2101年4月11日午後14時12分 "時任杏泉" -002-
AC10-Aと刻印されたプレートの扉の前までやってくる。
僕はプレートの刻印を2度確認してから、扉をノックした。
「…はい」
女の声が聞こえてくる。
それは、僕の記憶の中に居る女の声と一致した。
僕は掛けていたサングラスを外して、扉のノブに手を掛けてドアを開ける。
大きな窓を背にして座っていた女は、僕の顔を見止めた途端、小さく苦笑いを浮かべた。
「久しぶり。調子はどう?」
僕は、昔と変わらぬ声色でそう言って、彼女の向かい側に腰かける。
あの時と同じように、赤に近い茶髪をマッシュルームカットに切りそろえて…
鋭く、リインカーネーションであることを示す銀色の瞳を持った釣り目が2つ、僕の方へと向けられた。
「ええ。お陰様で、元に戻ってこの街で目を覚ましたのがつい1週間前。そこから貴方を探し出すのに3日掛かったわ。随分と大きな会社で働いてるのね」
彼女はそう言って、窓の方に振り返る。
窓の奥には、さっき見たのとは別の型の3発機の機影が大きく見えた。
「お陰様で。ここじゃリインカーネーションでも関係ないから、平和なものだよ」
「通りで、貴方から刺々しさが抜けてるわけだわ。住んで長いの?」
「もう5年かな」
「そう。大きな会社らしいわね…でも、ここに来て驚いたわ。本当に、ここじゃ私達のような存在でも普通に暮らしていけるのね」
「ああ…唯一抜けてない癖は、自営用に持ってる拳銃くらいなものでね。こっちに来てからは一発も撃ってない」
僕はそう言って口元に小さな笑みを浮かべると、こちら側に振り返った彼女は唖然とした表情になっていた。
「信じられないわね。それなら、私との記憶はもう遠いセピア色の風景かしら?」
「ほとんどそうなってた。さっきまでね」
僕はそう言って席から立ち上がる。
「っと…聞いてるかも知れないけど、僕は今日は早上がりの日でね、あんまり長い時間会社に居ると、ちょっと厄介な事になる。続きは僕の部屋でいい?」
「最初からそのつもりだったわ。案内して」
彼女も席から立ち上がって僕の横までやってくると、そっと僕の左腕に寄り添った。
僕は久しぶりに感じる感覚に一瞬戸惑ったが、直ぐに元に戻って、会議室の扉に手を掛ける。
「御免なさい……」
「全然気にしないさ。こうやって戻ってこれたんだ」
会議室を出る前に小さくそういうと、僕達は会社の通路を歩いて、ロックされた扉までやって来た。
扉横の窓をノックして、受付の女の気を引く。
彼女は直ぐに僕に気が付くと、扉のロックを解除してくれた。
「早かったですね?」
「ああ、あんまり長く居ても早上がりの意味が無いからね」
「確かに…そちらの人は?」
「妻だ。この街の外から来て…俺の家が探しきれなかったからここに来たんだって」
僕はそう言って小さく笑って見せると、横に寄り添っていた彼女が小さく頭を下げる。
妻…というのはとんだ冗談だが、夫婦を装うことに、2人とも慣れ切っていた。
「お忙しいところすみませんでした…職場のことを聞いていたので、ここを頼らせてもらう他になくて…」
「いえいえ、大丈夫ですよ。それでは、お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ様」
受付に居た彼女と少々の会話を重ねて、会社を出る。
エレベーターで1階へと降りて行き、回転扉を出ると、耳には人々の雑多な騒音と、着陸してくる飛行機の轟音が入り込んできた。
「まるで啓徳ね」
「啓徳?」
「香港にあった街よ。こうやって、街の上スレスレを飛行機が降りてくるの。本でしか見たことが無いけれどね…」
「ふーん…」
僕は彼女の言葉を耳に入れながら、胸ポケットから取り出した疑似煙草を口に咥えて火を付けた。
「煙草は止めたんじゃなかったの?」
「ニコチンは一切絶ってるよ。これは疑似煙草。健康優良嗜好品」
僕はそう言って彼女にも一本差し出す。
彼女は僕が平然と吸っているのを見たからか、怪しむ素振りも無くそれを口に咥える。
僕は彼女が咥えた煙草の先に、自分の煙草の先を当てて火を付けた。
「浄化された空気と、アロマ効果のある空気が肺に入ってくる。これはバニラ味」
