2101年4月20日午後17時45分 "牧田仁之" -003-

リビングに置かれたテーブルの上にポツリと置かれた革張りの分厚いメニュー表を取って、ソファに踏ん反り返りながらそれを開く。

頼むときは座ったまま手が届く電話の受話器を取ればいい。


私はルームサービスの内容をじっと見つめては、ページを捲っていく。

本の分厚さの殆どは、注文することの出来る料理と酒類で占められていた。


私はひとしきりにページを捲り終えると、受話器に手を伸ばす。


「あ、もしもし?夕食の注文いいですか?」


私は繋がった先の女性にそう告げると、彼女は気品のある受け答えをしてくれる。

私は日本食風の洋食を中心としたオードブルと2060年物のワイン…それから、普段吸っている疑似煙草1カートン分を頼んで電話を切った。

この先どうなるかわからないのだから、少しは贅沢をしても文句は言われないだろう。


メニューをテーブルに戻して、備え付けられた大型テレビのスイッチを入れる。

ブラウン管に戻りつつある世の中で、今時珍しいといわれるようになった液晶パネルが用いられたテレビは、家で見るよりもずっと高画質な映像を映し出す。

適当にチャンネルを変えて行き、結局は変わり映えのない夕方の国営放送が流すニュース番組に落ち着いた。


ニュースを見出して5分も経たない内に部屋のチャイムが鳴り響き、夕食が届けられる。

直ぐに鍵を開けると、仕立ての良いスーツに身を包んだ白人と黒人の男女がワゴンに料理を載せて運んできてくれた。

1人で使うには広すぎるテーブルに豪華な料理が並んでいく。

ワゴンに乗せた料理が全てテーブルに置かれ、ワインが部屋に備え付けられていたワインセラーに置かれた。


「ありがとう」


ひとしきり準備が済み、最後に頼んでいた煙草の箱を受け取った後、部屋を出ていく男女を見送りに出た私はお礼を言った。

すると、2人の男女はクルっとこちらに振り向くと、一礼をして見せる。


「牧田様、このサービスとは別件で確認したいことがあるのですが…」

「ん?良いですよ、時間が掛かるような話で無ければ今でも」

「ありがとうございます。牧田様のご自宅の鍵が有れば拝借させて頂きたいのですが…」

「ああ、私の物を取りに行くのに必要ですからねってことですか?」

「はい、そうなります」

「ですよね、ちょっとお待ちを」


私は彼にそういうと、小走りで寝室のクローゼットまで入っていき、掛けていたスーツの上着の内ポケットから自宅の鍵を抜き取った。

直ぐに玄関扉に戻ると、鍵を男の方に手渡す。


「これかな。2階の自室に大きなノートパソコンがあるから、それさえあれば仕事は出来る」

「ありがとうございます。確かにお預かりしますね」

「あ、そうだ。私の会社にここの番号を伝えておいて欲しい。電話が出来てパソコンが使えれば私は仕事が出来るからね」

「かしこまりました…明日の昼までには手配するようにします」


彼は紳士的な態度を崩すことなくそう言うと、女性の方も一緒に深々と頭を下げてから立ち去っていった。


彼らを見送った私は、部屋に戻って料理が並べられたテーブルに付く。

まだ湯気が出るほど暖かい食事を前に、こんな状況でありながらも少々の笑みが零れ落ちた。

この1週間弱、酷い味の病院食を食べることを強いられていた身を考えれば、地獄から天国に来たような気分。

それどころか、仕事に追われていない優雅な夕食時なんて、暫く味わっていないから思いは格別だった。


