2101年4月20日午後17時45分 "牧田仁之" -005-
「大丈夫ですか?」
「ええ…一体何事です?」
私は尋ねてきた女性に問いかける。
スーツ姿の彼女は、私達が来た方向に振り返ると、直ぐにこちらに振り向いて口を開く。
「"イレギュラー"ですよ。ホテルの客が1人変化しまして、次々に他の乗客を飲み込んでいったんです」
「ああ、アレは成れの果て…」
私がそう呟くと、背後からは一斉射撃の凄まじい銃声が聞こえてくる。
私も辛木さんは身を凍らせたが、その銃声は直ぐに消えた。
「大丈夫ですか?」
「まぁ、音に驚いた以外は」
私は身を震わせながら答える。
ついこの前までただの一般人だった人間がこんな環境に慣れているわけもなかった。
横目に辛木さんを見ると、彼女も表情の変化こそ乏しいものの、小刻みに震えている。
「一体これからどうなるんですか?」
「そうですねぇ…このホテルにいる生存者に関しては別のホテルを手配できましたから、順次モノレールなどでお送りします…」
彼女は手に持ったライフル銃に目を下ろすと、近づいてきていた男の方に顔を向けた。
「フランチェスカ、その2人は例の?」
「え?ああ、シャルトラン大尉でしたか…ええ。そうです…大尉はご存じで?」
「まぁな……」
男は私達2人を交互に見ると、小さく鼻を鳴らして彼女の方に顔を向ける。
「この2人は別だったよな?」
「まぁ、そうですね…元石さん来てます?居るなら後を任せたいのですが…」
「え?ああ、元石さんならそこだ」
2人は幾つかの言葉を交わすと、私達と面識のある人物を呼び出す。
2人に声を掛けられた元石さんは私達の姿を見止めると、昼にあった時と同じように人当たりの良さそうな表情を浮かべてこちらに歩いてくる。
「どうも。災難でしたね」
彼は私達にそう言うと、呼び出した2人の方に振り向く。
「あとはやっっておくから、君達は下がって良い」
そう言って2人を離すと、元石さんは小さくため息を一つ付く。
「4月に入ってから10件目です。貴方達2人は例外ですがね」
「そうですか……」
「大使館が忙しくなりますよ…残業続きだっていうのに…」
彼はそう言って苦笑いを浮かべると、手に持っていた拳銃をスーツの懐に仕舞いこんで、代わりに鍵を取り出した。
「場所、変えますね。車で来てるんでお送りします。付いてきてください」
元石さんはそう言うと、くるりと振り返って歩き出す。
私は辛木さんの方に顔を向けて、彼女が歩けそうなことを確認すると、ソファから立ち上がって彼の後を追った。
ガラス張りの1階。
私達が居る場所は、普段ならば空港を扱う人たちで賑わっているはずの場所だ。
壁に掛けられた巨大なフラップ式の掲示板は飛行機の時間を知らせることは無く、全てが"欠航"を示していた。
一般人の様子もなく、航空会社の受付にも人がいない。
その代わり時折軍服に身を包んだ人達とすれ違うので、きっと退避が済んだ後なのだろう。
私は窓の外に映った城壁の中心街の夜景を横目に見ながら、この光景を他人事のように感じていた。
空港の回転扉を抜けて、駐車場へ繋がる階段を降りていく。
私は久しぶりに駐車場へと足を踏み入れた。
日本にいた頃は免許も持っていたが、この島に来てからは車そのものに乗ってない。
この島で車を持てる人はほんの一握りだし、私は特にそう言うものに興味が無いから…
だが、元石さんは興味があったらしい。
空港の駐車場は2階層になっていて…今は一般車両の止まる2階部分。
この下には商用車専用の駐車場があるから、てっきりそっちの方に行くものだと思っていたが…違ったのだ。
彼の後を追いかけて、彼が足を止めた先にある車に目を止めると、角張った2ドアのスポーツカーが目に入った。
てっきり、軍用車両にでも乗せられると思っていた私はほんの少し驚いた顔を浮かべる。
横に居た辛木さんも同じようで、ほんの少しだけ目が見開いていた。
「こういう時に2ドアって不便なんですよね」
彼は薄っすらと笑みを浮かべながら、ツヤのある赤と黒のツートーンに塗られた車のドアを開ける。
運転席のシートを倒すと、彼は私の横に居た辛木さんの方を見た。
「辛木さん、後ろでいいですか?」
「え?あ、はい」
「じゃ、牧田さんは助手席で」
「…お邪魔します…」
私達は少々戸惑いながらも、それぞれスポーツカーの車内に入っていく。
私も助手席のドアを開けて、助手席に収まった。
日本に居た時以来…5年ぶりの車だ。
何故か緊張していたが…シートベルトを締めて、ふーっと一息。
運転席に収まった元石さんは、そんな私の姿を見て小さく吹き出した。
「そんなジェットコースターじゃないんですよ、ただの古い日産車です」
彼はそう言うと、鍵を差し込んでエンジンを掛ける。
低く唸るようなエンジン音と少々雑な振動が伝わって来た。
「いや、5年ぶりなものでしてね。元々乗り物は得意じゃなかったので」
「成る程、なら安全運転で行きましょう…城北にあるホテルの最上階を確保しましたから、そこまで…」
私の言葉を聞いた元石さんはそう言って、シフトレバーを動かしてから車を発進させる。
硬い乗り心地の古い車は駐車場をノロノロと這い出て行き、高速道路へと出て行った。
「正直に言うと、今の対応は後手後手なんですよ」
高速道路に出てすぐ、シフトレバーを操作し終えた元石さんが言った。
少々煩いエンジン音が車内に入り込んでくるために、彼の声色は何時もよりも大きい。
「後手後手…でしょうね。普通だった時は、何でこんなにかかるんだ?って思っていましたが…今になってみると、それも分かるような気がします」
私はそう言って、後部座席の辛木さんの方に気を向ける。
彼女は元石さんの背後でじっと座ったまま、私達の会話に耳を傾けているようだった。
「ただの人間が急に様変わりするんです。仕方がないことだと思うんですがね、ただ…世界で一番進んでいる地域の人間が解決できないとなると、これはちょっと厄介ですよね」
「まぁ、そうでしょうね。リインカーネーションであれだけ騒ぐんなら"イレギュラー"になった自分はどうなるんだろうって、最近よく考えるようになりましたよ」
「どうでしょうねぇ…」
元石さんは苦笑いを浮かべたまま閉口する。
その横顔を見るだけで、これからの私と辛木さんが受ける扱いは何となく想像がついた。
辛木さんは違うが…私はリインカーネーションの人達がどう扱われてきたかをリアルタイムで見てきた人間だから…
私は曖昧な顔を浮かべたまま、元石さんが口を開くのを待っていた。
この時だけ、静寂に包まれた車内。窓の外には夜景が見えたが、それを堪能する気分にはなれなかった。
「化け物に変貌して、人を襲い、挙句の果てに殺されるんです。害獣の如く。その時点で、きっと人間の扱いは受けないでしょう」
「……!」
「ただ…城壁の人間は公表されている情報からこうも思うはずです。"俺もなるかもしれないのかな"って」
元石さんはじっと前を見据えながら口を開く。
「その疑念がある限り、リインカーネーションのように迫害なんてされませんよ。隔離はされてもね」
私と辛木さんは、彼の言葉に何も答えられなかった。
横目に私を見てから、バックミラー越しに辛木さんに目を向けた元石さんは、小さく笑って見せると、小さく息を吐く。
「2年経っているとはいえ、まだ2年です。リインカーネーションなんて50年たっても分からないことだらけですから」
そんな彼の言葉に、視線の淵に見えた辛木さんの頬がピクっと反応する。
それでも、私と彼女は何も言わなかった。
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高速道路を駆け抜けていたのがつい3時間前のこと。
城北にある高級ホテルの最上階の部屋をあてがわれた私と辛木さんは、一旦自室に入って一息を付いていたが…夜が明けるまで自室に居座ることもなく、部屋の外へと出てきていた。
空港のホテルと同系列ということもあり、作りもほとんど変わらない。
自室の風呂に浸かって濃密な1日を過去に追いやった私は、今日2着目になる浴衣に身を包んでソファに踏ん反り返っていた。
ガラス張りの窓からは、大昔の香港映画で見るような密集した街並みが見下ろせる。
何時もなら、昼夜問わず上空を駆け抜ける巨大な旅客機の姿も拝めたことだろうが…今日は飛行機の姿を見ることは無かった。
