第9話 確かめにいこう③ー知らない世界を知ろうー

   □


 コードはあおいから聞いた傷口のエピソードに違和感を覚えた。

 彼の傷口の形状は見慣れたものだったからだ。

 自分がいる世界では常識と言っていいもの。

 吸血鬼が人間から血液を吸うときにつく傷。

 王城おうじょう葵の首筋の傷は吸血するときにだけ伸びる犬歯がつける傷そのものだった。

 しかしここで一点疑問が残る。

 彼が人間であり続けていることだ。

 吸血鬼が人間から吸血する際、本人の意思とは関係なく全ての血液を吸い尽くすまでこの行為を止めることができない。当然、対象の人間は死ぬ。

 稀に吸血鬼として生き返る場合はあるが生き返った時点で吸血鬼になるため傷を負うことはない。負った傷は最初からなかったかのようにきれいに治る。

 彼が吸血鬼に襲われ、血を吸われたとして人間のままでいるのはどういう場合が想定されるのか––––

 あれこそ思考を巡らせようとした時、待合室の方から自分を呼ぶ天馬てんまの声が聞こえた。

「コード先生! 患者さん!」

 待合室に向かうとそこには近所に住む腰痛持ちの田中のおばあさんと加藤さんがいた。

「先生。今日は病院やってんのかね? 急に足が痛くなってね。診てもらえるかい?」

「近くまで来たら田中のおばあちゃんが中に入っていくのが見えたからつい一緒に入っちゃいました。よければこれ食べてください」

 加藤さんはおほほと口に手を添えながら笑うとミカンをお裾分けした。

 コードはよく来院する二人を見て医師としての顔に切り替える。

「今診察室が使えなくて、待合室で良ければ診ますよ」と快く田中のおばあさんの診察を始めた。


   □


 天馬はコードが診察する横をすり抜けて簡易病床へ入っていった。

 病床にはベッドが二つ横に並んでおり、その間に小さめのサイドテーブルが置かれていた。入口の正面には大きな窓があり隣の空き地が見える。

「おーい。大丈夫か?」

 天馬は手前のベッドで寝ている葵に声をかけた。

「今は痛みもないし大丈夫。それよりここまで連れて来てくれてありがとう」

 葵はゆっくり起き上がり上体を壁に預けた。

「良いってことよ。と言いたいところだけどここに来る案はお前が出したもんだぜ」

「俺が?」

「覚えてないのか?」

 ベッドの隣に置かれた丸イスに座りながら驚く天馬。

「なんかぼーっとしててさ。意識がはっきりしたのはついさっきなんだ」

「まあ、あんなことがあった後だしな……」

 二人はしばらく黙った。

 天馬は朝に抱いた疑問を思い出していた。地元で起きた通り魔事件の犯人が王城ぜんではないかという憶測すぎる憶測のことを。

「兄貴……。どうしちゃったんだろうな」

「え?」

 沈黙を破った葵の言葉に、天馬は旋のことを考えていたのを見透かされたと動揺した。もちろん葵にそんな能力はなく、葵はただ兄の異変について糸口が見つからないまま時間が過ぎるのを恐れていたのだ。

「本当に吸血鬼になったんじゃないよな?」

 葵は真剣な面持ちで天馬を見た。

 天馬は葵が旋に襲われた事実を受け入れられず都合の良い妄想が働いているのではないかと心配した。

「お前は本当にオカルトじみたやつだな。吸血鬼なんているわけないだろ? お兄さんはただ仕事のストレスが爆発してわけが分からなくなっただけだって」と茶化すように言った。これ以上、葵に変な妄想をさせないよう気をそらせたのだ。

「そうだよな……。吸血鬼なんて馬鹿馬鹿しいか」

 二人は顔を見合わせて笑った。しかし葵の表情には不安の色が残っていた。

「馬鹿とは失礼な!」

 笑い声の中に可愛らしい声が紛れ込んだ。

 声の方へ目をやると頬を膨らませ眉間にしわを寄せた少女が立っていた。

 二人は唖然とした。

 部屋の入口に黒いゴスロリ服に身を包んだ白人の少女が突如として現れたからだ。


   □


「誰?」

「さあ」

 天馬の問いに葵は心当たりがないと首を横に振った。

「あなた今、吸血鬼を馬鹿にした!」

 少女はピンク髪のツインテールを揺らしながら室内に入ると逆さにしたチューリップを思わせる幅の広いスカートをひらつかせてベッドの足元で立ち止まった。

「どうして馬鹿にするの?」

 急な少女の質問に二人は呆気にとられる。

「空想上の生き物の吸血鬼がいるって信じたからだよ」

 葵は正直に答えた。

 すると少女は葵に近づいていき、青い瞳に怒りを湛えて睨みつけた。

「吸血鬼はいるんだよ」

「はい?」

 この発言に天馬は少女が子供特有の妄想に取り憑かれていると直感した。年齢は十二、三歳くらいだろうか。自分にもそんな時期があったと懐かしくなった。

「私がそうだもん」

「わかった、わかった。お嬢ちゃんが吸血鬼なのはよくわかった。でも良いの? 太陽から身を隠さなくて」

 天馬は子供をあやすように彼女の妄想に付き合った。

「なんで?」

「吸血鬼は太陽の光を浴びると体が焼けちゃうだろう?」

「そんなことないよ。わたしはお昼によく散歩するもん」

 少女は吸血鬼を名乗っていながら吸血鬼の基本情報を知らないようだった。

「それは知らなかったな。吸血鬼について詳しく知れて良かったよ。それじゃあこのお兄ちゃんは怪我してるからそろそろおうちに帰ろうね」

 天馬は少女を厄介払いしようとした。しかし少女は思い出したかのように怒りをあらわにし、再び葵を睨んだ。

「まだ謝ってもらってないよ」

「だからこのお兄ちゃんは怪我してるからね。代わりに俺が謝ろう」

 少女に睨まれても黙ったままの葵に代わって天馬がこの場を収めようとした。

「馬鹿にしたのはあなたじゃない」

 少女はきっぱりはねつけた。

「吸血鬼なんていないんだから謝る必要ないだろ」

 流石にムッとした天馬は語気を強めて断言した。

 その言葉に少女は敵意を向けた。

「わたしがそうだって言ったでしょ!」

 少女はそう言うとサイドテーブルに置いてあったボールペンを手にした。

「証拠見せてあげる」

 そしてなんの躊躇ためらいもなく自分の前腕に突き刺した。

 不意の出来事に愕然とする二人。

 少女が腕からボールペンを抜き取ると傷口から血が流れ、床へ滴り落ちた。

 自傷行為に及んだにも関わらず少女は涼しい顔をしていた。

 天馬はムキになったことを後悔した。少女をこの行為に駆り立ててしまったのは自分だ。今さら彼女にかける言葉はあるのだろうかと自問しているとさらに衝撃的な光景を目の当たりにした。

 少女の透き通った白い腕についた丸い傷が塞がっていったのである。巻き戻し映像を見ているかのように傷口が内側に向かって閉じていった。同時に傷口から流れた血は蒸発するようにすっと消え、雫となって床に落ちた血もきれいさっぱり無くなった。

「君は何者なんだ?」

 葵はようやく口を開いた。

「だから言ってるじゃない」

 少女は胸を突き出し、誇らしそうにした。

「吸血鬼だって」

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