2101年4月20日午後17時45分 "牧田仁之" -002-
そして、彼女と共に通路に残されて2時間。
窓の外から差し込む光は夕日のオレンジ色にとって代わっていた。
偶に元石さんか、時任さんがやってきて事情を話しては別の扉に入っていく程度で、私達が暇だということに変わりはない。
私はベンチから立ち上がって自販機の前に立ち、2時間前に買ったのと同じ缶コーヒーを1本買い求めた。
自販機から出てきた缶を手に取って、何となく窓際まで行って、目前に広がる滑走路を眺める。
カシュっと音を立ててプルタブを開け、一口目を喉に流し込んだ頃。
ずっと本を読んでいたはずの彼女が私の横にやって来た。
「何か飲む?」
私は2時間前と同じように彼女に話しかける。
彼女は小さく頷いた。
「無糖の紅茶でお願いします」
「分かった」
私は彼女に言われるがまま、背後に自販機まで歩いていって紅茶を買うと、出てきた缶を彼女に手渡した。
「ありがとうございます…」
彼女は丁寧な口調でそう言うと、缶のタブを開けて口を付けた。
何気ない素振りを横目に見ていた私は、ふと半袖のセーラー服に身を包んでいた彼女の腕に目が留まった。
「左手、義手だったんですね」
コーヒーを片手にそう言うと、彼女は特に気にしている素振りもなく頷いた。
気にしていれば半袖など着ないだろうから…と思って言ってみたが、その通りらしい。
「つい2週間前からで、慣れないんです…一応、お医者さんからは指まで動くって言われて付けてもらってるんですが、思い通りに動かなくて」
「やっぱり、機械相手だと若くても慣れるまでに掛かりますよね…」
「牧田さんの杖は何故…?」
彼女は私が片手に付けていた杖に目を落としながら言った。
「前、最近テレビ出てましたよね。夕方のニュースでしたっけ?その時には杖なんて付けてなかったのに」
「ああ…私も同じですよ。つい最近、右腕の肘先からと、左足が無くなりましてね」
「もしかして、1週間前の…?」
「ええ。アレの中心地に居たのが私です。自分の店なのに…」
私はそう言って苦笑いを浮かべると、横に居た彼女の表情はほんの少し驚いた顔のように見えた。
「その時に無くしたってことですよね…」
「不思議と痛みは無かったですが…結局、お客様23人と従業員9人が犠牲に…後で見たニュースではただ"イレギュラー"の仕業として扱われていましたが…」
「……そう、ですか。私も大差ないですよ。」
「大差がない?」
「ええ。2週間前、私も同じようなことをやってますから…」
「そうですか…」
私は彼女になんと返せば良いか分からなくなって、曖昧に返事をしてしまう。
誤魔化すように手に持っていたコーヒー缶に口を付けた。
「そういえば時任さんでしたっけ?あの人、生き返ってたんですね」
「見たいです。リインカーネーションですから…私が起こした事件の時は…別の男と共に駆けつけてくれて、直ぐに私から分裂していった"イレギュラー"を殲滅してくれたそうです」
「ただのテロリストだと思ってました。日本に居た時、あの人の名前が出てくるニュースは悪い話ばかりだったじゃないですか…でも、会ってみれば結構普通の人なんだなって」
「確かに…それでも、会って話してみたら案外普通の人なんだなって思いました…そう言えば、辛木さんは何時この島に?」
「5年前です。あんなシェルターになった場所に嫌気が差して…父がここに転勤願いを出したら受け入れられたので」
「そうですか…やっぱり、ここに居る日本人って皆同じものですよね?元石さんも同じ理由でこっちに来たみたいですよ?」
「ですよね、元々、私の親戚がリインカーネーションだったこともあって、抵抗感は無かったんです」
彼女はそう言って、慣れていない左手に持った紅茶の缶に口を付けた。
私は少々驚いて彼女の方を見る。
彼女の表情は、先ほどから見慣れてきた真顔のままだった。
「親戚に?」
「はい」
「へぇ…私はここに来た時は戦々恐々してたなぁ…」
「リインカーネーションの人が周囲に居なければ、イメージは時任さんですし…仕方がないですよね」
「確かに」
私はそう言って笑い顔を浮かべる。
すると、丁度近くの扉が開いて、噂の対象だった時任さんが出てきたものだから、私達は少々ドキッとして表情を戻した。
「すいません。待たせてしまって…」
「いえ…全然」
何も知らない時任さんは、フランクな姿勢を崩さぬままこちら側にやってきて、私達の横…窓に寄り掛かった。
