6.時任杏泉
2101年6月11日午後14時12分 "時任杏泉" -001-
ベランダの椅子に腰かけて、コーラの缶を片手に休んでいると、頭上からジャンボジェットの轟音が振りかかってきた。
僕はすまし顔で、何時もの轟音を聞き流すと…やがて音の主は僕が暮らすビルと向かい側のビルの合間を縫うように降りてくる。
白と緑色の塗装がされた巨大な機体。
最上階に住む僕の視線からは、降りてくる機体の乗客たちの顔が良く見えた。
それはきっと彼らにとっても同じで、何人かが僕をと目を合わせては、ほんの少し驚いたような顔に変わって、視界から消えていく。
丁度このビルを越えてからは、飛行機の高度が下がるのに合わせて、ビルの高さは低くなっている。
僕は飛行機が過ぎ去っていった方向に顔を向けると、4つのエンジンを吊るした巨大な飛行機は、ビルの最上階の高さに左右の翼合わせるように高度を下げて行き…やがて遠くに見える滑走路に着陸していった。
"……昨日……で発見された……全て駆除……これで、5月15日以降に残存している……の数は推定値で5千を割り込みました。城壁政府は…後までに全ての…を駆除出来ると推定値を発表しました。次のニュースです"
飛行機の轟音が去った後、ベランダに置きっぱなしにしていたラジオの音が途切れ途切れに聞こえてくるようになる。
"……これを受け、城壁政府はアジア諸国に置かれた製粉所の増大を発表しました。今回のアジア諸国の調査が終了した結果、本日までにREINCARNATIONの数は全世界で45億人を突破しています。この内25億人が望まぬ進化であったことを理由に【申請】を行っており、見通しでは今後REINCARNATIONの数が増えない限り、半永久的に白銀の粉の供給は供給過多を示すとの見解が示されました。"
僕はラジオから聞こえてくるニュースを聞いて小さく笑うと、とうに空になっていたコーラの缶をテーブルに置き…椅子から立ち上がった。
部屋に戻り、居間のテーブルセットの椅子に掛かっていた上着を羽織る。
ポケットから取り出した疑似煙草を咥えて、火を付けると、僕は部屋を一度見まわしてから部屋を出て行った。
狭い通路を歩き、エレベーターで地上階に降りていく。
部屋のあるビルを出た僕は、人混みの中を歩き出した。
つい2か月前までは"人間"と呼ばれる種族が闊歩していた通り。
今となっては全員がリインカーネーションに置き換わって、人間だった頃と変わり映えの無い生活を送っていた。
今日は平日だけれど、僕にとっては休みの日。
ついさっきまで、特に行く当ても無かったが…久しぶりに持った携帯電話に掛かって来た電話の後で、今日の身の振り先が決まった。
道行く人々の流れに自分の身を入れて、平日の通りを歩いていく。
道を行く人々は皆、銀色の瞳を持ち、誰も彼もが若い人間の見た目を持っていた。
そこには最早、人間と呼ばれた旧世代の生物は存在しない。
僕は1月前の出来事を頭によぎらせながら、人混みの中を進んでいく。
腕時計を見て…まだ電話越しに伝えた時刻までは時間があるのだからと、僕はフラッとカフェに立ち寄った。
何時もの時が流れる中で、僕は滅多に飲まないブレンドコーヒーを頼んで、誰もいないテーブルに着く。
疑似煙草を一本咥えて、コーヒーカップを片手に眺めた城壁の街角の景色は、僕が来てから、様変わりしてしまった現在に至るまで、殆ど何も変わっていなかった。
通りを行くのが、全てリインカーネーションだということ以外は…だが。
退化していくほか無かった人間を一掃して、リインカーネーションの星に変えてしまったことに、つい一月の自分が関わっていたのだと思うと、妙に現実味が無かった。
今、目の当たりにしている光景は、あの日全てを終わらせた結果だ。
僕がただの"市民A"ではなかったのは、つい一月前の話。
その総仕上げで赴いた日本で見たものは、嫌という程雁字搦めになった社会だった。
資本主義な所はそのままで、矛盾した問いを答えられずに…延々と過ごしているような…意味のない生活を送っている生き物が沢山いた。
リインカーネーションの立場から彼らを見てみると、いや、そうじゃない。
ただの外国人として彼らを見てみると、奇妙に感じられるほどに彼らは矛盾を好んでいた。
僕がリインカーネーションになって、あの国を離れる時には既にそうだったことだが…
彼らはリインカーネーションという存在を表面上は嫌っていたのだが、一方でどこか憧れを持っていた。
こうはなりたくないと思っていたのに、何処かではそうなりたいと思っている。
遠い昔は、自分もそんな矛盾を持って生きていた"人間"だったのだが…
僕は、あの日にそんな思いを全て清算してやった。
白銀の粉で覆ってやった。
人間からリインカーネーションになる唯一の方法だ。
一定量以上の白銀の粉を取り込む。
それだけで、人間はリインカーネーションへと進化出来る。
あの国だけは、リインカーネーションの研究が他国よりも2歩も3歩も進んでいたから、国民への監視を強化する名目で、都市をシェルターで覆い…地下に潜るような手段を選んでいた。
人間の眼から見れば、それはリインカーネーション化へ対抗する手段。
見方を変えることさえできれば、政府はしっかりと仕事を果たした事になる。
自分の所の国民は守り通して、ほとぼりが冷めれば"資源"になるリインカーネーションをかき集めてやればいいのだから。
だけど、僕達のような外部の人間から見れば、それはまるでどこぞのディストピア世界観の下で行われる必要以上の監視社会への変化に過ぎなかった。