僕がそういうと、彼女は最初の一口を吸い込んだ。
そして、ふーっと息を吐いて、真っ白い煙を吐き出す。
その煙からは、甘ったるいバニラの香りが漂っていた。
「成る程…この街のお店に並ぶわけね。最初は煙草を見て、ゾッとしたんだから」
彼女はそう言って煙草を咥えなおす。
「浦島太郎状態だね。無理もないけどさ」
僕はそう言って小さく笑みを浮かべた。
5区画先にある、僕の住むマンションまで歩いて行って、僕達はマンションの自動ドアを潜り抜けた。
狭い通路を歩いて、エレベーターホールからエレベーターに乗って、10階まで上がっていく。
降りた後、通路を進んで…たどり着いた10319号室の、僕の部屋の扉を開けて中に入っていった。
「到着っと」
僕はそう言って、玄関先で靴を脱いで部屋に上がる。
彼女も、履いていたスニーカーを脱ぐと、僕について部屋に上がって来た。
「相変わらず綺麗な部屋ね。外の景色とは大違い」
彼女はリビングの様子を見回してから、ベランダの窓越しに見える景色を見て言った。
「それで。私が"死んでいた"間のこと、話してくれるの?」
彼女はそう言って、リビングに備え付けられたテーブルセットの椅子に腰かける。
「そのつもり」
僕はそう言って、冷蔵庫から持ってきた2本の缶コーラとスナック菓子をテーブルに置いて、彼女の向かい側に腰かける。
「といっても、何処から話そうか?…君の聞きたいことは全部話すから、聞いてくれないかな?」
僕はそう言いながら、自分の分のコーラのプルタブとスナック菓子の袋を開ける。
「そうね……遠い昔の事を聞いても仕方がないから、貴方がこの町にたどり着いた辺りからのことが知りたい。旧都のリインカーネーション達とは一緒じゃないみたいだけど」
彼女はほんの少しだけ考えてから、そう言った。
僕は鼻を鳴らして頷くと、コーラを一口飲み込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「…5年前のことから、か…5年前まではね、君が知ってる旧都で、相変わらずの生活を送ってたんだけど…丁度5年前に、示し合わせたように世界中で大災害が起きてね。旧都も例外じゃなかった。計測しきれない大地震に、電力で頼みの綱だった各地の原発は一気にドカン。あの国のほとんどの土地が、住める状況じゃ無くなったんだ」
僕は淡々とそういうと、彼女は小さく笑って肩を竦めた。
「ま、目に見えた末路ね」
「僕の下についてたリインカーネーションは、その時の災害で全員、消えていったよ。倒壊、津波、原発の近くで働いてた奴…死に様のレパートリーに欠かないからね」
「そう、貴方は何で無事だったの?」
「たまたま、街を離れてたんだ。ホント、何てことのない野暮用を済ませに…そこで僕も地震に遭ったけど、そこはそんなに被害は無かった」
僕がそう言った直後、窓の外を巨大なジャンボジェット機が通り過ぎていく。
日差しの挿し込んでいた部屋は、窓を巨体に遮られて、一瞬だけ暗くなった。
「各国の政府機関が一斉にダウンする事態。ヤバいなって時だったけど、僕には好都合でね。サクッと偽造パスポートを仕立てて、身分も何もかもを変えて…"リインカーネション"だった僕とは別人の身分になり替わった」
「……そうやって、偽造したのは、あの国がもう住めなくなったから?」
「そ、地震の直後、あの国の半分は居住出来ない土地になってしまった。災害で国民も半分は間引かれた。政府は焦ったんだろうね、各地にコロニー型の仮設都市を建造しだして、管理社会的に国民を監視・管理する策を打ちだしたんだ。だから、それまでは半ば黙認されていたリインカーネーションはあっという間に姿を消していったよ。何処に行ったかは分からないけど」
僕は彼女越しに見える外の景色をじっと見つめながら言った。
こうやって、偶に昔の情景を思い出すと、ふつふつと奥底から沸き起こってくるものがある。
「僕は彼らが手を伸ばしてくる前に、ここの噂を聞きつけて、飛行機のチケットを取った。元手になるものは幾らでもあったし、何より近場だったからね」
「近場…リインカーネーションに寛容な国なんてあったかしら?」
「昔は台湾って呼ばれてた所だよ」
