだ。ある日、ツムギという少女に出会ってね。聞いたことくらいはあるんじゃないかな? 我が町出身のアイドル崩れさ」


 記憶にない。人の名前を覚えることは得意ではないのだ。


「その子に頼まれてね。殺してくれって。断ったよ。頼まれると断る性格でね。そしたらこれが笑える話でさ、殺されちゃったんだよね。死因? なんだろうな、息苦しかった気がするけど覚えてないんだ。いやいや、最近の子は怖いよね。……あ! 思い出した! そうだ! この子は確か、両親と三人の姉を――」

「ミトカワさん、大丈夫ですか? そのコップ、苔が生えているようですけど」


 ふ、と目を落とす。ササの言葉が示す通り、プラスチック製のコップの縁には緑が見て取れ、口内には土の香りが広がっていた。何を飲んでいたのかと尋ねると、悪霊は完璧な微笑みを浮かべるだけだった。


「ここは喫茶店じゃなかったか?」

「あぁ、とうとう……」


 辺りを見回す。喫茶店であるのは間違いない。ただし、廃屋である。カラスマと、彼に似た他の客の姿は影も形も見られなかった。


「……どうも寝不足らしい」

「お休みになっては?」

「いや、ここは……ここでは止めておこう」

「何かあるのですか? 何かあったのですか!?」



 出入り口の扉を開ける。錆びついた鈴は役目を果たしていないようだった。


「また会えることを願っているよ。ミ・ト・カ・ワ・くん」


 背後から投げかけられるカラスマの濁声。そして、聞こえるはずのない客たちの談笑。それらは雨の音に紛れ、やがて、聞こえなくなった。[了]

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