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 散歩していると一本の傘が落ちているのを見つけた。ここ数日は曇りが続いていたが雨が降るまでではなかったと記憶している。誰かが落としたのだろうか。傘を? それなら気がつくだろうに。わざと捨てたのだろうか。一年中天気の悪いこの町で?

 不意に、触れてはいけないものだとどこかがざわついた。


「おっ」


 傘に気がつかないふりをして通り過ぎようとしていると、他の色を取り込もうかとするほどに黒いセーラー服とスカートを着用した肌の青白い少女がそれを手に取り広げていた。


 彼女は悪霊である。名前をササという。この世の存在ではない彼女が触れるということは、それはやはり、傘がろくでもない代物だったのだろう。


「そんなものを拾うんじゃない」

「こんなものを捨てるのが悪いのですよ。持ち主に届けてあげなくては」

「……やっぱりその傘、変なのか?」

「変も何もこれ、人体から作られたものですよ」


 彼女が言うには、傘は人間の皮や骨、髪などを利用して作られているらしい。それもまだ新しいものであるとササは付け加えた。直視に耐えなかったのでそのまま持っていてもらおうとしたが、そうそう持てるものでもないしせっかくなのでと押し付けられた。


 悪霊に誘導されるがままに辿り着いた先には『うつろいどころ ヤスハラ』と書かれた表札が玄関の扉に掲げられた一軒家が建っていた。


 こちらを睨み付けている人に害なす異分子の存在以外にはこれといって霊的なものがはっきりと見えるわけではない僕でも分かる。ここは人ではないものの家だ。


「ミトカワさん。あなたがそこから動かないと私はここから先へ進めないのですが」

「傘立てがあるじゃないか。挿しておけばいい。何も住人を呼ぶ必要はない」

「ビビってるんですか?」

「いいだろう。行ってやるよ」


 安い挑発に乗ってしまったのが間違いだった。ブザーを鳴らすと中から出てきたのは何というかよく分からない――妙に凹凸が少なくのっぺりとしていて表情の変化を窺えない――顔をした小太りの男だった。


 彼は傘を見るやいなや顔色一つ変えずにそれを奪い取り、扉を勢い任せに閉めた。ササはいつの間にか消えていた。



「傘は使われてこそ幸福だと思うのです」

「何をした?」


 小一時間ほどが経ち、音もなく目の前に現れたササに問う。出るなら出るでカウントダウンでもしてくれれば内心驚かずに済むのに、と考えたが、口には出さずに留めておくだけにした。


「特に何も。ただ一瞬、私を見てしまったのでしょうね」


 見た者の善悪や常識、感情といった人間を構成する様々な要素を一方的に混沌とさせる少女の姿を直視した不幸な家主――ヤスハラは、傘をその先端から飲み込もうとしているうちに果てたという。


 彼の死後、傘を届けた礼を貰っていないからと家中を物色した悪霊もとい悪党の話を聞けば、ヤスハラは他にも多数の傘を所有しており、そのどれもが制作過程で放置され、中には原型を保っていたものもあったらしい。


「ただですね。どれもこれも持ち手がしっくりこないんですよね。太かったり細すぎたり。ああ、さっきの傘はお子さんだったのですがあの細さはちょうど良かったですね。親子で手を繋いでいる感覚とでもいいますか。作り手の愛を感じられる素晴らしいものでしたよ」

「もういい」

「おや、雨が降ってきましたね」


 空を見上げれば、ぽつりぽつりと点が顔を打った。またしばらく雨模様が続くのだろうか。雨は別に嫌いではないが、しばらく傘は使いたくないと家路を急いだ。〈了〉

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