REINCARNATION

朝倉春彦

1.時任杏泉

2101年4月11日午後14時12分 "時任杏泉" -001-

頭上からジャンボジェットの轟音が振りかかってきた。

その音を聞いて見上げると、巨大な飛行機が頭上を通り過ぎてゆく。

狭い通り、それに覆いかぶさるように立ち並ぶビル…そして、その通りの真上スレスレを通り過ぎていく大型旅客機。

周囲に居る、空を見上げた観光客達は、低空を舞う白と緑色の塗装を繕った巨体を見て驚き交じりの歓声を響かせた。


僕は彼らの横を通り過ぎて行って暫く歩き続け…幾つか交差点を曲がり、狭い通りを圧迫するように立ち並ぶビルの自動ドアを潜りぬける。

僕は自分の生活圏内に戻ってくると、人知れず溜息を一つ。

狭い土地、迷宮のように張り巡らされた狭い小道…それを覆い隠すように立ち並ぶ、10階建て程度のビル群…そこに住まう人々、働く人々の騒音…

このビルの中に居ても、そのほとんどを感じ取って暮らすことになるのは、暮らし始めて5年で嫌という程学んでいた。


それでも、防音効果が幾らかあるこのビルに入って、外の喧騒から切り離されたような錯覚を身体で感じる度に、何処か安心して、落ち着いている自分が居る。

外の通りよりももっと狭い、小柄な人が2人並べるかどうか程度の狭い通路を進み、エレベーターホールに出て、エレベーターを呼び出した。


エレベーターを待つ間、最近吸い始めた"疑似煙草"と呼ばれる細い円柱状の棒を口に咥えて、持っていたライターで火を付ける。

これに火を付けて外の空気を吸い込むと、吸い口のフィルターで空気中の成分が浄化される仕組みになっているらしい。

つい2,3年ほど前に出始めたばかりだが、フィルター部に様々な成分や味を仕込める仕組みのおかげであっという間に世界中に広がっていった人気の嗜好品だ。


エレベーターが降りてきて、中に入っていく。

10階…最上階を示すボタンを押すと、ほんの少しの浮遊感を感じながら上昇を始める。

何処の階にも途中下車することなく、最上階までたどり着いた後は、僕の部屋まで…エレベーターホールから伸びる一直線の通路を歩いていくだけだ。


通路を歩いて、右手側には外を望めるガラス張りの窓。

左手側にはご近所さんの部屋の扉が並ぶ。

僕の部屋は、エレベーターホールから一番遠い角部屋。

10319号室…このビル…マンションの部屋の中で一番大きな部屋番号の部屋が、僕の部屋だ。


玄関扉の鍵を開け、中に入る。

置かれた家具も、物も少ない部屋に上がった僕は、顔にかけていたティアドロップ型のサングラスを取って、着ていたYシャツの胸ポケットに引っ掛けた。


雑多な街並みや、薄汚れて、古くなったせいで小汚いビルの中を歩いた後にたどり着く場所とは思えないほどに整理整頓が行き届いた部屋だと自負出来る部屋の中。

僕は冷蔵庫から350mm缶のコーラを一本取り出して、ベランダの方へと歩いていく。

ベランダにつながる窓を開けてベランダに出ると、丁度飛行機の轟音が耳に届いた。


さっき降りてきたジャンボとは別の飛行機だ。

大きな飛行機ではあるものの、左右に2基のエンジンをぶら下げて…尾翼の中腹にも1発エンジンを付けた機体。


白色を基調に、尾翼に赤いマークを持つ塗装を繕ったシャチのようにも見える機体は、僕がいるベランダの方へと堕ちてくるかと錯覚するほどの角度を付けて降りてきた。

本当に、手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じるその飛行機は、僕が住む部屋の殆ど真ん前を角度を付けたまま降りて行く。


何人か、窓側の席に座った人々の顔がハッキリと見えて、何人かと目が合った。

きっと向こうの人達も、僕の顔と、僕の持つ赤いコーラの缶がハッキリと見えたはず。

その後直ぐ、耳を劈くような轟音を響かせた飛行機は、このマンションから程近い空港の滑走路に着陸した。


僕は飛行機が着陸して、滑走路を外れるのを眺め終わると、ベランダに置いてある椅子に腰かけて、脇にあるテーブルの上にコーラの缶を置く。

ふーっと一つ、煙草の煙を吐き出して、何時もと変わりのない昼下がりの暇な時間…雲一つない青空を眺めていた。


2101年4月11日。

50年前に突如起きた"2051革命"と呼ばれる大規模なエネルギー変革を機に、僕達は時計の針を少し前の時代へと戻している。

僕は、その時代には50代中盤…もうじき定年後のセカンドライフを考え出す時期に居た何の変哲もないおじさんだった。


でも、2051年革命のお蔭で、僕の考えていた物事は尽く崩れ去ってしまうことになる。


2051革命…2051年に起きた…避けようのない、未曾有の大改革。

その時革命の"中心地"に居た人間は、人間と呼ぶに呼べない存在になっていた。

そして、革命が完了した直後の地球からは、これまで当たり前のようにあったものが無くなっていた。


僕はボーっと外の景色を眺め続けながら、時折脳裏に浮かび上がる過去の光景に思いを寄せる。

そんな僕の耳に、電話の音が鳴り響いたのは、煙草もコーラも無くなった直後の事だった。


「はい、もしもし?」


ジリリリリリリ!と、せわしなく鳴っていた黒電話の受話器を取って、普段と変らぬ言葉を言う。


「ハロー。ミスター・トキトウ。アンタに会いたがってる奴が来てるんだが…」


受話器からは、聞き飽きた同僚の声が聞こえてきた。

僕は急に現実に引き戻されたような感覚を受けて、少しだけハッとする。


「僕に?知人が少ないのは君も知ってるだろう?何て名乗ってる?」


僕は少しだけボンヤリする頭を動かしながら答える。


「いや…名前は聞いてなかった、ただ、お前と変らんくらいの年の女で、引っ切り無しにお前の名前と"枝分かれした子羊"だって言えば分かるからって、焦った様子で言ってたぜ」

