2101年4月13日午前9時24分 "時任夏蓮" -006-
「義手よ。あれ」
私の言葉を聞いても、相棒は何も言わずに双眼鏡を眺め続ける。
「ああ…見えました見えました…随分と良い作りをした義手ですね。というか良く気付きましたね」
「付け根よ。肘のあたり…そこから肌の色が微妙に違うの」
「成る程」
「あれが何時からなのかを調べるべきね…昨日の襲撃者を含めて、私が見たイレギュラーは皆、人間の姿をしているときに何かしらの欠損を抱えているわ」
「…彼女の欠損は違うのでは?」
「どうかな?綺麗な義手…確かに昔からそうなのかもしれないけれど、明らかにあの子は義手に慣れてない。第一、障害があるのならファイルに書かれていていいはずよ」
私は双眼鏡を覗き込んでいる相棒を置いてデスクの所まで戻ってくると、机の上に置かれたファイルを手に取った。
「リインカーネーションの事すら分かっていないというのに…」
私はボソッと呟いて、適当にページを捲っていく。
分厚いファイルには"イレギュラー"と呼ばれる存在になった者たちが引き起こした、過去2年分の事件の概要が数ページ毎に纏められていた。
私が人間だった頃なら手のひらサイズにも満たない電子機器に入ったであろう情報が、質の悪い紙に印刷されている。
あの時から50年も経ったというのに、私達の使える"技術"とやらの退化を実感した。
「……」
サラ読み程度の速度で読み進めていく中で、数名の個人情報を目の当たりにする。
昨日の夕方あたりから"イレギュラー"と遭遇してきたのだが…まだ数名しか目の当たりにしていない私にとって、彼らの情報を知れることは貴重だった。
2年前…彼や相棒が口にする"大災害"とやらが5年前に起きているのだから…それから3年後に出てきた人間でもリインカーネーションでもない存在。
突然変異的に人間から変貌することから"イレギュラー"と呼ばれており…共通するのは自我を失って見境なく人間を襲う……ということらしい。
2年が経過しても"イレギュラー"に関してはこれ以上の情報は存在しないらしかった。
今朝、相棒と会話した内容を思い出しながら資料の文字を読み進めていく。
元人間…元日本人が城壁という小さな密集地で引き起こした事件…
私は何とも言えない違和感を感じながら、資料を読んでいた。
この違和感は…何も今に始まったわけじゃない。
単純に、私が浦島太郎状態になっているだけなのだろうけれど……
私が消滅していた11年の間に何があったか分からないが…
台湾や日本…中国もそうだったが…東アジア人のリインカーネーションへの印象は、極端に悪かったはずだ。
なのに、今や台湾…否、城壁と呼ばれる地域にリインカーネーションが集まって活気づいている…
なのに、この2年間で…パッと見れるだけでも70件以上の"イレギュラー"…つまりは、日本人が引き起こした事件が起きている…
最初に感じた違和感がそれだった。
リインカーネーションである私が、まるで人間に戻ったかのように扱われているこの島に対しての違和感だ。
既にこの島で暮らして1週間とちょっとが経っているから、徐々に慣れてきたのだが…この資料を読み進めていくたびに、その違和感は再び強まっていった。
資料に書かれた加害者になった日本人は老若男女色とりどりの品揃えだった。
彼らに関する調査資料に共通して書かれていたことは1つ。
彼らは皆、程度の差はあれ"喘息"を患っていたこと。
私は"喘息"という文字にピクっと眉を潜めると、ファイルを持ったまま、相棒の元まで歩いていく。
「ちょっといいかしら?」
「はい」
私の言葉に、彼は双眼鏡を覗いたまま反応する。
「今あなたが覗いてる彼女なんだけど、何か病気を持っている兆候は無いかしら?」
「病気…ですか?あー……偶に咳をしてる程度でしょうか。風邪ともとれますが」
「そう…このファイルにある"イレギュラー"の個人情報だけれど、病歴とかは何処から探ったものなの?」
「え?それは…基本、死後の解剖時とか、事件直後の調査の時に提供された医療データからですが…」
「そう。もし、彼女が病院に行くとして、この辺りだとどの病院が当てはまるかしら?」
「待ってください。ちょっと話が見えてこないです」
私の問いに彼は少々戸惑いを見せて言うと、双眼鏡から視線を外した。
私は開いていたファイルを見せると、ある部分を指さして彼の注意を引く。
