価値ある人間

松本は黒い服を着ていた。兄二人も着ていたのだからと両親が用立ててくれた服だ。肩のところが突っ張って動きづらい。

同じように真っ黒で四角い鞄をずるずると引きずって歩く。自分の魂の棺桶を運んでいるようだ。うう、とかああ、とか唸って歩いていると、目の前に大きな影が落ちた。目的の建物に着いたのだ。

 目的と言っても、松本はここに来たかったわけではない。ここに来いと手元の紙に書いてあるから来たのだ。ここに来いと書いてあるこの手紙は、松本が呼んでくれという意味の紙を書いて送った返答として帰ってきたものだ。松本は呼んでほしかったわけではない。こういう紙にこういうことを書くのだと級友に言われて書いたのだ。

受付にたどり着くと、似たような顔を張り付けた受付の人間が松本様ですね、と全てを承知したような顔で確認を取った。女しかいないな、とぼんやり思ったまま松本は受付カウンターを見回した。

 待合室で待たされる。みな喪服を着ている。何かを殺して、ここに集まっている。松本は鞄を撫でた。自分が書いた脚本が入っている。殺しきれずに連れてきた。きっと一生これを殺せずに生きていくだろうと思った。

 喪服の若者たちは全員緊張した様子で、顔つきは険しい。ここにいるほとんどの人間が、何かを犠牲にしてまでやってきた徒労も顧みられず、数日後にはあなたは必要ありませんと告げられる。

 放心した状態で座っていると、松本様、と名前を呼ばれた。簡素なガス室のような、何もない部屋に通される。三人の人間が細長い机の前に構えており、その前方にぽつんと置かれた椅子に座るように言われた。ここで基準を満たしていると判断されれば、松本の出荷が決まる。

 松本は名前と所属する教場の名を告げて座った。松本が席に座り顔を上げると、比較的若く見える、左端に座った人間が松本に話しかけた。

「ではざっくりと自己紹介をしてください。」

 松本は兄に渡されていた本を暗唱して、自分とは全く関係ないことを述べた。社会に適合できる人間であると目を見て嘘を付いた。いくつか質問が加えられた。そのたびに松本は経を暗唱する坊主のように答えた。

 数十分が経過し、そろそろ終わりだろうという頃、右端の重い目つきの人間が口を開いた。

「あなたが弊社に参加するとどんな価値を生んでくれますか。」

 松本は目をぱちくりとさせた。

「あなたがここにいると、地球にはどんな価値を生んでいるんですか。」

男ははあ?という表情を浮かべてすぐに消した。

「あなたは真面目にやっていますか。」

「私は真面目にやっています。」

 男の、お前は用無しだ、期待外れだという顔を浴びて、松本は泣きそうになった。唯一心から答えた質問で全てをぶち壊してしまった。

 ありがとうございました、と感謝しているわけではないだろうに礼を言われた。松本は立ち上がり、社会に参画できないことを謝罪する思いで頭を下げた。

 数年後、松本はとある部族の小さなチームのリーダーだった。細長い机の端に座り、かつての自分と同じような顔をした学生の前でふんぞり返る。

 自分の部族に馴染みそうな人間を見極めるべく質問を被せる。松本はすっかり部族に馴染んでいた。新人は冷蔵庫を使わない。新人は朝早く来る。至上の価値は他人に部族のものを高く売りつけられたかということ。松本は部族のために生きるのであり、地球のために生きているのではない。地球環境保全というアピールを取るのもまた、部族の利益のためであった。

 使えなさそうなやつばかりですね。休憩時間、自分の左に座る部族の上位者に話しかけた。男は松本の媚びた目に満足そうに頷いた。君みたいな逸材はいないな、と褒美を与える様に松本に言う。松本の背をぞくぞくするような喜びが走った。自分に部族にとって価値があることを認識し、残酷な誇らしさがこみ上げる。価値がないのは誰だ、と同僚の顔が頭を駆け巡った。

 部族に所属したいのなら、部族の利益になるかどうかを見極めてこいよ。松本はそう考えて、ふんと鼻から息を吐いた。本質を見ていると思い込んでいたかつての自分を嘲笑う。

 先日、自分が書いた脚本を見つけて以来、かつての自分の亡霊が付きまとって恨み言を吐く。変わっちまったな、と青臭い草稿が松本に言う。無価値な貴様は早く消えろ、と亡霊に呟く。

 松本は価値ある人間になった。空虚な自分に中身を詰め込んでくれた会社に対する感謝の思いでいつも満ち満ちていた。

 無価値な学生を社会にとって価値ある人間に作り変える。それが就職活動である。

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就業中のトイレにて 坂口隆彦 @sakaguchi----

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