「台湾?冗談でしょ?日本よりももっと酷い場所だったじゃない!」
僕が言った言葉を聞いて、彼女は飛び上がりそうなほどに驚いた顔を見せる。
僕はそんな彼女のリアクションを見て笑うと、彼女を落ち着かせて座らせる。
確かに、昔の彼らだと、僕達のようなリインカーネーションを見た途端に銃口を、切っ先を向けてきたことだろう。
でも、常識も何もかもを変えてしまったのが、5年前のカタストロフィだった。
「最も、今は元居た政府なんていやしない。台湾海上城壁島統一自治区。通称"城壁"…先の大災害から逃れた人間の集まりで出来た、なし崩し政府の管轄下。モットーは"自律した人型生物の共存と繁栄"。普通の人間も"元人間"のリインカーネーションも、隔たりなく普通の人として過ごしてるよ」
僕はそういうと、窓の外に指を指す。
「なし崩しの政府が規制なんて出来やしないってのが良く分かるだろう?設計図流用のビルが道にズラッと並んで、それから勝手に増改築を繰り返して出来たのがこの街だ」
「通りで雑多な街並みなわけね……なら、この街じゃリインカーネーションは普通の人間扱いなのね?」
「そう。僕もリインカーネーションであることは大っぴらにしてるよ。だけど、この通り。5年間、平和に過ごしてる」
僕はそう言って、スナック菓子を2,3枚一気に取って口の中に放り込んだ。
向かい側に座った彼女は、周囲の景色を1度見回すと、ふーっと長い溜息をついて机に頬杖を付く。
「随分と、夢物語みたいで信じられないわ。でも、貴方が言うんだから間違いは無いんでしょうね」
「ああ。こうなったのは、リインカーネーションが結構居たってのと、元々僕達みたいなのに寛容だった欧米人が大挙として集まって来たってのが幸いしたね。その結果が、カタストロフィ後、5年間での経済成長率世界1位!人口も5千万人は居るって」
「島が沈みそうな人数ね…それで、貴方はここで5年、何をしてたの?さっきみたいに普通のサラリーマン?」
「公務員だよ。さっき居たのは城壁運輸安全調査委員会。RTSB。仕事はそこら辺の事故調査」
「人間だったころの貴方じゃない」
「そ、元鞘に収まったって感じ」
僕がそう言うと、彼女はじっと僕の胸元に目を向ける。
彼女が目を向けた先には、上着で隠れていたものの、僕の愛用するリボルバーが収まっていた。
「なら、その拳銃の存在価値が無いわね」
「副業で必要なんだ」
「副業?公務員が?」
「ここに居る人間は全員、2つか3つくらいの顔を持ってるよ」
僕はそう言って、上着のポケットから財布を取り出して机の上に上げる。
中に入っていた3枚の身分証明書を取り出して、彼女に見せた。
「僕の場合はRTSBの他にも、2つほど顔を持ってる。城壁秘匿転生者委員会の地区局長と…城壁選抜旅客航空公司の旅客機パイロット。この街に降りてくる型は全部飛ばせるよ」
「……随分と忙しそうね。今日は偶々暇だったのかっていうくらい」
「人口超過を逆手に取った協業方式でね、それぞれの分野で僕と同じ身分の人間が他に数人いて、彼らと休みとか、辻褄を合わせながらやってるから、激務じゃないんだ。寧ろ暇なくらい」
僕はそう言って笑うと、コーラの缶を手に持った。
「何だかんだ、あの地震は今までをリセットするには丁度良かったってわけさ」
そう言って、缶にまだまだ残っていたコーラを一気に飲み干す。
彼女は、すっかり雰囲気が変わったであろう僕をじろじろと見ていたが、やがて長い溜息をついて、体中の力が抜けたみたいに机に突っ伏した。
「なんだ。要らぬ緊張だったのね。目が醒めて、知らない街で…リインカーネーションだってバレたらどうしようって、ビクビクしながら動いてたのが馬鹿みたいじゃない」
彼女はほんの少し拗ねたような声になる。
さっきまでの大人びた口調ではなく、見た目通りの10代半ばの少女の声に戻っていた。
僕はそんな彼女を見て、ふっと鼻を鳴らすと、椅子から立ち上がって、空になった缶をゴミ箱に捨てに行く。
缶をゴミ箱に放り捨てて、ふと左手に付けた腕時計を見ると、時計の針は4時を越えようかという頃合いだった。
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