「"喘息"って言葉に引っかかったの」
「何故です?」
「使われている薬の問題ね。もし、彼らが全員…日本に居る時、ほんの一時だけでもある薬を飲んでいたのなら、それが原因かもしれないってことよ」
「それはいったい…」
「"シルバー・ドール"って呼ばれた薬の話を知らないかしら?」
「…はい、初耳です」
「…私が消滅する数か月前、騒ぎになった薬の名前よ。"喘息"持ちの人間に良く効くって触れ込みで出てきたのは良いんだけれど、副作用が強く出ることを理由に3か月足らずで販売禁止になったわ」
私はそう言って、彼の手に持った双眼鏡を取って彼女の部屋を覗く。
「副作用って何だったんです?」
「著しい脳への損害と、それに伴う暴徒化ね」
私が問いに答えると、ハッと息を呑む音が聞こえてくるようだった。
「考えたくは無いけれど、あの後、あの国が薬の改良を加えていった結果…このような"イレギュラー"を産み出す結果をもたらしたというのなら?」
双眼鏡の奥に映る少女が、数回乾いた咳をする様子を見た私は、覗くのを止めて、ある程度の確信を持って相棒の方に振り向く。
「一つ、調べる価値のあることが出来たようね」
「ええ…探偵の真似事をしなくても済みそうです」
「ま、飽くまでも仮説だけれどね…」
私はそう言ってファイルを彼に手渡すと、デスクの方まで歩いて戻る。
彼も私の後に付いてきた。
「もう一つ、それらしい理由を付けてあげられるけど」
私が思わせぶりに言うと、彼は目線だけで先を促した。
「公表されていないこととして、"シルバー・ドール"の原材料の一部に"白銀の粉"が少し入っていると言えば、それっぽさが増すと思わない?」
「な!……」
私の口から出た言葉がよほど意外だったのか、相棒は今日一番の驚愕を顔に浮かべた。
「さぁどうする?まだ中学生の女の子を覗く?」
私はデスクに腰かけて彼に尋ねる。
彼は直ぐに首を横に振ったが…ほんの少し思案顔になる。
「直ぐにでもそっちの方向から攻めたいのですが…"白銀の粉"絡みになると俺達じゃ手に負えませんからね」
「ふうん?」
「"白銀の粉"って、いうならば今の世界の最も重要な原材料の一つです。原油の代わりですね。それが薬に使われていただなんて事が本当だったなら、それが"イレギュラー"を創り出したのだとしたら、とてもじゃないですが"イレギュラー"の事について全てを公表する事になっている我々じゃどうにも出来ないじゃないですか」
彼はそう言って頭に手を当てる。
そういえば、今朝方にはそんなことも言っていたなと、私は他人事のように思った。
「今こうやって"イレギュラー"化が進む少女を覗いているのに?」
「これも、名前は伏せられますが…調査内容は全てアクセスできる状態になるんです」
「ふむ…?なら秘密事のように動く割に、結局は公開されるわけ?」
「はい…なのに堂々と動けないのは…プライバシーに配慮しているだかで…」
「中途半端な所で障壁があるのね」
「分かってくださいよ…?こればかりは何度言っても上が聞かないんですから」
彼は苦々しい表情でそう言うと、私は笑って頷いた。
「分かった降参。建前の方を取るのは何時だって変わらないわね…でも、これを知ることができれば…何かが変わるかもしれないのに」
「それはそうですが……」
「他の人間に探らせることは出来ないのかしら?」
「無理ですね…"リインカーネーション"案件にもなるわけでしょう?最悪は…その場合、必然的に日本が調査対象に挙がりますが、今の情勢だとそれも厳しいものがあります」
「厳しい?ザルそうなのに」
「5年前の大災害以降、彼らは執拗なまでの監視社会を形成していますから…日本以外で記録された日本の情報以外、日本の過去の情報にアクセスすることが難しいんですよ。国に入り込もうにも、監視の目は外部からの外国人には一層強化されてますから…」
「スパイがそう言うんじゃよっぽどね。そう。私の母国がダメなのなら、別の手を考えましょう…これは課題として残すとして、ね」
私はデスクに腰かけたまま、悩み顔の彼を見上げる。
「ならば、"イレギュラー"絡みの調査ファイルに付いて質問していいかしら?」
「はい」
私は頭の中に浮かんでいた幾つかの案の一つを彼にぶつけてみることにする。
彼はファイルを持った手に視線を落としながら頷いた。