「え?ちょっと待て、飛行機の音で聞こえなかった。僕の名前の後だ」


僕は飛行機の轟音に遮られて、聞き逃した言葉に、嫌な予感を感じて聞き返す。

頭は直ぐに冴え渡り、両目を少し見開いて、受話器越しの声にも少しだけ力がこもった。


「ん?ああ、"枝分かれした子羊"だってよ。何かの暗号か?」


彼が言った言葉は、僕の頭に一瞬で反響しだす。

その言葉は、ついさっき思い浮かべていた2051年の、夏のある日に僕が言った言葉だった。


「ああ。そうだ。今からそっちに行く。彼女はそこに置いといてくれ!」


僕は少々早口になって、捲し立てるような口調でそういうと、彼の応答も聞かずに電話を切った。


電話を切った後の僕は、普段の僕とは別人のようにせわしなく動き出す。

サングラスを掛けて、部屋のテーブルに置かれた薄い財布を取って、それをサイズの大きなスウィングトップの左内ポケットに仕舞った。


それから、机の下に置かれたキャビネットの3段目を開けて、中身を机の上に置く。

それは8連発式のリボルバー。

マットな銀色に染め上げられたそれを右手に取った僕は、誰も居ない玄関方向に目掛けて構えた。


ハンマーを下ろして、玄関扉の覗き穴に照準を合わせて…引き金を引く。

カチッっと、ハンマーが降りた音だけが耳に入ってくる。

僕は小さくため息を付くと、手に持った銃をスウィングトップの左脇付近に付け加えたホルスターに仕舞いこむ。

一緒に机の上に置いた357マグナム弾も、バラバラのまま右の内ポケットに詰め込むと、僕は部屋を一度だけ見回した。


開いたままの窓の外から、飛行機の音が聞こえてきたと思うと、窓の向こう側に、大きなジャンボの機影が一瞬だけ映って通り過ぎていく。

僕はその光景を見てから振り返って靴を履き、玄関扉に手を掛けた。


僕の職場は、住んでいるマンションから5ブロックも離れていない区画にある。

棲み処のマンションと殆ど同じような作りをした…色使いだけが違うビルだ。

定期的に頭上を飛ぶ飛行機の轟音と、人でごった返した街中を歩いて5分ちょっとで着いた。


入り口の回転扉を抜けて、エレベーターホール前に居る、ライフル銃を下げた看守に何時ものように手を上げて挨拶を交わして先に進む。


「早上がりじゃなかったのか?」

「急な来客でね」

「ご苦労さん」


偶に酒を引っ掛けて帰ることもある仲の看守は、口元に笑みを浮かべてそういうと、再び仕事へと戻っていった。 


エレベーターホールで、上階行きのエレベーターを呼び出して、やってきたそれに乗り込んだ僕は、8階のボタンを押したのち、一人しか居ない狭いエレベーター内で溜息をついて胸に手を当てた。


「とんだ大遅刻だ。彼女らしいといえばそれまでだけど」


誰もいないエレベーター内で、一人呟く。

上昇して間も無く、エレベーターのチャイムがポーンと音を立て、エレベーターが開いた。


僕は扉が開くと同時に外に出て、普段歩いている自分の職場への通路を早歩きで進んでいく。

少々複雑に入り組んだ通路を進み、普段務める会社のエントランスまでたどり着いた。


「あれ、トキトウさん、今日は早上がりの日ですよね?」


受付に居た女が僕に気が付いて声をかけてくる。


「だったんだけどね。僕に来客だって聞いて来たんだ。君は何も知らない?」

「はい…ついさっき交代ばかりなので…すみません。今、確認しますね」


彼女はそう言って、机に置いてある重厚な端末を操作し始めた。

手元ではカタカタというキーボードの打音を発しながら…

淡い発色のブラウン管モニターからの光が彼女を照らす。


「トキトウさん、ヒットしました。10区画のAC010-A会議室が割当たってます。今、扉開けますね」


彼女はそう言って再度端末を操作し、受付横の重厚な扉のロックを解除した。


「ありがとう」


僕は彼女にそう言って、直ぐに受付横の扉に手を掛ける。

出勤時間・退勤時間なら、財布に入れた身分証明書で開くのだが…それ以外の時は従業員の脱走防止の為に、こうして受付を通さないと開かないような作りになっていた。


重い扉を潜り抜け、これまた入り組んだ通路を進んでいく。

会社内はビルのワンフロアと言えども、一つの小さな街といっても良いほどに広く、会社の部の部屋がある区画…会議室が並ぶ区画、はたまた小型の商店やカプセルホテルといった施設が並ぶ区画といったように、中に居るだけで業務から生活の一部までを満たせるように作られている。


僕は彼女に告げられた会議室区画である10区画を目指した。

会議室区画は、社外の人間も利用することから、受付…入り口からも程近い場所に位置しているから、そんなに歩くことは無い。

通路を少々早歩きで進んでいき、10と書かれた扉を潜り抜けて、アパートの廊下のように、左右にドアが並んだ通路に出ると、僕は更にその通路を奥に進んでいった。

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