「申し訳ないですが、"イレギュラー"のこととなると上が煩いんでね…余計な手続きが増えてしまいました。それも終わって、元石が戻ってくればようやく案内出来そうです…」
時任さんはそう言って、いつの間にかスーツの胸ポケットの中に入っていた疑似煙草を一本取り出して咥えていた。
私が何気なしにその仕草を見ていると、彼女は少々ハッとして私の方を見る。
「あ、すいません。吸ってよかったです?」
「いえ、全然大丈夫です…」
時任さんは私の言葉に頷くと、手慣れた動きで火を付ける。
ふーっと息を吐くと、甘いバニラの香りが周囲に漂った。
「一つ、元石が来るまでに聞きたいことがあるのですが」
甘い香りとは裏腹に、少々暗い声が私達2人にかけられる。
私と辛木さんは時任さんの方へと顔を向けた。
「お二人、喘息を患っては居ませんか?」
「え?ああ、遠い昔に、小児喘息だったことはありますが…」
「私も同じです。もう治ってます」
「そう…牧田さんが子供の頃と言ったら…2060年代から70年代?」
「はい…2063年生まれなので、そのあたりです」
「で、辛木さんは2090年代前後か」
「そうですね。今年で15なので」
私達は不思議に思いながらも、彼女の問いに答える。
彼女は小さく数回頷くと、溜息のような長い息を吐き出した。
薄っすら白い煙が吐き出され、さっきよりも数倍甘いバニラの香りが漂ってくる。
「そう…ありがとう」
彼女は少々難しそうな…"良くニュースで見た"顔を浮かべながら言うと、直ぐに表情を消して元のフランクさを取り戻す。
私はそんな彼女の横顔を見ていると、不意に扉が開く音がして、そちらの方に顔を向けた。
出てきたのは、ライフル銃を持っていない元石さんだった。
「終わりっと…何処も手続き仕事は変わらないですよね」
彼は時任さんにそう言うと、私と辛木さんの方に顔を向ける。
「すいません。お待たせしました。これ、部屋の鍵です」
彼はそう言って私達2人に鍵を1つ手渡した。
私の鍵には501、辛木さんには502と書かれたプレートが取り付けられている。
「空港併設のホテルの最上階。一番上のフロアを全面的に"イレギュラー"の人の為に貸切ってたんです。その手続きで色々とね」
彼はサラっととんでもないことを言ってのける。
空港併設のホテル、それも最上階となれば超が付く程に高級な部屋なはずだ。
「とりあえず、部屋まで案内しましょうか」
元石さんがそう言って、私達の先を歩き始める。
時任さんは、まだ長い煙草を名残惜しそうに携帯灰皿に捨てると、直ぐに彼の横に並ぶ。
私達もそんな2人の後ろを付いていった。
夕暮れ時を過ぎて、夜になっている外の景色を横目に見ながら長い通路を歩いていく。
ライトアップされた滑走路と、その奥に見える城壁の夜景がハッキリと見えた。
通路を行き止まりまで歩いていくと、元石さんはエレベーターのスイッチを押す。
これまで、通って来た空港の施設の物にしては、少々装飾が入ったエレベーターは、スイッチに反応すると直ぐに降りてきて扉が開いた。
「ホテルの業務用エレベーターです。これで5階まで行きますね」
エレベーターに入った私達に、元石さんがそう言った。
彼は直ぐに5階のボタンを押して、扉を閉める。
すると、エレベーターは不快な振動も、音もなく昇り始めた。
5階まで直ぐにたどり着き、エレベーターを降りると、高価な素材で彩られたフロアが目に映る。
元石さんの案内を受けて、フロアの廊下を通って部屋の前までやって来た。
「とりあえず、今日はもう私達から依頼することは無いので、お休み頂いて構いません。このフロアに居るのは全員、ホテルの従業員ではないのでサービスは劣るかもしれませんが…そこはご容赦ください。その代わり、何かがあれば直ぐに対処できる者達しかおりません」
元石さんはそう言うと、私と辛木さんの顔を交互に見る。
私達は言葉の意味を理解しているが、曖昧に苦笑いを浮かべて返すしか出来なかった。
「5階から抜け出しさえしなければ、自由に動いてもらって構いません。まぁ、廊下とエレベーターホールに、部屋位しかありませんがね」
「夕食は?」
「ルームサービスの一つにあります。金額はこっち持ちなので気にしないでお好きなのをどうぞ…夕食類に限らず、ルームサービスは私達持ちですから…あ、辛木さんは未成年なのでお酒の類はお出しできませんよ?」
私の問いに、元石さんが答える。
最後、少々茶目っ気を見せて私達の硬くなった表情を幾分か和らげてくれた。