私はテレビの音量を上げて、そしてテーブルに置かれた箸を手に取る。

ニュースの音声を聞きながら最初の一口目を口に入れた私は、今の状況を忘れるほどに顔を綻ばせた。


「では…最後に何時もの特集をお送りします…」


次々にオードブルの料理を制覇していく私は、目の前の番組の映像を見て現実に引き戻される。

いや、元々これを目当てにしていたのだから良いのだが…ここまで美味しい夕食を取れるとも期待していなかったので、番組をこのままにしていたことに少々後悔してしまった。

私は料理を取って食べるスピードは緩めることなく、テレビに目を向ける。


「先ほどもお伝えした通り、今日再び"イレギュラー"による暴動が発生してしまいました」


何時も見慣れたアナウンサーがそう切り出し、映像は今日起きたと思われる現場の騒然とした状況を映し出す。

私は猶更チャンネルを変えなかった事を後悔したが、直ぐにテレビのテロップに目が留まる。


"リインカーネーションとの違いは何処に?イレギュラーと呼ばれる人間の謎を追う"


ここ2年、たまに見かけるようになったありきたりなテロップだった。

だがそのテロップは、当事者となった私の目を強く引くものとなる。


「当局による捜査が開始されてから2年…未だに"イレギュラー"と呼ばれる存在の解明には至っておらず、必死の捜査が行われる最中で起きた事件…国民の不安は日に日に増していくばかりですが…今日は何時もと視点を変えまして、リインカーネーションとの違いを探るという点から特集を進めて行こうと思います…」


何時ものような、ドキュメンタリーではない。

何時もはただただ、イレギュラーによって引き起こされた悲劇の内容をただただ特集しているだけだったが、今日は極稀に行う"イレギュラー"自体の生態に目を向けた内容らしい。


きっとその裏では私や辛木さんの事例、データが用いられているのだろう。

私は他人事のように思いを巡らせた。


「まず…リインカーネーションについてですが…ねぇ?この島には大勢いらっしゃるので素性を知っている方が殆どでしょう…」


アナウンサーから説明を引き継いだ、ゲストの大学教授が語りだすのを見た私は、相変わらず料理を取っては口に運んでいく。

教授の語っている背景には、リインカーネーションとして有名な人物の映像が映し出されていて、時任さんもしっかりと映っていた。


「特徴は何といっても不老不死で銀色の瞳を持つことですね。また、若い姿でいることが殆どということでしょう。また、睡眠・食事や排泄といった行為も取る必要が無いのです。取っても変わり映えは無いので、習慣として残っているのが殆どですがね…と、まぁこんな感じで、実際、良く知られているリインカーネーションの特徴はこれだけであり、これ以外は人間と何ら大差はありません。それ以上でも、それ以下でも無いのです」


教授は自信ありげな口調で語っている。

その口調の割に、背景の映像は物々しい映像が流れていた。

そのほとんどは、私が幼少の頃に世界各地で沸き起こったリインカーネーションの廃絶運動と、それを受けて決行された殲滅作成により様々な手段で殺されていくリインカーネーション達。

その映像の末期には、時任さんが消滅する切欠になった旅客機の墜落事故の映像が流されていた。


「ですが、ご存じの通りこれまで世界各国でリインカーネーションは排斥され、迫害を受けてきた過去があることを忘れてはならないでしょう。今回は特集的に詳細を割愛しますがね?映像を見れば良く分かることです」


