2101年4月20日午後17時45分 "牧田仁之" -006-
私は彼女の言葉を聞いて、直ぐに答えが浮かばなかった。
感情も、表情の変化も乏しい彼女はこれまで通りの口調で…そして表情で私の顔をじっと見つめている。
「あー…と?どういうこと?」
思いがけない言葉に怯んだ私は、困惑した顔を浮かべてそう言うしかできない。
だが、その曖昧な返事に対しての返答は、余りにも唐突な返答だった。
「こういうことですよ」
銀色の左目をこれ以上にないくらい輝かせた彼女は、何気ない一言と共に、欠損した左腕の義手を外すと、欠損している腕の先を私に向ける。
彼女の動作の意図が掴めない私だったが、その次の一瞬で全てが変わった。
シャキン!という音と共に、何かが飛び出してきた。
その中からは、明らかに腕の切断面から伸びてきたとしか思えない、日本刀のように鋭く尖った鉄の塊が飛び出してきていて、私の顔の真横に突き刺さった。
その刃は私を傷つけることは無かったが、フカフカだったソファを貫通していて、背後の硬い金属製の仕切りにまで達している。
私は今起きた出来事と、座ったまま、真顔でやり遂げた彼女の顔を見て、混乱していた頭の中をさらに困惑させた。
壁を貫いた時の音以外は無音で…それらが終わった今は静寂の空間だ。
左腕からの斬撃を繰り出した彼女は、怯えるような、困惑するような表情を浮かべて、じっと彼女を見つめていた私に双眼をじっと向け続けている。
特にそれ以上の事はやってこないらしいことを確認できた私は一瞬で行われた脅しのような一撃をようやく冷静に分析するだけの余裕を取り戻していた。
「か、辛木…さん?」
そう言った私に、彼女はゆっくりと、少しだけ首を傾げて見せ…右手の人差し指を顔の前に持ってくると、ゆっくりと顔の前で振って見せた。
「これはほんの一例です」
彼女は変わらぬ様子で淡々と言うと、私の顔の横に突き刺した左腕…いや、左腕から生えた何かを動かした。
銀色に輝く日本刀だったそれは溶けるように小さくなっていって私の顔の横から離れていく。
溶けだしながら小さくなりながら、彼女の元へと吸収されていったそれは、やがて彼女の左腕を形成して、変化を止める。
さっきまで義手を付けていて、不便そうに動かしていた彼女の左腕は、何事もなかったかのように復活を遂げていた。
「訳は後で話します。どうでしょう。付いてきてもらえませんか?」
変わらぬ声色でそう言った彼女に、私は少々恐怖感を感じながら首を縦に振った。
冷徹で…というよりも感情のない機械のような声色に聞こえる。
「ああ。ただ、着替えてからにしよう。浴衣じゃ色々と不便だろう?」
「そうですね。そうしましょうか。じゃぁ…10分後に再びここで…」
彼女はそう言って顔に小さな笑みを浮かべると、ゆっくりとソファから立ち上がる。
私も彼女に遅れて立ち上がったが、彼女は私のことを待っていたようだった。
「脅しみたいになってすいません。誓って牧田さんには危害なんて加えませんから」
彼女は礼儀正しくお辞儀をして謝って見せる。
私は彼女への警戒感こそ薄めることが出来なかったものの、幾分か毒気を抜かれて脱力した。
「あれをやられて冗談に感じない人間は居ないと思うけど…」
「本当、怒っているのだったらすいません。ただ、そうでもしないと意見を通せそうになくて」
彼女はソファに置かれていた左手の義手を右手で持ち上げる。
そして私が彼女の横に並んだ時、彼女はせっかく復活した左腕を体内に取り込むようにして消していき、それによってできた断面に義手を取り付けた。
「そうそう。この体質、使い勝手が良いもので…こんなことも出来ますよ」
廊下を歩いて…私の部屋の前に来た時、立ち止まって鍵を取り出した私の横で彼女が言った。
彼女の方に目を向けると、彼女は右手の人差し指を部屋の鍵穴に向けていた。
私か鍵を取り出しながら、彼女の行動をじっと見ている。
すると彼女は人差し指のみを、先ほどの刀のように変化させて、鍵穴に差し込んでいった。
そして、鍵穴に指を差し込んでいった彼女は、クイっと手首を捻る。
カチャ…っという開錠された音が聞こえた。
「プライバシーもあったものじゃない…」
その様子を見た私は、半ば脱力気味に言う。
彼女は小さく鼻を鳴らすと、鍵穴から人差し指を引き戻す。
引き戻された指先は、私が手にしていた鍵と全く同じ形状をしていた。
「それじゃ、10分後に」
彼女は多くを語らずに…今まであまり変化させていなかった表情に薄っすらと笑みを浮かべると、隣の部屋へと歩いていく。