それを真正面からぶち壊しにしてやった。
あの国が抱えていた"虎の子"の施設を消し去ったあの瞬間は…
振り返った今だから言えることだけれど、僕の人生のハイライトを上げろと言われれば間違いなく1位に選びたくなる瞬間だ。
あの国さえ何とかできてしまえば、後の土地は堂どうということは無い。
差別意識はあれど、元々リインカーネーションが少ない土地だったこともあって、珍しい変化をした人間程度の認識しかされていないのだから。
実際、他の国々はムーン・ボマーに積まれた爆弾だけで事足りた。
全世界を白銀の粉で埋め尽くす。
それだけで、リインカーネーションになる余地のある人間はすぐさま変貌していった。
そうやって強制的に世界を書き換えた瞬間を見届けた僕は、次の日には城壁の1市民に戻る。
これは最初から決めていたことだった。
ここから先のことは、政治屋の仕事。
僕は飽くまでも人間をリインカーネーションに書き換える役目だけを負った存在。
分水嶺は間違えたらダメなのは、今までの経験で嫌という程知っていたから…
「トキトウさん。こんな所出会うなんて、奇遇ですね」
物思いにふけっていた僕の横の椅子に一人の女が腰かける。
疑似煙草を咥えたまま、ふと声の主に目を向けると、金髪の髪が目に入った。
「フラッチェか。君にしては動き出すのが早いんじゃない?まだ約束の時間まで1時間以上はあるよ」
僕はそう言って、とっくに空になっていたコーヒーカップをテーブルに置いた。
彼女はほんの少しだけ苦笑いを浮かべて肩を竦めると、足元を指さす。
彼女の指先を目で追うと、ほんの少しだけ彼女の影が蠢いた。
「ナルホド」
「トキトウさんこそ、忙しいんじゃなかったんですか?最近は」
「僕か?ああ…最近はこの間の墜落事故の件で面倒なことになったくらいさ。お陰様で昨日の仕事が終わったのは今朝の6時」
「ヒュー……私なら辞表出してます」
「慣れたものだよ」
僕はそう言って小さく笑うと、灰の溜まった疑似煙草の灰を灰皿に落とす。
「そっちは?こんなになっても仕事は尽きない?」
「相変わらずですよ。それでも、城壁は相当治安が良い部類だそうですが」
「他は…ホラ、人間だけの社会だったから。それに、最近は衰退してたからね」
「ですが…そんな連中をホイホイ城壁内に連れ込まないで欲しいものです。外国人観光客絡みで結構あるんですよ」
彼女はそう言うと、ひざ元をポンと叩く。
すると、彼女の影と一体になっていた辛木さんが実体を形作って現れた。
「こんにちは」
「やぁ。こんにちは。辛木さん」
無表情のまま現れた彼女は、フランチェスカの向かい側の席に座る。
「時任さんは、結局"委員会"には復帰しなかったんですね」
「ああ。僕の役目はあれで終わったと思ってる。後の人生はオマケだね」
「死ねないのに、随分長いオマケみたいですが…」
「まぁ。また僕が何かやり遂げないとって思うことが出てこない限り、ね」
僕はそう言って短くなった疑似煙草を咥えて、バニラ味を吸い込んだ。
「リインカーネーションに覆われた世界にしてやろうだなんて、最初から考えてなかったよ。ただ、"人間と同じ扱い"がされればよかっただけ。それが無理だとわかったから、なら、全世界の人間をリインカーネーションに変えてやればいいかって」
「……今から振り返っても、単純な動機ですよね」
「単純も単純さ。だけど"人間様"が大多数だとそうじゃなかっただろう?立場がリインカーネーションへと変わった今なら、そう思えるけれども」
僕がそう言うと、辛木さんとフランチェスカの表情がほんの少しだけ真剣な顔になる。
まるで先生の授業を聞いている生徒のような、真面目な顔に。
「単純な事を当たり前にするのに、どれだけ時間がかかったと思う?どれだけ労力を費やした?日本で僕はどれだけ悔しい思いをしたか、意図しない人間を手にかけたか。歴史はそこそこ深いものだよ。だけど、出来てしまえば…こう思う…"ああ、簡単なことだった"って」
僕はそう言いながら、短く使い切った疑似煙草を灰皿に捨てると、さらに続けた。
「結局さ、リインカーネーションになっても社会はあんまり変わらなかっただろ?」
「…まぁ、確かに」
「それどころか、50年前に止まって、100年前まで逆戻りした世界が戻ってきてる。資源さえ安定すれば、あの時最後に公表した"白銀の粉"の精製法さえ行き渡れば…少なくとも50年前には直ぐに戻れた」
「それは驚きましたよ。私が子供の頃は高くて買えなかった小型のタブレット端末なんて、今はそこそこ手が届きますし」
「私は初めてスマートフォンを持ちました。教科書でしか見たことが無かったけど」
「ここからもっと凄くなっていく筈だよ。ホラ…上を飛んで行く飛行機だって、やっとアレを退役させることが出来る」
僕はそう言って、窓から見えた4発機の姿を指さした。
「100年以上前の設計なのにね。車だってそう。僕の車はレプリカだけど、あれも100年以上前の車だよ?昔の道具が嫌いというわけじゃないが、アレが未だ最前線で戦えるっていうのはちょっと違うよね」
「確かに……」
僕の言葉に、フランチェスカは呟くように答える。
それを見て小さく笑みを浮かべた僕は、空になったカップを手に取って立ち上がった。
「さて…と。大分早いけれど、早くて困ることもないだろう。行こうか」
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