2101年4月11日午後14時12分 "時任杏泉" -003-

窓の外の光は、青白い午後の日差しから、オレンジ色の強い夕陽の日差しに変わっている。

僕は窓の外の様子をじっと見つめてから、机に突っ伏した彼女の元まで戻って言った。


「さて…出かけようか」


そういうと、彼女は顔を起こして僕を見上げる。

そして、ほんの少しだけゆっくりと、首を傾げた。


「…ディナーには早い気がするわ」

「そうじゃない。空港に行こう。そこの役所で登録しないと」


僕はそう言って、Yシャツの胸元に引っ掛けていたサングラスを付ける。

彼女は釈然としなさそうだったが、椅子から立ち上がって僕の横までやって来た。


「ここの住民でも無ければ、パスポートが無いせいで何処から来たかも分からない。そうと知られれば、流石に僕もフォローできないからね」


玄関へと歩きながらそう言って、玄関横の棚に置いていた車の鍵を拾い上げた。


「そうか…そうだよね。でも、どうするの?…それに空港って…」

「ま、付いてこればわかるさ」


僕はそう言って、靴を履いて玄関のロックを解除して扉を開く。

シンプルな空間から、雑多な喧騒に包まれた外界へと出ていくと、さっき上がって来たエレベーターホールをスルーして、通路を真っ直ぐ進んでいった。


「それにしても、外からは分からないくらいに複雑なのね。迷路みたい」


夕焼けに照らされた通路を歩きながら、彼女はポツリと呟いた。


「最初は良く迷ったよ。あの部屋を借りた初日なんて、どれだけこのビルを徘徊したことか」

「貴方は方向音痴じゃないのにね。でも、ここなら分かる気がする。何処を見ても同じような光景だもの」

「慣れてくると目印が出来てきて、迷わなくなるんだ。ほら、そこの窓から見えるデカい看板あるだろ?それが見えたら、分かれ道を右に曲がる」


僕はそう言いながら、窓の外に見える青く大きな看板を指さす。

そして、目前に迫っていたT字路を右に曲がった。

すると、暫く進んだ先に、エレベーターが4基並んだエレベーターホールが見えてくる。


「エレベーター…さっきのじゃダメだったの?」

「あれじゃ地下に行けないからね」


僕は彼女の問いに答えて、エレベーターを呼び出す。

古い作りのエレベーターは、重い機械音を発しながら動き始めた。

僕はエレベーターを待つ間に、手に持った車の鍵を見せる。

彼女はそれを見て、ああ、と呟いた。


「車趣味は相変わらず?」

「んー…そうはいかなくなった」


僕がそう答えた直後、エレベーターのチャイムがポーンとなって扉が開く。

2人寄り添ってエレベーターに入っていくと、B1のボタンを押して扉を閉めた。


「排気量の小さな車って、この島では作れないし走れないんだ」

「あら…なら、前乗ってたセブンはお蔵入りかしら。久しぶりに横に乗りたかったのに」

「残念だけど。それはこっちには引っ張ってこれないの」


エレベーターを下りながら、僕達は壁に寄り掛かって会話を続けた。

古いエレベーターでは、10階から地下に降りるまで、やや暫く時間がかかる。


「飛行機と同じさ。"白銀の粉"で出来る燃料じゃパワーが出ないからね。カタストロフィを機に燃料の質も落ちてもっと悪化したことだし、さらに規制したんだ」


地下1階で止まり、エレベーターの扉が開いたのと同時に僕達は外に出る。

地下のジメッとしながらも、肌寒く暗い空間が目前に広がる。

僕は彼女の腕を引いて、通路を歩き出した。


エレベーターホールから一本だけ伸びた通路を歩き、突き当りの扉を開ける。

空気は一気に外の空気に取って代わり、この島でもほんの一部しか持てない自家用車達がズラリと並ぶ駐車場に足を踏み入れた。


僕達は、雑多で小汚い街並みからは想像もつかないほど綺麗に磨かれた高級車たちの前を歩いていき、やがて1台の車の前で足を止める。

流麗で、古風どころか歴史の彼方…博物館の一角に置かれているような黒い車体には、中央部分に2本の白いストライプが走っている。

横に居た彼女は苦笑いを浮かべて溜息を一つ付いた。


「これ?」

「そう」


僕はそう言って車の右側に歩いていくと、少しだけ腰を屈めてロックを開け、ドアを開ける。

乗り込むというよりも、何かの下に隠れていくような体勢で車へと乗り込み、キーシリンダーに鍵を挿し込んだ。


彼女も、戸惑いながらも助手席のドアを開けて中に入ってくる。

室内は10代半ばの、背の低い僕達でも丁度よいサイズに仕立て直しているために狭くもなく広くもなく、丁度よいサイズ感だ。


「また、面倒な車に乗ってるのね」


彼女は呆れたように作った苦笑い顔とは裏腹に、少しだけ目を見開いて車の中をキョロキョロと見回した。


「便利な車って、この街には要らないもの」


僕は小さく横顔で笑って見せると、キーを捻ってエンジンに火を入れる。

シートの背後…防音材を詰め込んだバルクヘッドの後ろに積んだ7リッターのV8エンジンが唸りを上げて室内を震わせた。

目の前にズラリと並ぶメーターの一番左側…大きく丸いメーターが、アクセルを煽ると共に軽やかに踊り上がっていく。


僕は普段通りに暖気してから、ゆっくりと車を走らせて駐車場を抜け、地上へと出ていった。


地上へと出ると、暗かった車内に夕日の日差しが入り込んでくる。

サングラスをしていた僕は平気だったが、助手席に乗っていた彼女は思わず声を上げて目を瞑った。


この島で一般車が走る道路は全て高架の上…つまりは高速道路だ。

僕が住むマンションから道路に出ると、そこには歩く人の姿が無い。