教授が言い終わると、映像は途端に最近の物に切り替わる。

"イレギュラー"が引き起こした事件の映像が流れ出した。


「では"イレギュラー"とはどういうものでしょう?となったときに、彼らはリインカーネーションとは全然違う存在であることが分かります。彼らは不老不死でもなく…」


私はそこまで彼が言ったとき、反射的にチャンネルを変えていた。

映し出されたのは、私が引き起こした、私の店での事件映像だったから…

切り替えたチャンネルは安いバラエティ。

それでも、気分を変えるには十分だ。


それからの私はテレビも付けずにテーブルの上の料理を平らげるのに気が向いた。

何かを振り払うように料理を片付け、美味しさへの満足感と、番組を見た後の何とも言えない違和感を覚えながら、一息を付く。


オードブルや食器類をワゴンに戻した私は、受け取った1カートンの疑似煙草のパッケージを開ける。

1箱を浴衣の袖の下に入れて部屋を出た。


食後にはワインだろうという気分だったが、気分も変わるものだ。

私は必要も無いだろうと思ったが、部屋に鍵を掛けて廊下の外に出て、エレベーターホールの方へと歩いていく。


このフロアのエレベーターホールは無駄と思えるほどに広く、エレベーターが1基しかないにも関わらず、展望台のように滑走路を見下ろせる広場になっていた。

ガラス張りの壁一面の前には、フカフカで、何時までも沈んでいられそうな応接セットが数セット、分厚いカーペットの上に並べられている。


私がエレベーターホールにたどり着くと、美しい夜景が見下ろせる窓の近くに、1人分の人影が見えた。

私は今日知り合ったその人影を見止めると、小さく息を呑んでから声をかける。


「こんばんは」


私は煙草を咥えたまま、彼女から1つ分空いた椅子に腰かける。

そこは大きな窓の真正面にある椅子と備え付けのテーブルセット。

外からは浴衣姿の私が見えるだろうが…仕立ての良い浴衣だからそれも気にならないはずだ。


「こんばんわ、食後ですか?」


反応してくれた彼女は昼とは違い、黒縁の大きな眼鏡を掛けていた。

浴衣の私とは違い、彼女はまだ昼に見た時と同じ私服姿だった。

小説とセットだというイメージがあったのだが、今の彼女は本の類を持っていない。


「まぁね。量はそこそこだけど、美味しかったよ。病院食の後だと猶更だよね」


私は若干先ほどよりもフランクな口調を意識して応える。

テーブルに付けられていた卓上ライターで疑似煙草に火を付けると彼女は一瞬だけこちら側に目を向けた。


「疑似煙草って、吸っている人多いですけど、どんな感じですか?」

「んー、美味しい物は美味しいかな?普通に気分転換になるし、何よりも気分が楽になる」

「…なら、私に1本貰えません?親が煩くて今まで中々吸えなかったんです」


私は彼女の言葉を聞いて、一瞬目を丸くする。

昔の常識が残ったままだと、まだ煙草はハタチになってから…という言葉が頭によぎるが…そう言えばこれは健康嗜好品…年齢は関係が無かった。


「これはブルーベリーフレーバーだけど、良い?」

「お願いします」


私は彼女に確認を取ると、テーブルの上に置いた箱から一本取り出して、身を少々乗り出して彼女に渡した。


「ありがとうございます…」


彼女はそう言って、慣れた手つきで疑似煙草に火を付けると、直ぐに咥えて最初の煙を吐き出した。


「そう言えば最近の流行りだっけ」

「そうなんですよ。学校で皆吸ってるのに…偶に一本貰う程度で…」

「ああ…それは辛いよね。ルームサービスで頼めば良い。味は結構あったから、好きなのをね」

「……そうします…ところで、牧田さんはさっきまで部屋でテレビ見てましたか?」


彼女は気難しそうな表情を張り付けたまま言った。

私の脳裏に先ほどの国営放送の映像が思い浮かぶ。


「見てた。3チャンネル?」

「やっぱり…私、途中で嫌になってここに来たんです。何となく、怖くなって」

「私はチャンネルを変えたけどね。食べてる最中だったし」

「まるで"イレギュラー"のことも"リインカーネーション"のことも分かってない。嫌になってチャンネルを消して、とりあえず夜景でも見て落ち着こうって」


彼女は少々棘のある口調でそう言った。

横目に彼女を見た私は小さく苦笑いを浮かべると、吸いさしの煙草を灰皿に置く。


「まぁ、私どもが見ていても気分のいいものじゃ無いだろうね。"リインカーネーション"の人達も、こんな気分だったのかなって、今になって思ったりしてさ」

「牧田さんは知り合いに居ないんでしたっけ?」

「ああ。辛木さんは居たんだっけ」

「はい。祖父がリインカーネーションです」


彼女はそう言うと、煙草を灰皿に置き…ついでに掛けていた眼鏡も外してテーブルに置いた。

私は何も言わずに彼女の動作を目で追っていたが…やがて彼女の取った行動に私は声を上げることになる。

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