「"イレギュラー"となった日本人を処分したのち解剖してるのよね?」
「そうですね…その時には既に人間の姿では無いですが」
「なら、その死体に"リインカーネーション試験"と呼ばれる検査は行ったのかしら?」
私がそう尋ねると、彼はさらに表情を曇らせた。
"リインカーネーション試験"とは、読んで字のごとく、普通の人間が"人工的に"リインカーネーションに成れるかどうかを検査する適性試験のようなものだ。
話せば長くなるし、説明も難しいのだが…2051年革命直後…まだリインカーネーションに進化の可能性を賭けていた人類が産み出した技術。
人工的に創り出されたリインカーネーションは私のような天然物と違い、不死ではないものの…寿命が尽きるまで殆ど不老に近い状態となる。
私達のような天然のリインカーネーションとは違い、私が消える2090年頃まで一般的に行われていたはずだ。
「やってないはずですよ。5年前に禁止になったんです」
「へぇ?一体どうして?」
「あの試験って"白銀の粉"を大量に使うじゃないですか。5年前の災害以降、供給が一気に減ったのもあって…世界的に"白銀の粉"は石油代替品目にしか使えないようになったんです」
「成る程……」
私は相棒の説明に数度頷く。
消滅して10年の間に、世界も大きく変わってくれたものだ。
私は他人事のようにそう思いながら、顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「そこら辺の調査もしたいのだけれど…身動きが取れない…か。公務員っていうのは何時だって板挟みなのね」
「まぁ…まだ俺達の所は動きやすいですがね…」
彼は苦笑いを浮かべながらそう言ったが、その表情の裏には、彼程度の位だとどうしようもない壁があることも見て取れる。
私はそんな彼をじっと見つめると、小さく息を吐いて手を叩いた。
「なら、ダリオ。私達がここに居る理由も無いわ。戻りましょう…やっぱり現場に出ながら理解していくのは無理があったわね。私のミス…御免なさいね」
私はそう言ってデスクから降りる。
彼は驚いた表情を見せて、私の横にやって来た。
「え?調査は?」
「しなくていいわ。ファイルを見る限り2年間、同じことやって同じ結末を迎えてる。やるだけ無駄よ」
私はそう言って歩き出すと、彼は少々困惑気味の顔を浮かべて付いてくる。
「まだ私も社会復帰して2日目。ただ…私が使える手駒は幾らかあるはずだから、そこを当たってみましょう」
電気を消して、扉を開けて廊下に出る。
「同じことをしていても、出来上がるのは何時だって同じもの。変えるときは勢いよく全てを変えないとね」
私はそう言って、彼に先行して階段を下っていった。
立ち入り禁止の扉を抜けて、普通の居住区まで出てくると、エレベーターホールまで歩いていき、エレベーターを呼びだす。
「それは…俺個人としては賛成ですが…」
「変えられるかは難しい。でしょう?私にちょっとの間任せて欲しいの。伝手はあるかもしれないからね」
エレベーターがやってくるまでに、そんな会話を繰り広げていると、やがてエレベーターのベルの音が鳴り響いた。
「10年以上のブランクはあれど、退化していく世界に追いつくのはそう難しくも無さそうだからね」
エレベーターに乗り込み、1階のボタンを押した私はそう呟くと、彼は小さく笑みを浮かべた。
「"イレギュラー"がこの島の脅威で…それが私の危惧した通りの筋書を経て起きている事だとしたら、そのうち綺麗ごとも言ってられなくなる…その前に何とかしましょうよ」
「ですね……」
「それにしても…今までこんなことに君しか関わっていなかったのが不思議な位だわ。この島って他にも何かが起こってるのかしら?」
エレベーターを下る最中、私はそう呟くように言うと、横に立っていた相棒は何とも言えない気まずい表情を浮かべた。
「起こっているといえば…これはきっと氷山の一角だと思いますよ?」
「それも帰ってから聞こうかな。単純な"害獣駆除"の仕事だと思ってたから…」
私がそう言ったとき、エレベーターは1階に付いたことを示すベルを鳴らした。
扉が開き、密集した街の喧騒が一気に耳の中に入ってくる。
私と相棒は、それ以降は何も言わずに人々の中に紛れ込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます