第10話 確かめにいこう④ー情報屋に会いにいこうー

   □


 自傷行為に及んだ少女の傷が自然に治る様を目の当たりにしたあおいの脳裏にぜんの姿が浮かんだ。そしてこの少女と兄が豹変した原因には何らかの関係があるのではないかと思い至る。それは根拠のない直感だった。

 正直、少女の自然治癒には仕掛けがあるだろうと懐疑的だし、天馬が言うように旋の奇行はストレスによるものかもしれない。

 結論を出そうにも、この二つの出来事は自分の常識からかけ離れすぎている。

『世界には非常識なことは起こるし、存在する』

 納得したわけではないが、これ以上自称吸血鬼少女に翻弄され、出口のない思考の迷路を彷徨い続けるわけにはいかなかった葵はそう心に留めてこの件に終止符を打った。自分が優先すべきは兄のことなのだから––––

「さあ早く謝って」

 少女は誇らしさを湛えたまま、差し出した掌をひらつかせて謝罪の言葉を欲しがった。

「わかった、謝るよ。馬鹿にしてごめんなさい」

 葵は少女とのやりとりを終わらせるため謝罪した。

「それでよし! もう馬鹿にしちゃいけないよ」

 少女は呆気なく謝罪を受け入れた。そして満足そうな笑みを浮かべ部屋の出口へと歩いていく。部屋を出る前に二人に向き直ると両手の指でスカートの裾を掴み、軽く膝を曲げて深窓の令嬢のように淑やかなお辞儀をした。

「それではご機嫌よう」

 そして部屋を出ていった。

 少女がいなくなると室内は嵐が去ったあとのように静まり返った。

「あの子がさっきやったことって手品か何かだよな!?」

 少しの沈黙の後、天馬は半ば興奮気味に自分の腕にペンを刺す手振りをした。葵同様、少女の言動に半信半疑のようだった。

「わからない。けどあの子が吸血鬼を馬鹿にされて本気で怒っていたのは確かだ」

「じゃああの子が本当に吸血鬼だって信じるか? 不老不死だから傷も治ったって?」

「どうだろう……。ただ俺たちの知らない常識がこの世にはあるのかも……」

 葵は自信なさげに先ほど抱いた考えを口にした。それからすぐに本題へ入った。

「それよりも兄貴のことだ」

「そうだな。お兄さんのことの方が大切だ。それでこれからどうする?」

「正直なところ兄貴に何が起きたのかは兄貴本人に聞くしかないと思うんだ。人を襲うほどに大きな何かを抱えているのなら、俺は兄貴の助けになりたい」

 葵は傷の様子を気にしながらゆっくりとベッドから降りた。

「コード先生には悪いけど、ここでゆっくりしているわけにもいかない。兄貴を探しにいく」

「よし来た! もちろん俺も一緒に探すぜ」

「ありがとう」

 天馬の言葉が素直に嬉しかった。

「ただ探すと言っても当てがないんだ。何かすぐに見つけられる方法があれば良いんだけど……」

 すぐに行動に移したい葵だったが効率的な手立てがないことに頭を悩ませた。

 サイドテーブルに置かれた卓上時計を見ると時刻は午前十一時半を過ぎたところだった。家で旋に襲われてから一時間ほど経っている。

「兄貴がまだ正気なら人を襲わないように人気のない場所に行くかも」

 葵は旋の性格から行動を分析する。

「もし、仮に……。仮の話だから変に突っ込むなよ! もし仮に、お兄さんが、だ」

 天馬は言葉を選ぶように慎重な口調で自分の当てについて話し始めた。

「お兄さんが別人みたいになった原因が、吸血鬼に襲われて、自分も吸血鬼になったせいだとしたら、俺の知り合いに聞けばわかるかもしれない。あの人は非常識な情報を色々持ってるし……」

「え?」

 葵は天馬からの急な提案に唖然とした。なぜなら「吸血鬼」というワードから展開されたからだ。葵の中ではすでに兄と吸血鬼の話は切り離されていたし、天馬もオカルトじみていると馬鹿にしていたはずだ。

「ここは田舎でもまあまあ広いから、当てもなく探すのも骨が折れるだろうし……。藁にもすがる思いって感じで。お兄さんがオカルト的な被害者なら、あの人の耳にも何か入っているかもしれない……」

 ここまで言い終えると天馬は大きく息を吐いた。普段からは想像できないほど慎重な口調だったため、彼自身この話し方に疲れたのだろう。

「まあ当てもないことだし行ってみようぜ!」といつもの調子で言い切ると最後に目的を明確に示した。

「情報屋に会いにいこう!」


   □


 スティーブはダイニングでコードを待っていたが、しばらく経っても戻ってくる気配はなかった。「仲間は生きている」と信じているもののフレアたちの現状が気になる。これ以上待つことができないスティーブはコードの様子を見に行くことにした。