「では…明日は9時ごろに、私達ではないですが、職員の者が伺います。それまでに身なりの支度などは済ませておいてください」
元石さんは私達の反応を見ると、淡々とした口調でそう言って、時任さんと共に去っていった。
私と辛木さんも、直ぐに部屋の鍵を開けて中に入る。
数日前から"イレギュラー"になった人間として隔離され、あちらこちらで検査を受けていた私達としては、1人になれる時間を持つのは久しぶりだった。
どうせここでも何らかの監視を受けているのだろうと思うと、その思いも少々薄れたが…それでも周囲に他人の居ない空間というのはそれまでと違って、少々解放感に浸れる。
ホテルの最上階。
スイートルームを確認して回ると、私は社長という身でも中々味わえない豪華さに目を丸くするばかりだった。
広々としたリビングと、簡単な料理程度なら作れそうなダイニングキッチン。
もう一室用意されていて、そちら側は寝室のようだ。ベッドとクローゼットが目に入る。
置かれた調度品は退化していく世界とは裏腹に、少々前の時代に戻ったように豪華で、テレビやラジオ、オーディオ類など機械類も洗練された物が使われていることが分かる。
トイレやバスは別々で、トイレは広く清潔に磨かれていて、バスルームに至っては広い洗面台がある脱衣所の先に、ジャグジーと檜風呂の2種類の浴槽がある浴室があった。
私はひとしきり部屋に入って見回ったのち、楽な格好に着替えようと寝室の扉を開けて中に入る。
独り占めするには大きすぎるベッドが真っ先に目に入るが、私はその横に付けられた大きなクローゼットの扉を開けた。
クローゼットの扉に備え付けられた鏡が私の姿を映し出し、自分と目を合わせた私は小さくため息を付いた。
もうじき40代に手が届くおじさんと見つめ合っても悲しいだけだ。
私は小皺が少々増えてきた顔を見てため息を付くと、身に着けていたスーツを脱いで、代わりにクローゼットに掛けられていた浴衣に袖を通す。
着ていたものは、ジャケットとパンツ以外をランドリーバッグに詰め込んで部屋の隅に置いておく。
クローゼットをもう一度見まわす。
クローゼットには拘束されて真っ先に体のサイズを図ったおかげか、私のサイズに合った下着類や、Yシャツ、スーツの類が数セット用意されていた。
私はクローゼットを閉めると、急に脱力感に襲われてベッドに飛び込む。
まだ慣れていない義足と義手が軋む音がしたが、痛みは無かった。
ベッドに寝て、天井をボーっと見続ける。
このまま自分はどうなるのだろうか?などという考えは隔離されたその日の内に説明された。
暴れればその瞬間に殺され、そうでなければ一定の制限の下で暮らせる。
それだけだ。
暴れれば…というが、最もその瞬間には私の意識などないのだろうから、自我を失えばその瞬間にこの世ともオサラバというわけだ。
だが、そうじゃなかったら?
この前のような騒ぎを起こさず、このままの状態が続くのだとしたら?
管理する側の人間は制限下での自由を保証するといってくれたが、その制限が解ける日はないのだろうか?
一度"イレギュラー"になってしまえば、この先私が健常者の扱いを受けることはあるのだろうか?
今の私は再び暴れるかもわからない"前科"だけはしっかりついた病人だ。
その"病気"が治ったというのは、誰が判断するのだろう?
"イレギュラー"な私の健康診断結果は、普通の人間と何ら変わらない。
それは2年前から起きていた"イレギュラー"絡みの事件が報道されるたびに見てきたおかげで知っていたし、今回の隔離で検査を受け、結果を見ることができて身を持って知ることができた。
時任さんのような"リインカーネーション"はハッキリと人間との差異が出る。
不老不死、人間からはありとあらゆる面で違うらしい。
だが、私のような"イレギュラー"はそうじゃない。
この不思議な体質を知る手立ては今の技術じゃ無理だというわけだ。
誰がそうなるかも、そうなった後に私のようになっても、何を持って完治と知ればいいのかも分からない。
「……」
私は天井を眺めながら、かれこれ数日は同じことを考えては忘却の彼方に追い出していた。
今までは病室のベッドの上で延々と考えに浸っていたが、今いる場所はホテルのスイートルームだ。
これ以上考えていても暗くなるだけだと思った私は、ベッドから飛び起きて、リビングに戻り、ルームサービスでも頼むことにした。
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