11
宿を探してさまよい歩いた末にたどり着いた美術館にて、過去の遺物展なるものが開催されていた。
料金が通常の展覧会に比べて安く、何より空調が効いていて休憩できそうだったので、さして興味をそそられるものではなかったが寄っていくことにした。
「今だけはこの世のものでないことが得に思えますね」
大人一人と霊体一人。後者は入館無料である。
入って早々、館内に設置されたベンチに腰を下ろす。思わず気の抜けた息を吐き出した僕に対してササは呆れたような目つきで刺してきたが、こちらとしては興味の対象は冷房設備だけだ。
見て回りたいのなら勝手にしてくれと手を振ると「趣味のひとつでも持ったほうが幸福指数があがりますよ」と台詞を残して去っていった。
……それにしても、静かだ。どことなく退屈そうな学芸員と思しき数名以外には人の姿は見えず、真っ黒なセーラー服とスカートを着用した青白い顔の霊が一体、満足そうに絵画や壺を眺めているだけだ。
ふと、並べられた展示品の一つに目を惹かれた。
その歪な物体は、遠目から見た限りでは多種の錆びた金属を針金等で張り合わせて作られたおびただしい数の手の集合体のように見えた。
しかし、あれは――
「お客様、お目が高い」
鼻をつく消毒液のニオイと共に現れたのは、数少ない顔見知りであるヨモツだった。
彼女は焼け付く日差しの下でも相変わらず厚手のフィールドパーカーを着用し、口元には笑みを示すマークの描かれたマスクを付けていた。
いつだったか、人間が本来備えている様々な感覚が麻痺しているのだと冗談混じりに話していた覚えがある。恐らく暑さも感じないのだろう。両の手で掴んでしならせている虫取り網の用途は聞かないでおいた。なぜ持ち込めたのか。
「さすがの慧眼だね。君の死後は是非にその二対の目玉を譲ってほしいものだ。言い値で買うよ」
「あの手は何だ。どうしてあんなものが展示されている」
軽口を無視して問うと、うやむやな手だよ、とどこか楽しそうに語り始めた。
「あれはね。気がついたらあるんだ」
そう、気がついたらね――とヨモツは繰り返した。
うやむやな手、とヨモツが呼称したものは人の生活にいつの間にか紛れ込んでおり、偶然であれ必然であれそこに有ると感知したときには消えてなくなるらしく、当然、目にすることなく消失することもあるため非実在とされている物体だそうだ。
さも当然かのように存在しているが、実のところそれは異常である。
どこか、ササが思い浮かぶ。
彼女の姿を探してみると、悪霊はヨモツのすぐ側に立ち何やら身振り手振りで念を送っていた。呪いでもかけているつもりなのだろうか。
「それだけか?」
「そ。ただただ、知らないうちにそこにあるってだけ。誰かに危害を加えるとかは少なくとも今のところは確認されていないようだよ。そういう点ではきみのところのササくんとは大きく違うね。彼女は明らかに理不尽で有害だ」
ササが僕に目配せをしてくる。
この人を殺しても良いですか、と。
別に僕が指示を出しているわけでもないし契約を交わしているわけでもない。好きにすればいい。今までだってそうしてきたし、これからもきっと繰り返す。彼女は生前、自らの幸福のために決して少なくない数の人間を殺した。そんな少女は死してなお、幸せであるために殺し続ける。
「……おや。噂通り手が消えてしまったね。どうにかして手に入れて売買しようとしたけど無駄足に終わってしまった。それじゃあ、バイバイ」
メンテナンスを怠った機械じかけの人形のようなぎこちなさで手を振り、ヨモツが立ち去る。ササのほうにも声を掛けていたように見えたのは偶然だろう。彼女は霊体を認知することはできない……はずだ。
「いいえ、大丈夫です。私は大丈夫ですよミトカワさん。私は大丈夫です。怒ってなどいません。大丈夫です」
「何も言ってないだろ」
「せっかくの気分が台無しです。外は大雨が降り始めたようですがちょうど良いです。ノイズは隙間を埋めてくれます。行きますよ、ミトカワさん」
あまり乗り気にはなれなかったが、閉館間近のアナウンスが流れ始めたこともあり、仕方なしに美術館を後にする。
今夜はどこで野宿しようか。廃墟、公園、はたまたどこかの駐車場。できる限り無法者が集まりそうな場所が良いだろう。そのほうが、ササが満たされるのにはちょうど良い。
僕は彼女に幸福であってほしい。
そのためには多少の犠牲も仕方がない。
そう、仕方がないのだ。[了]
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