 まだ急患の少年を治療しているのであれば簡易病床にいるだろうとダイニングを出て診療スペースの廊下を左に行こうとした。すると待合室からコードの話し声が聞こえてきた。

 コードは老婆の足を診ながらその隣に立つ四十代ほどの女性と何やら楽しそうに会話をしていた。

 その光景を目にしたスティーブは痛感した。

 これ以上自分たちの事情にコードを巻き込むべきではないということを。

 このまま一緒にフレアのところへ行けば、否応なくコードを死戦さながらの第一線に引っ張り出すことになる。コードのことだから自分たちが日本にいる限り全力で協力してくれるだろう。自分の命が危険に晒されようとも。

 コードには食糧とこの地での活動拠点を提供してもらうに留めておくべきだった。

 彼が死ねば悲しむ人たちがいる。

 コードはすでに医師としてこの地に定着し、周囲に愛される存在なのだ。

 黙ってここを去るのに抵抗はあったが、彼にこのことを話せば言いくるめられるに違いない。スティーブは受けた恩への感謝とこれから行う仕打ちを詫びるため廊下の陰からコードの後ろ姿に向かって深々と頭を下げた。

 正面を向き直したスティーブは改めて決意する。

 自分たちの事情にもう誰も巻き込まないと。


   □


 スティーブは一ノ瀬いちのせ医院を出ていくため仲間のクリスを起こしに行こうと診察室へ向かった。

「スティーブ、何してるの?」

 診察室に入ると背後からクリスの声が聞こえてきた。

「なんだ、起きていたのか。それなら良かった。もうここを出ていくよ」

「はーい。ってここどこ?」

 クリスの質問に初めはその能天気さに呆れたがここへ来た時、彼女が自分の背中で眠っていたことを思い出し、態度を改めた。

「ここはコード先生の診療所だよ」

「え!? コードいるの? どこどこ?」

 クリスは嬉しそうに廊下を走り出した。しかもコードがいる待合室に向かっている。黙ってここを出ると決めたスティーブは慌てて彼女を追い、待合室に出る寸前で捕らえた。

「待てクリス! 今はコード先生とは会えないんだ」

 腕の中で拘束を解こうと暴れるクリス。

 今にも大声を出しそうな彼女の口を押さえて大人しくさせようとするスティーブ。

 二人の静かな攻防はコードが振り返れば見える位置で行われていた。客人の女性たちは話に夢中で気づいていないようだった。

「先生には後で会えるから。今はダメだ」

 スティーブはひそめた声でクリスを説得した。それでも抵抗を続けられるのでエサを与えることにした。

「わかった。アイスクリームを買ってやる」

 その言葉にピタリと動きを止めたクリスはスティーブの顔を見ると満足そうな笑みを浮かべて大きく頷いた。

 無駄な攻防が終わり胸を撫で下ろすスティーブは大きく息をつくとクリスと一緒にダイニングへ入っていった。居住スペースの玄関から外に出る算段を立てていたのだ。

「それじゃあ行くよ」

「ラジャ! ってどこに行くの?」

 クリスは敬礼してみせたが、目的地について何も知らなかった。というより命が狙われていること以外何も知らなかった。

「先生が用意してくれた活動拠点だ。『海都かいと』にある」

「『海都』?」

「そう、海の上にある街だ」


   □


「情報屋に会いにいこう」


 天馬から放たれた一言は吸血鬼云々を抜きにしても葵を驚かせるには十分だった。

「情報屋ってそんなのがこの街にいるのか?」

 葵からすれば突飛な話だった。

「疑うのも無理はないさ。まあ探偵だと思ってくれれば身近に感じるだろ?」

「情報屋と探偵ってイコールなの?」

 そう言いつつも自分には兄を探す手立てがないため、少しでも可能性のある天馬の提案に乗ることにした。

「何にせよ兄貴のことがわかるならそれに賭けよう」

「そうこなくっちゃ!」

 天馬は部屋の大きな窓を開けた。初夏の暖かい風が室内を通り抜けた。

「先生に見つからないように窓から出ようぜ」

「ちょっと待てよ。その情報屋はどこにいるんだ?」

 窓から隣の空き地に降り立った葵は天馬に訊ねた。

 天馬は目的地があるであろう方向を指差した。葵は指の先に目を向けるとそこには雲一つない真っ青な空が広がっているだけだった。からかわれているのかと不審がっていると、天馬はその目的地の場所の名前を口にした。

「『海都』だよ」

「『海都』!?」

 葵は驚きのあまり声を上げた。

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