私はそんな彼女の後ろ姿を見て小さく肩を落とすと、彼女が開錠してくれた扉を開けて自室へと入っていった。
部屋の明かりを付けて、空港のホテルと変わらない間取りの部屋を進んでいく。
寝室の扉を開けてクローゼットを開けると、このホテルに付いて直ぐに届けられた私の普段着と、手荷物類が幾つか掛けられていた。
そのうちの一つを取って、浴衣から着替える。
白のYシャツに袖を通して…グレーのジャケットとパンツを身に着けると、仕事中の私が鏡に浮かび上がった。
左手首に普段つけている時計を付けて…良く磨かれた黒い革靴を履けば着替え完了だ。
鏡の前で何時も朝やっているように、着崩れていないかをチェックして一息つくと、私は再びクローゼットの方に振り向いた。
ここから逃げ出した後の事を考えて…荷造りするために…
出会ってまだ間もない中学生の少女に半ば脅された形で、城壁政府の管理下から逃れようというのだから、それくらいの備えはあって当然のはずだろう。
いや…脅された。というのは私の建前だ。私自身、この状況から逃げ出したかったのは素直に認めよう。
自我を残した"イレギュラー"となった自分への不安だったり、管理元の存在に…何よりもその近くに居る日本の政府組織…何かが起こるなと望む方が無理な状況下で、ただただ待つような真似だけはしたくなかったのだ。
でも、そうできなかったのは単純に、行動を起こす勇気が無かっただけ。
ここに居るべきでは無い…と思っているのにもかかわらず安定を求めた私にとって、危なっかしい橋を渡ることも厭わない彼女の存在は有難いものだった。
流されるがままだったとはいえ、ここから先は、仕事の時以上に真面目にやらないと、自分の身はこの世からアッサリ消え去ることになることは良く分かっている。
行く当てもなければ計画も無いし、頼れる人間もいない。
いや、私のツテを辿れば…アテは無くはないんだが…彼女には何もないのだろう。
きっと彼女に振り回されることが多々あるのだろうが…そこは私がコントロールしてやらないと直ぐに破滅してしまうだろう。
だから私がしっかりしないと、この思い付き半分に近い逃避行はアッサリ破綻するわけだ。
肩さげの大きなビジネスバッグに、3着のスーツと幾らかの下着類を詰め込む。
後は仕事の時に使うノートとペン、再びカートン買いした疑似煙草のカートンボックス…緊急時には私の会社の人間とやり取りが出来るようにと用意していたアマチュア無線を1機詰め込み、鞄を閉じた。
鞄を肩に提げて寝室を後にする。
ホテルのテーブルに備え付けられていたメモ書きシートの一番上に、伝言を少々残して…その横に置いていた疑似煙草の箱をジャケットの内ポケットに入れると、私は誰もいない部屋の中で一人気合を入れた。
「よーし…」
そう呟いて一本だけ取り出していた疑似煙草を咥えると、愛用しているオイルライターで火を付ける。
ブルーベリー風味の紫色の煙を吐き出した私は、最後に忘れ物がないことを確認して部屋を出た。
辛木さんと待ち合わせているエレベーターロビーにまで出ていくと、彼女はまだ来ていない。
時計を見ると、まだ5分少々しか経っていなかった。
私は先ほどまで座っていたソファの元まで行くと、ソファには座らずに窓に寄り掛かって黙々と疑似煙草を吸いながら彼女を待つ。
立って考え事をするときに癖で、右目を瞑って疑似煙草を強く吸い込み…それから疑似煙草を咥えたままふーっと紫色の煙を吐き出した。
そうやってじっと彼女を待ち続けている私の視界…右目を開けてから数秒後に、何かが映り込んだ。
その視界に映るのは、部屋から出てきた辛木さんではない。
視界の右半分を覆いつくしたその光景。
私は疑似煙草を咥えたまま、小さく首を傾げると、恐る恐る左目を瞑った。
すると、左目越しに見えていたホテルのエレベーターホールの光景が消えて、どこか別の建物の中の景色のみが映り込んできた。
だが、音は聞こえず…光景もどこか歪だ。
私が首を振って左右上下を見ようとしても、ピクリとも動きやしない。
そこは、何処かの通路を…天井から見下ろしたような光景だった。
身に覚えは………私は身に起きた状況を整理する間も無く頭をフル回転させて記憶をたどると、ある場所の光景が思い浮かぶ。
それは、このホテルの駐車場から繋がる通路だ。
さっき、元石さんの車に乗ってここへやって来た時に通った場所だ。
私はその事に気づいたものの…それでもその場所の光景が自分の右目に映り込んだ理由にはなっていない…一体何が起きている?
