プロローグ2「現代」
①とある一室でーフレア・サザーランドの日常と苛立ちー
男はある人物から逃げていた。
どこに逃げてもやがて場所を特定され、襲われる。そんな生活から抜け出したいと思い続けて五年余り。命からがら仲間と連携を取りつつ、なんとか今日まで生き延びてきた
「まずい、まずいですよ兄貴。ここももうやつに気付かれてますよ。きっとそうだ。だから早く目的地に行きましょうよぉ」
「ジェフリーの言うとおりだ。海を渡って日本に来たけど安心はできないし」
「スティーブがそう言ってくれると心強いなぁ。そうしましょう、フレアの兄貴!」
薄暗い六帖の畳部屋。
巨漢ながらも憶病風を吹かすジェフリー・ワースとこれまでのことを冷静に分析し淡々とした口調で同意するスティーブことスティーブン・ウィンターの二人は部屋の奥に立つ問題の種である男、フレア・サザーランドの背に目をやった。
「んなことは言われんでもわかってんだよ!」
フレアは振り返ると開口一番に怒号した。
「弱音ばかり吐くな! 馬鹿者!」
ジェフリーに向かって睨みを効かすと怒りに任せて遮光用に部屋の窓に貼ってあった新聞紙を剥がした。窓から射し込む日の光が室内を一気に明るくした。
二人はあまりの眩しさに目を細め、さらには手で覆った。
「眩しっ」
「いきなりはズルイですよ、フレアの兄きっ……」
フレアはジェフリーが文句を言い終える前に鳩尾へ蹴りを入れて黙らせると溜息まじりで説教を始めた。
「スティーブ、お前は眷属の中でも一番の古株だ。そんなお前が後輩の教育をしないでどうする? どうすればこんな弱腰になるんだ?」
「それはずっと命を狙われ続けているからでしょう! この状況を慣れたとでも思うのか?それに私はあなたから何かを教わった覚えはない」
スティーブは感情を露わにし、細長の目をさらに細めてフレアを睨みつけた。フレアは少し動揺したが気取られないよう平静を装い話を続けた。
「俺は言葉よりも背中で語るタイプだからな。でもお前は違う。お前はちゃんと後輩の面倒を見ろ。嫌だと言ってもダメだ。これは主人である俺の命令だ」
「こんな時だけ主人風を吹かすとは卑怯な」
「卑怯で結構」
二人がああでもない、こうでもないと文句を言い合っていると蹲っていたジェフリーが起きあがり「あれ? クリスは?」と狭い室内を見回した。
放浪癖のある三人目が知らないうちにまた消えているのに気付いた。フレアは頭を掻き毟り、声を荒げた。
「これじゃあ目的地へ行こうにも行けねえじゃないか!」
「ああ〜、こうしている間にもやつの魔の手が迫ってきてるよー! 早くクリスを探しに行かないと!」
大仰に慌てるジェフリーにフレアの苛立ちは頂点に達し、怒りのままにジェフリーを蹴りつけた。
「いいか! 命を狙われているのはこの俺だ。やつに! 【同族殺しの魔女】にな! 一番泣き事を言いたいのは俺なんだよ。分かるか? 分かったら少しはその憶病な性格を直せ!」
黒人で大柄なジェフリーの心臓は豆粒ほどに縮みあがり、これ以上何も言えなくなった。
「まあ、お前に言われなくても今日中にはここを出ていく。こんなくさい部屋にいつまでもいたくないからな」
部屋に家具は一切なく、あるのは隅に置いてあるクーラーボックスとボストンバッグだけだった。そのためか傷んだ畳と煙草のヤニで黄ばんだ壁からは経年によって蓄積された独特な刺激臭が放たれていた。
フレアはクーラーボックスに目を向けて「食糧ももうない」と溜息まじりに呟いた。
それと同時に部屋のドアが勢いよく開いた。
命が狙われていることもあり、三人に緊張が走ったが聞き覚えのあるお気楽な声に体の力を解いた。
「フレアー! 鳥のレバー買ってきたよ!」
屈託のない笑みで登場した放浪癖のある少女が買い物袋を自慢げに掲げた。その悪気を感じさせない態度に、逆立てた赤髪から火を吹き出しそうなほど怒り狂ったフレアはクリスの脳天にゲンコツをお見舞いした。
彼女は呻きながらその場でのたうち回った。
「クリス! 朝からいないと思ったらどこで油を売ってやがんだ!」
「だって食糧がないんだから代わりのものを買ってきたんだよ」
「そんなんじゃ意味ねえって何度も言ってるだろ!」
フレアは怒りを抑えようと大きく深呼吸をしてスティーブにクリスことクリストファー・ウィーストの面倒を頼んだ。
「これからコードが住む街に向かう。さっさと荷物をまとめろ」
フレアはそう言って部屋を出ていった。
スティーブとジェフリーは荷物とクリスを担いでフレアの後に続いた。
□
青年は悩んでいた。
数日前に引越してきた隣人の騒音に迷惑しているからだ。
さっきから薄壁の向こうで男が怒号している。
アルバイトの時間までまだ少し余裕はあるが、彼らのやり取りが聞くに耐えられなくなったため早めに部屋を出ることにした。すると同じくして問題の種である隣人の部屋のドアが開いた。
いつか会ったら一言文句を言ってやろうと思っていた彼は開いたドアの陰から出てきた隣人に向かって口を開いた。
しかし声は出なかった。
体格の良い外国人三人が纏う異質な雰囲気に慄き、体がこわばったのだ。
白人の少女が黒人に担がれて嫌そうにしていたが、彼の中で二人は親子であると無理に結論づけて騒ぎにしなかった。
ガラの悪い男たちが廊下からいなくなったあと恐怖心から解放された青年は隣室の空きっぱなしのドアに目を止めた。ドアには「入居者募集中」の紙が張ってあった。
空き部屋に浮浪者が勝手に住んでいたことを知った彼は階下にいる大家へ報告にいったが時すでに遅く、辺りに男たちの姿はなかった。
□
フレア・サザーランドと三人は不法に入居していたボロアパートのある住宅地を抜けて大きな通りに出た。
多くの人が行き交う中、目立つのは良くないとスティーブはジェフリーにクリスを下ろすよう言った。クリスは自由になった嬉しさからその場をぐるぐる走り回った。それをスティーブが止める。
「これから一体どこに行くんですか? フレアの兄貴」
ジェフリーの問いにフレアは声を荒げて言った。
「
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