②ギリシャにてーシェリル・レファーニュは協力を求めるー

ギリシャ某所 エーゲ海に浮かぶ島の一つ


 白一色に統一された町の景色はどこを切り取っても画になり、雲ひとつない青空と濃紺の海が町の白さをより引き立たせている。

 白い建物と白い道に囲まれた美しい町の中を透き通った金色の長髪が目を引く女性が歩いていた。彼女からはバニラ系のいい香りが穏やかな風に乗って漂っており、道行く者はその匂いにつられ彼女へと視線を移す。さらには彼女の美麗な顔つきに目を奪われ、誰もが「この町並み以上に美しい」と鼻の下を伸ばした。

 ただ気がかりなことが一つあった。

 それは彼女の隣を歩く少年の存在だった。

 顔の左半分が隠れるほど伸びた前髪に、まるまった背中、どこかぎこちない歩き方は身なりがしっかりしているにも関わらず周囲に不気味で陰鬱な印象を与えた。

 彼の独特な存在感とあの少年はもしかしたら彼女の子供ではないだろうかという憶測に男たちはうかつに声をかけることができなかった。しかし仮に彼女が一人だったとしても声をかけるのは難しかっただろう。彼女から漂う雰囲気はどこか浮世離れしていて近づきがたい印象があった。


   □


 美女と少年はとある人物に会うため列車と船を乗り継いで待ち合わせ場所まで向かっていた。約束の日までまだ時間があった二人は長旅の疲れを癒すため昨晩この町へ訪れて一泊し、また船に乗るため港へ向かっている途中だった。

「長旅ご苦労様です。シェリル嬢」

 彼女は急に自分の名を呼ばれたことに動揺し、足を止めた。しかし聞き覚えのある声だとすぐに気づき、男の声が聞こえた路地へ目を向けた。その路地は日も入らない細い道で、男の姿は濃い影のせいで見えなかった。

「どうしてあなたがここに? たしか待ち合わせにはベンロマックさんが来るはずではありませんでしたか? それに待ち合わせ場所も日にちも違いますし」

 シェリル・レファーニュは路地に向かって様々な疑問を投げかけた。少年は無表情でシェリルを見上げている。

「おっしゃる通り約束の日も場所も違いますし、待ち合わせ場所にはベンロマックが行くはずでした。しかしあなたの頼みということもあり私自身で調査結果をお伝えしたく参上しました。それにこの件は少しでも早くお伝えすべきだと判断しました」

 男は少し大袈裟な口調でそう語った。

「そうでしたか。お忙しいと聞いていましたので申し訳ないことをしました」

 シェリルが頭を下げて謝罪すると男は「私がやりたかっただけなので頭を上げてください」と極端に焦った声色を発した。

「ベンロマックにはここに来ていることを内緒にしています。なので姿を隠したままお話しすることをお許しください。バレると後が怖いですから」

 シェリルから男の姿はよく見えなかったが、男の引きつる笑顔が想像できた。

 それから男は咳払いをして話の本題に入った。

「あなた方のお姉さんの所在がわかりました」

 シェリルと少年は自分たちの姉に会うためこれまで旅をしてきた。しかし自分たちの力だけではどうすることもできず信頼するこの男、クドラク・アウォードの力を借りるため一週間前に彼のオフィスに電話を入れた。それに対応したのがクドラクの右腕を務めるベンロマック・フォレストだった。ベンロマックは「クドラク社長は多忙を極めているので私がすべて対応いたします」と丁寧に彼女の依頼を受け取った。

 クドラクは彼女から連絡があった報告を受け取ってすぐに自分で対応しようとした。案の定ベンロマックはそれを阻止して彼を仕事に戻そうとしたが、クドラクの方が一枚上手だった。クドラクは見事な情報操作でベンロマックを撹乱し、こうして彼女の前に来ることができたのである。

「姉は今どこにいるのですか?」

「お姉さんはニホンといういくつかの島からなる国にいます。あなたから依頼を受けてすぐに調査させましたが、お姉さん自身を見つけることはできませんでした。しかし今お姉さんに狙われている人物が少し前にニホンに渡ったという情報を掴みました。その男がいるところに必ずお姉さんは現れる……。おそらく彼らがニホンに渡ったのは仲間の力を借りるためでしょう。かれこれ五年ほど逃げ回っているようです」

 クドラクが説明し終えるのと同時に黒塗りの高級車が彼女と少年の前に停車した。運転手が降りてきて後部座席のドアを開けた。

「ここから少し離れた場所にチャーター機を用意してあります。車内には彼らが頼りにする仲間の居場所、つまりお姉さんが現れるであろう場所の資料を用意したのでご活用ください」

 シェリルは一度車を見たあと、クドラクがいる路地に向き直った。

「いつもありがとうございます。クドラクさん」

 彼女は頭を下げて車に乗った。

「あ、ヴァン君」

 クドラクは彼女に続いて車に乗り込もうとする少年を呼び止めた。

「彼女が危険なときは頼みますよ」

 ヴァン少年は無表情のまま路地裏をじっと見つめるだけで返事はしなかった。

 二人を乗せた車はゆっくりと発進した。

 路地から出てきたクドラクは遠ざかる車を見送った。

「本当は教えたくなかった。彼女と関わるとあなたを危険な目に合わせてしまう。でもあなたの頼みを断ることはできない。私の犯した罪は大きい。罪滅ぼしとしてあなたのために最大限の助力をすると決めたが、本当にあなたのためになっているのか……」

 クドラクは目を細め、昔のことを思い出した。

「本当の罪滅ぼしはあなたを本当の人間にすることだ。無事を祈ります」


   □


 車はチャーター機のある場所へ向かってひた走る。

 シェリルは後ろへ流れていく白い街並みを眺めていた。脳裏には優しかった時の姉の顔が浮かぶ。

 隣に座るヴァンに一度視線を移し、頭を撫でる。

 喋ることはなく、表情も変えない。

 昔はよく笑う子だった。それもこれもすべて姉に原因がある。

 シェリルには姉を救わなければならないという強い意志があった。そのためには一刻も早く姉に会わなければいけない。これ以上、姉の罪を増やしてはいけない。

 同族殺しという望まない罪を––––

 シェリルは用意された資料に目を通した。そこには姉に狙われた者たちが向かうであろう場所の地名が書かれていた。

『日本 河守市こうもりし』と。

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