2.時任夏蓮
2101年4月13日午前9時24分 "時任夏蓮" -001-
彼は3日後から…なんて保険を掛けていたが、手早い仕事ぶりのおかげで、私は昨日からの仕事復帰が出来た。
昨日は数時間だけ…体験入社レベルのことしかやっていないから、今日からが本番だ。
空港にある職員用駐車場に止めた車の中で、私は小さく息を吐く。
彼から1本貰っていた疑似煙草なる嗜好品が短くなり、携帯灰皿に捨てた直後の事だ。
車内には疑似煙草の煙から発していたバニラの甘い香りが微かに漂っている。
腕時計の確認と、空港の関係者用出入り口の回転ドアを眺めること数回。
ようやく、数人の人間に交じって目当ての人物が出てきた事を見止めた。
「おはよう」
私は助手席に乗り込んできた相棒に声をかけた。
「ああ、おはようございます…すいません、資料整理に手間取って…」
「気にしないわ。私達に時間は余るほど残ってるんだから…それに昨日は余り状況を聞けていなかったから、行きがけの車の中で色々と聞かせて頂戴」
この街に再誕してまだ1週間とちょっと。
慣れないことばかりだか、やっていることは以前と何も変わらない。
私は長身の彼が手間取りながら助手席に乗り込む間に、キーシリンダーに指したキーを捻って、眠っていたエンジンに火を入れた。
私達の背後に載せられた大きく重たいエンジンは、アクセルを軽く煽るだけで一気に吹け上がる。
助手席に座った彼は、その轟音が聞こえてくるたびに、ほんの少しだけ顔を顰めた。
昨日もそんな様子だったから、聞いてみたら、どうも彼は乗り物の類が苦手らしい。
酔いはしないが、怖いのだとか。
「さて…まずは何処に行けば良いかしら」
私は少々顔の引きつった彼を横目に見ながら、ギアを1速に入れて車をゆっくりと動かした。
昨日から私に与えられた仕事は"イレギュラー"と呼ばれる突然変異した人間の身辺調査。
昔、人間だったころは国に紛れ込んだ外国人の身辺調査をやってたのもあって、手慣れた仕事内容だった。
「まずは城南に向かいましょう。高速なら、この先の分岐を全て右側に折れいけば、そんなにかかりません」
彼は持っていたビジネスバッグから1冊のファイルを取り出すと、手際よくページを捲っていった。
私はそれを横目に見ながら、車を空港の駐車場の通路から高速道路へと合流させる。
暗いトンネルを抜けると、車内には春の朝の日差しが差し込んできた。
「…っと、眩しいですね。今日も」
私は彼から貰ったサングラスがあるから平気だが、助手席に居た彼は裸眼のままだったからか、少々眩しかったらしく目を細めた。
「悪いことをするには、良い天気とは言えないわ」
「確かに。でも、今の仕事はまだ人の為になる仕事ですよ」
「偽善って突っ込みが必要かしら?」
「これは手厳しい。けど、実際間違えていないんです。俺等の仕事って、まぁ、一般人に言わせておけばスパイも良いところでしょう?実際はもっと地味な事やってたとしても…」
「確かにね。それは嘘でも何でもない」
「基本的に世間には何をやってるかも知られないように動いてる。それがこの仕事だったんですが…"イレギュラー"関連の情報は、定期的に城壁のラジオニュースで流してます」
彼はそういうと、捲っていた手を止める。
私は"城南"と書かれた看板の下に車を移動させて、高速道路の分岐に入っていくところだった。
「昨日は数人の"イレギュラー"を殺すことになったけれど、あれが人間だとは到底思えない。まだ私達の方が人間と言えるわ」
私は昨日の数時間で起きた”イレギュラー”粛清の時を思い出しながら言った。
昨日、復帰した途端に起きた空港での小さな惨事だ。
"イレギュラー"とは何だろう?と思っていたところに起きた彼らの事件。
現場に駆けつけた私が見たのは、人間と呼ぶに呼べない姿に変貌していく人間の姿。
その場に居合わせた彼や相棒…数名の委員会職員と共に"イレギュラー"達を駆逐していったのだが…私が持つ手持ちの9mm弾では彼らに効かず、1人を殺すのにもやや暫くかかった。
「名前の通りの突然変異種ですよ。出てきたのはほんの2年ほど前。城壁以外ではまだ発見されていないみたいですね」
彼はファイルに目を落としながら言った。
「夏蓮さん達、リインカーネーションみたいに元人間であることは間違い無いですが。こちらは普通に死にます。不老不死というわけでもないみたいです。リインカーネーションと違うのは、一度イレギュラー化の兆候が出てしまえば、その後半年以内にはイレギュラーになって自我を失います」
「…にしては、昨日の連中は統率が取れていたように見えるけど」
「あれはまだ症状の軽い方ですからね。それに、あの程度ではまだイレギュラーとは呼べないんです。本来はね」
「あれで症状が軽いとはね、懐に入れた拳銃を狩猟用のリボルバーに変えた方が良いかな」
私は彼の言葉を聞いて、冗談半分に言って口元を笑わせた。
「段階があって、レベル1は初期の兆候が現れた段階。レベル2は身体に変化が起き出して自我も薄れた段階…昨日のはレベル2です。で、レベル3で変異を終えて、自我も全て失った化け物になり果てます」
「随分とざっくりした分け方だね」
