第12話 BAD DREAMS②ー海の向こうー

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 ぜんは住宅地を抜けて海岸通りに出ると海を正面に通りを右へ行った。日中にも関わらず車通りが少なく、人目もなかったので足に込める力を少しだけ加えて自転車くらいの速度で走った。

 しばらくすると沖に向かって伸びる大きな橋が視界に入ってきた。一見すると海峡にかかる橋のようだが、その先に陸はなく、代わりに巨大な建造物へ続いている。

 巨大な建造物––––それは海上に造られた人工都市である。

 二〇〇〇年代初めに開発計画が始動すると瞬く間に世間から注目を浴びた。しかしそこに人が住むことはなかった。地盤と外壁、本土へ繋がる二本の橋が完成し、都市内部の住宅や商業施設の建設、交通機関の整理が七割ほど進んだところで開発計画は中止となった。

 その後、人工都市は封鎖されたが、解体する予算がなく放置された状態が今でも続いている。いつしか家を無くした者や特別な事情を抱える者たちが不法に住むようになったと噂されたが真意のほどは定かでない。

 しかし旋が求める男は確かにそこにいる。

 河守市こうもりし沖合に存在する海上人工特別都市––––通称『海都かいと』に彼はいるのだ。


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 『海都』へ繋がる橋のたもとは街外れにある。海岸通りを進んでいくと山中へ入る別れ道があり、その道をしばらく行くと片側二車線の幅の広い道路に出てすぐに現れる。

 橋の入口にはコンクリートでできた五メートルほどの高い壁が前と左右の三方に設置され、奥へ進めないようになっている。前方の壁の隅には見るからに頑丈そうな鉄製の扉がある。車一台分ほどの大きさがあり、ドアノブの近くに取り付けられた三つのパスロック式の鍵により厳重に施錠されていた。しかしそれらは長い間、雨風に晒されたためにひどく汚れ、劣化しているように見え、管理者が頻繁にここを訪れている様子はなかった。

 旋は眼前の壁を見上げて、昔のことを思い出した。

 子供の頃、一度だけ弟のあおいと海都に忍び込もうと計画したことがあった。浮浪者のたまり場という噂を信じた母は近づくことを許さなかったが、好奇心に従った兄弟は自転車を走らせ、汗だくになりながらここまでやってきた。

 鍵のついた鉄製の扉は押しても引いてもビクともせず、壁を登ることも一目瞭然で不可能だと理解し、ただ呆然と見つめるしかなかった。結局、その日は遠くまでサイクリングをしただけに終わった。その後、ここに来ることは二度となかった。

 大人になった今でも無機質なコンクリート壁を前にすれば、ここを突破し中に入るのは困難だと悟るが、今の旋は違った。

 旋は扉のドアノブに手をかけると力任せに手前に引いた。鍵が折れる甲高い音を響かせながら壁から扉を引き剥がしていく。無理やりこじ開けられた扉はいびつに変形し、引っ張られた勢いで蝶番ちょうつがいが折れると完全に壁から取り除かれた。

 予想していたものの実際に力任せで開けられたことに驚いた。

「間違いなく体の力が強くなってる」

 自身の身体能力が著しく向上していることを確信した旋は本領発揮すれば眼前の壁すら壊せるのではないかと思わずにはいられなかった。しかし怪我をしたくなかったので思うだけに留めた。

 目の前のコンクリート製の壁は、壁ではなく塊だった。おそらく立方体であろう塊で橋の入口を封鎖している。旋がこじ開けた扉の先の通路はコンクリートをくり抜いて作られたものだった。


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 分厚いコンクリート壁の中の通路を抜けると橋の上に出た。片側三車線の広い車道は中央分離帯で仕切られており、至るところにひび割れがあった。

 橋上は静かだった。遠目で見る分には立派な道路に車が一台も走っていない光景は不気味で、通路を進む間に同じ文明を持った異世界に飛ばされた気さえした。

 旋は『海都』までの道のりを全力で走った。

 車ほどの速度は出ていただろうか。体験したことのない風圧に、初めは違和感を覚えたがその感覚にもすぐに慣れ、さらに速度を上げた。

 橋上からの景色に『海都』の姿が近づいてくると外壁が内部を囲うように屹立しているのが見えた。この造りだと内部から海を見るのは不可能だろう。一見すると要塞を思わせる無骨な造りに、旋は何を目的として造られたのか疑問になった。地元に住んでいながら開発理由などの詳細な情報は知らなかったのだ。

 七キロメートルほどの橋を五分足らずで渡り切るといよいよ『海都』の内部へ入っていく。

 『海都』側の橋の袂には壁などの障害物はなく、検問所として使うはずだったであろう小さな建物があるだけだった。

 人工都市と聞いて無機質で未来的な造りを想像していたが、意外にも木々や草花といった自然が橋の周りだけでも多く見られ驚いた。橋と内部が繋がるこの場所も緑鮮やかな小高い丘になっていた。

 橋から伸びた直線道路はゆるやかな下り坂になっており、途中で左右に分かれている。前方は鬱蒼とした茂みになった行き止まりだった。

 旋は橋の袂で立ち止まり、足元に見つめた。

 あと一歩踏み出せば『海都』に入れる。それは高い壁に阻まれた少年時代の夢を叶えることになる。

 不本意な形だとしても。

 夢が叶うのだ。

 不意に純粋な感動がやってくると、その間だけ異常な自分やここへ来た目的を忘れることができた。

 小さな幸せを得た瞬間だった。

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