高架の高さはビルの天井と殆ど変わらなかった。


「ん。左見ててよ」


僕は駐車場の出口からスピードを乗せて、すんなりと高速道路の流れに乗って暫くすると、目を点にして辺りを見回していた彼女にそう言って左側を指さす。


彼女が僕の言葉を聞いて左側に顔を向けると、僕は小さく笑みを浮かべて、即座にシフトレバーを握って、5速に入れていたギアを3速まで落とした。


「え?」


彼女が急に揺れた車に驚いて声を上げる。

助手席側のサイドミラーに、僕が勤務する会社の3発機が大写しになった。

僕は一気にアクセルを踏み込む。


7リッターV8に2基のターボを掛け合わせたエンジンは"白銀の粉"で出来た燃料を糧にしているとはいえパワーは優に550馬力を越えている。

1トンに満たない車体はカタパルトで飛ばされたかの如く加速を始めた。


「キャ!」


彼女の悲鳴が上がる。

だけど、直ぐに彼女は真横…助手席の窓ガラスに大きく映って、僕の車と並走するような形になった飛行機の姿を目見止めると、驚いた顔を貼り付けたまま、じっと窓の外を見つめていた。


僕も一瞬だけ横を見る。

メーター読みで250キロちょっと。

飛行機はそれよりもほんの少し速い速度らしく、徐々に僕を追い抜いていったが、窓越しにこちらを見ている乗客たちの姿がしっかりと見えた。


飛行機が完全に追い抜いていくのを確認して、僕はゆっくりとアクセルに込めた力を抜いていく。

280キロを指していたメーターはするすると落ちてきて、やがて150キロ程度にまでなった。


「城壁名物。速い車じゃないと味わえない。飛行機との競争」


僕がそういうと、こちら側に振り返った彼女は怒った様子も無く、それどころかほんの少し興奮気味だった。


「こういうの好きだったよね」

「ええ!こんな場所がまだあったなんて驚きね。もう歴史の教科書でしか見れないと思ってた」

「ホント、絵に描いたような舞台だからなぁ……」


僕はそう言いながら、ウィンカーを出して左に車を寄せていく。

潜り抜けた看板には"Airport"の文字が書かれていた。


「22世紀にもなって、石油もないのにこんな世界になってるだなんて、100年前の予想なんて当てにならないものだよね」

「他を知らないけれど…ここだけを見てればそう言える気がする」


僕達は落ち着きを取り戻した車内で会話を重ねながら、空港の中へと続く道を駆け抜けた。


「そういえば…下が人混みだとは思えないくらい、道路は空いているのね」

「まぁ、車を持ってる人間の数が少ないからね。だって、持つ理由が無いんだもの」

「あら、有ったら便利じゃないの?高速だけじゃなくて、下道もあるんでしょ?」

「あってないような物だよ。下道は商業車しか通れない。一般車は全部高速道路上しか走れないんだ」


僕はそういいながら、ウィンカーを上げて車を左へ左へと寄せていく。

高速道路から、ゆっくりと左に折れていく分岐点。

僕がもう一つの顔を見せる時にしか使わない道へと入っていった。


「また屋内?」

「そ、僕のもう一つの職場だ」


分岐点を抜けて、暫く真っすぐ走ったのち、急に道は狭くなる。

スピード違反を取り締まるカメラと共に、40KMと書かれた道路標識の看板が見えてきた。

僕は2回シフトダウンを繰り返して、車の速度を落とす。

真っ直ぐ続く薄暗い道を暫く行くと、右手側に空港の関係者用入り口…今走っている1車線の道を挟んで左手側に、職員の車を止める駐車場が見えてきた。


「さて、着いたよ」


僕はそう言って、駐車場の一角に車を止め、背後で唸り声を上げていたエンジンの火を消す。

先ほどまでは路面を駆けて、風を切り裂く音しか聞こえなかった車外からは、島の喧騒が微かに聞こえてきた。


車を降りると、彼女は再び僕の左腕を掴んで寄り添ってくる。

2人並んで道路を渡って、建物の回転ドアを潜り抜けると、RTSBの入っているビルやマンションのような、小汚く雑多な空間ではない、近代的な空間に包まれた。


天井が高い場所にあり、天窓からは夕方のオレンジ色の光が差し込んできている。

流れてくるアナウンスは、空港らしく飛行機の運行情報や、商業施設の案内などのが殆どだった。


「さて、こっちだ」


僕は何時ものように、自分が局長を務めるオフィスを目指して歩き出す。

華やかな空港の隅まで歩いていき"STAFF ONLY"と書かれた扉を開けて中に入る。

空港の表側から、裏側に入っても、華やかさは変わらないままだ。

濃い青色のカーペットが一面に敷かれていて、壁はシミ汚れ一つない白…蛍光灯も、他の場所で使っているような安物の黄色ではなく、青白く、淡く光っている高級品。


「日本に戻って来たみたいね。子供の頃のだけど」


ずっと僕の横にくっついている彼女は、急に現れた近代的…いや、未来的な空間を見回しながら呟いた。

確かにこの建物の意匠は、僕がまだ人間だった時代…2040年代の光景とよく似ている。

本当ならば、そこからもっと未来への光景が加速するはずだった時代と瓜二つの光景。

彼女はまだ幼い時期だったから、この景色はきっとお伽話の中の出来事にでも思えているのだろうか?


僕達はそんな室内を歩き続け、受付嬢によるロック解除が必要な扉を3箇所越えて、ようやく目的の部屋の前にやって来た。

"城壁秘匿転生者委員会"と書かれたプレートがぶら下がっている扉のノブに手をかけて、何時ものように扉を開いて中に入る。

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