私は左目を開けて…右目を瞑ってその光景を何処かに追いやろうと首を左右に振る。
そうやって再び右目を開けた時、映り込んでいた不可解な光景は見えなくなっていた。
私はつい1分足らずの出来事に困惑し、周囲を見回す。
その直後、扉が開く音がして直ぐに辛木さんがやって来た。
「すいません。ギリギリになってしまいました」
エナメルのボストンバッグを肩に提げた彼女は、セーラー服に身を包み…銀色の瞳は黒いカラーコンタクトで隠されている。
さらに、ブルーライトカットが強めに入った黒縁の眼鏡を掛けて…さっきまでの彼女とは随分とイメージが様変わりしていた。
「あ、ああ。大丈夫。まだ7分。約束通りだから」
そんな彼女を見た私は、先ほどの光景が頭から拭いきれていないために曖昧な返事を返す。
彼女はそんな私を見て、少しだけ首を傾げて私の顔を覗き込んだ。
「何かありましたか?」
「いや、何でもない。ちょっと考え事をしていてね」
私は仕事中のような声色で彼女にそう言って、咥えていた煙草をソファに備え付けられていた灰皿でもみ消した。
「あー…もしかして、ご家族の事でしたか…?聞いてませんでしたが」
「いや、ほんとに些細な事なんだ。それに、私は8年前に離婚して以来独身だよ…娘が5歳になる1人いたけれど、サックリと捨てられた」
私は声色が変わったせいか、少しだけ不思議そうに尋ねてくる彼女にそう言って、小さく口元に笑みを浮かべる。
「それは…すいません…」
「気にしてないよ。原因は私にあったわけじゃないし。で…さっきは聞いていなかったけど、抜け出すといってアテはあるのかな?」
「それは…無いんですが…行きたい場所ならあります」
彼女はそう言うと、体を非常階段の方へと向けて、足を踏み出す。
私もその横に付いて歩き出した。
「行きたい場所?」
「学校です」
「何処の学校?」
「フォルモ・ランパート大学附属 城南地区第13中学校です」
「ああ、13中ね…しかしこことは真逆の方向だ…遠いけれど、そうそう直ぐに見つかることもないとタカを括ってモノレールで行くしかないか…」
「そう考えてました。出てすぐなら、まだ大丈夫だろうって」
「随分と無茶をするように思えるが仕方がないかぁ……」
私がそう言って苦笑いを浮かべると、それを横目に見ていた彼女は小さく首を傾げた。
「さっきまでとは別人みたいですね」
「ああ。ちょっとだけ違う。流されるがままじゃなくって、少しだけ自分の足を動かそうと思ってね」
私は彼女の問いにそう答えると、浮かべた笑みを歪めた。
「私も知りたいことがある。だから辛木さんに抗わなかった…切欠には丁度よかったのさ」
「知りたいこと…一体何を?」
「それは…その時になったら分かる。それよりも…今から城南に行くとして、その中学校に行くのは今日じゃないとダメかな?」
「え?行けるなら今日行こうと思ってましたが…」
「急ぎじゃないなら、逃避行中の身を置ける場所を確保しておかない?中学へは明日の夜、暗くなってからまた動けばいい」
私が提案すると、彼女は私の方に顔を向けたまま、小さく頷いた。
「決まりだね」
「ええ…何か案があるんですか?」
「幾つか……城南は私の庭だから…」
私はそう言って一旦言葉を切ると、少したって口を開いた。
「訳ありは地下に潜るんだ。城南地下街のさらに奥…裏城南と呼ばれる場所にね」
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