「2年前から確認されているとはいえ、この島の中だけの事ですから。個体数も少ないですし…出てきたら即刻殺処分される上に、死体からも何も得られていなくて…」
「成る程。なら、私達の仕事は…昨日みたいなドンパチじゃなくって…"イレギュラー"の身辺調査というくらいだから…レベル1に当たる人間を監視するってことだね?」
「はい。最初の1人目はマキタトシユキという日本人男性です」
私の問いに、彼は肯定して言った。
日本人…という言葉に少しだけ眉を潜める。
高速道路上を走らせて、たった今潜り抜けた看板には、城南地区まで残り10kmの表示が見えていた。
「日本人…日本人、ねぇ」
私は彼の言葉の中で引っかかった単語を繰り返す。
「一つ質問。"イレギュラー"とやらは、どんな人種でもなるものなのかしら?」
「いえ。今のところ…確認されたのは日本人だけですね。そのおかげで、日本からの移住者はリインカーネーションを除いて1年前に禁止してるんです」
私は彼から得られた答えを聞いて、少しだけ顔を顰める。
「渡航者は?」
「それは…流石に近隣国ですから、断るわけにもいかず…ただ、1週間以上の滞在は禁止してます。そういえば、カレンはニュースを見ていないんですね」
「まぁ…ドタバタしてて見れてないわね」
「そのおかげで、日本とちょっと関係が悪いんですよ。"イレギュラー"化をするのは日本人だけなのは事実だけど、何らかの感染症と決まったわけでもないのに処置が過激すぎるって」
「ま、良くある国内向けのポーズね。放っておけば不安を煽る事になって、そのうち向こうの対応が後手に回るさ」
私はそう言って口元を歪ませる。
横に座っている彼も、私の言葉を聞いて鼻を鳴らした。
「とりあえず。大体の事は分かったわ。ありがとう。あとは、現実が教えてくれる」
私はそう言って、5速に入っていたギアを1つ、また1つ落とした。
「ここから、城南まで、道はずっと真っ直ぐかしら?」
私は会話を切って彼に尋ねる。
背後からは、少々ハイトーンに変わったエンジンの咆哮が入り込んできていた。
彼はファイルに落としていた視線をこちらに向けると、少々引きつった顔で頷く。
「なら、少しだけ飛ばしていこう…」
私はそう呟くと、即座にアクセルを奥まで踏み込む。
目の前に広がったのは、城壁と呼ばれる島の海沿いを真っ直ぐ下ってゆく長い直線道路。
左手には、分厚いコンクリートで覆い隠された島の外壁。
右手には10階建て程度のビルが乱立する城壁の街並みが、少々見下ろせるほどの視線で眺めることができた。
「良い光景ね」
そう言って、レッドゾーンに差し掛かったタコメーターを見た私は、クラッチを蹴飛ばしてギアを4速に叩きいれる。
カチ!っという金属音と共に、シフトレバーが4速の位置に収まると、一瞬加速を止めていた車は再び加速し、私達の身体をシートの奥に抑えつける。
目指すのは、長い長い直線道路の先端。
10階建てのビルよりも高い位置にあった高架から下って行き、城壁のコンクリートとビル群に包まれたように見える場所だった。
目測で大体2キロ。
それまでは、ずっと真っ直ぐ下っていくジェットコースターだ。
私はギアを5速に入れて、さらにアクセルを踏み込んでいく。
横目に見ると、相棒は目を点にしていた。
顔が引きつっていて、若干青ざめているようにも見える。
スピードメーターの針は、もうじき300の大台に届こうかというところだった。
450馬力弱のパワーでも1トンちょっとの車体を下り坂で走らせれば、十分に届く速度だ。
やがて、私は下り坂の終わりを意識し始める。
ブレーキに足を置いて、回転数が下がるとともにギアを1つ下げて行き、速度を殺していった。
「ふー……」
メーター読み327キロから、じわじわと減速していって、今はもうその半分以下。
丁度真横に見えた看板は、城南地区にある駐車場への分岐を示す看板だった。
「子供の頃に遊園地ってなかったのかしら?」
「ありましたよ…ジェットコースターもね。でも、昔から乗り物の類は怖くてダメなんです」
「そう。なら、徐々に慣れて行かないとね」
分岐を曲がり、更に速度を落としていった私は、彼にそう言って口元を笑わせる。
「徐々に……?」
彼は力の抜けた声でそう呟くと、横目にはほんの少し項垂れたように見えた。
・
・
城南地区に建つタワービルの駐車場に車を止めて外に出ると、私は彼の案内で迷路のようなビルの中を歩き進む。
彼のファイルに綴じられていた人物は、城南地区にある巨大百貨店で店を開いている日本人らしい。
ビルからビルへと繋がる連絡通路を辿っていくと、その巨大百貨店の店内へと入っていけた。
「これほどの場所に店を構えられる。彼は有能な人間だったようね」
「ですね。名前は知ってましたよ。本とかにもちょいちょい名前は出てましたから」
人で溢れかえる店内で会話を交わす。
身辺調査…という割に、私達は探偵のように身を隠すことも無く堂々と歩いていた。
私達は共にケースを手に持ったスーツ姿。
会話は気を付けさえすれば、周囲に溶け込むには十分な格好だった。
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