私は片手に新たな疑似煙草を持ち、ふーっと煙を吹かす。
さっきは1つ空けて横に座っていた辛木さんは、今は横の席に座り、私と同じように疑似煙草を吹かしている。
薄紫色のブルーベリー風味の香りが私達の周囲に漂っていた。
「あの元石という人、きっと悪気は無いんでしょうねぇ」
疑似煙草を吸うだけで、静寂に包まれていた空間を断ち切ったのは辛木さんだった。
「上は国なんだ。彼は彼の立場があるし、難しい問題だね」
私は彼女の言わんとしたいことを頭に思い浮かべながら答える。
「時任さんと知り合いの役人があの態度を取るのはどうかと思いますよ?私達に隠し立てすることってあるんですかね?」
「一杯あるよそんなの。私達が知るべきこともそうじゃないことも、彼らなりの理由があって隠される。元石って人の腹の中は黒そうだけど、知り合って1週間もない私達の手に届く範囲でもないってことさ」
私はそう言うと、疑似煙草を灰皿に置く。
「君はおじいさんの1件があるからそう思うとして、私は何も知らないで生きてきた人間だからそうは思わなかった。立場変われば何もかもが違うんだ」
「……そうですね。確かに、その通りです」
「ま、あの人がワザとらしいってのは共感できそうだ。態度も口調も何もかもね!」
私は暗い顔をしていた彼女にそう言って笑い飛ばして見せる。
彼女も彼については同感だったのか、薄っすらと笑みを浮かべた。
「若く見えるんだけどなぁ…一枚も二枚も彼は上手なんだよね。だけど、どうも胡散臭い」
「癖なんだと思いたいですけどね。苦手なタイプじゃないですけど、ちょっとそう思ってしまいます」
「今頃くしゃみしてそうだ」
私はそう言って笑ったまま、疑似煙草の灰を落として再び口に咥える。
その時何となく周囲を見回したが、このフロアに私達以外の人間は居なさそうだった。
「誰も居ないですか?」
「居ないね」
私は窓の方に向き直って言った。
辛木さんも、それから背後に振り返って、じっくりと周囲を見て回る。
そして、そっと元の向きに向き直り、疑似煙草を咥えた。
静寂が戻ってきて、私は窓に映り込んだ自分の姿越しの夜景をじっと見つめて、ふーっと疑似煙草の煙を吐き出す。
景色が薄紫色の煙に巻かれて、それが夜景の元になっている街のネオンサインの色と混ざり合った。
窓越しに見える夜景の淵、遠くの空に星よりも明るい光が一瞬見える。
その光が点滅している飛行機のライトだと分かったのは、それから少し経ってからだった。
「飛行機…復旧したみたいですね」
辛木さんもそれに気づいたのか、ポツリと言った。
遠くに見えた飛行機は、まるでこのホテルに突っ込んでくるかのような角度で高度を下げてくる。
真正面に見えたその機体は、4つのエンジンが付いている巨大な機体だ。
小高い丘のような山の中腹に建っているこのホテルに突っ込むように降りてきた飛行機は、やがて角度を付けて旋回を始めた。
まるで急旋回を行うような角度を付けた飛行機は高度を下げて行きながら、ビルの密集している城壁の街並みの直ぐ上を飛んで行く。
空港に程近い地区では、アパートのベランダから角度のついた機体に乗っている乗客の表情が良く見えるらしい。
建物に掠めて行きそうな高度で降りていく機体は、やがて遠くに見える空港の滑走路に正対すると、ビル群の奥へと巨体を隠していった。
「遠くから見ると、これほど危ないこともないですよね」
「だよねぇ、ビルの屋上から機体のタイヤを触れそうだ」
遠くに見える空港の明かりを眺めながら、呆然と疑似煙草を咥えていた私達は、ポツリと呟くような口調でそう言うと、ほぼ同時に疑似煙草の煙を吐き出した。
「牧田さん、一つだけ、良いですか?」
暫く静寂が包んでいた空間で、辛木さんは変わらない様子で口を開いた。
私は灰を捨てた疑似煙草を持ったまま彼女の方に顔を向ける。
左目を銀色に輝かせた彼女は、私の方に視線を向けると、ゆっくりと口を開いた。
「ここから、抜け出しませんか?」
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