第四章 婚約の行方
初めての外出
早朝の馬練習、勉強、勉強、また勉強の忙しい一日を終えて、シーラはため息を漏らした。
「シーラ様、これで五度目でございますよ。いったいどうなさったんです?」
カーラがあきれて聞いてきた。
「な……なんともないわよ」
ぷいっと横を向いて、かわいくない返事をする。だが、乳母のカーラには、シーラの気持ちなど、お見通しだった。
「ははーん、わかりましたよ。明後日の朝には、若様はお発ちになります。つまり、明日が最後の日ですものねぇ。そりゃあ、ため息もでましょうよ」
デューンは、ここから離れた兵学校へと行ってしまう。次に戻ってくるのは、何ヶ月も先のことらしい。
「そ、そ、そんなんじゃないわよ! 私、あの人のこと、大嫌いですもの!」
真っ赤になって、怒鳴ったら、それが嘘だと言っているようなものだ。
カーラは、ははは……と笑った。そして、はいはいはい……と、受け流すような返事をした。
「ほ、本当なんだから! い、い、い、いなくなってすっきりするんだから!」
嘘をつく時、シーラは時々どもった。根が正直者なのだろう。
――ち、違うわよ、本当に嫌いなの!
シーラは、小さな袋にポニーのたてがみをいれて、ずっと持ち歩いていた。そうすると、まるでポニーが側にいてくれるような気がする。
(デューンなんかいなくても、別に寂しくも何ともないけれど……何か、贈り物でもしようかしら?)
シーラは、急に思いついた。
遠く離ればなれになっても、それを見てデューンが自分のことを思い出してくれるような、何か。
でも、何を贈ればいいのか、皆目見当がつかなかった。
「飾り紐なんて、贈ったらどうでしょうかね? いつも、身につけてもらえるし……」
いきなりのカーラの言葉に、シーラは飛び上がった。
「な、な、なんで、私がデューンに贈り物しなくちゃならないのよ!」
「でも、顔に書いていますよ。何を贈ろうか……と」
シーラは、真っ赤になりながらも、いい考えだと思った。だが、問題は、シーラが贈るべき飾り紐を持っていないということだった。
人に頼むには時間がないし、だいたいシーラの好みと合わないかも知れない。自分で選ばないと、意味がないような気がする。
だが、シーラはモアラ家の敷地から外に出たことはなかった。
村には、それなりの市が立つらしいし、雑貨屋などのお店もあるとの話だが……。シーラには勉強があった。とても自由時間はない。
しかも。
「ギルトラント様がお隠れになってからというもの、治安がよくありませんしね。外に出るなんて、危なすぎます。私が見繕っていくつか用意しておきますから、あとでお選びくださいませ」
シーラはふくれた。
カーラのセンスの悪さは、充分に知っている。気に入らない物をいくつそろえたところで、その中から納得する物を選べるはずはない。
どうにかして、人の目を盗み、こっそりと出かけなくては。
「ねえ、カーラ。私、明日、お腹が痛くなってもいいかしら? 勉強しなくても済む程度に」
「駄目です!」
カーラは、ぶーっと鼻をならした。
「そこのところ、お願い!」
ニコニコしながら、シーラは手を合わせた。
「もう! シーラ様の脱走癖は、うんざりでございます!」
説得すること、一時間。ついにカーラは折れた。
以降は、真面目に勉強すること。贈り物を買ったら、すぐに帰ること。護衛に、カーラの息子であるカールを連れて行くこと。そして、何よりも……人にばれないよう、注意を払うこと。等の約束をして。
「シーラ様のおてんばぶりで、私は、首になりたくはございませんから」
カーラは、それでも乗り気ではなかった。何となく嫌な予感がする。
でも、シーラの外出が、デューンへの贈り物のためであるなら、今後の二人にとっても、いい影響はあれど、悪いことにはならないに違いない。
あとは、カールによく言いつけて、シーラを無事に連れ帰ることだ。
こうして、シーラは初めてモアラの村をお忍びで歩くこととなった。
翌日、馬の練習の間中、シーラは注意力が散漫だった。
いろいろ教えてくれるデューンを見つめては、この黒髪を飾るには、どのような色がいいかしら? 形は? 幅は? と、そればかりに気を取られていた。
「どうした? 何か気になることでも?」
ついにデューンに聞かれてしまい、シーラは慌てた。
「う、うううん、何でもない。ただ、今日が最後の乗馬練習だと思うと、寂しいかな……って」
シーラは、自分らしからぬ言い訳に、目を白黒させた。
いつも憎まれ口ばかり。このような理由は、かえって不自然に思われるだろう。
デューンは小首をかしげたが、あまり深く追求しなかった。
「もしも、馬の練習を続けたいなら、馬丁の長に話しておく」
早朝の馬練習には行ったのに、勉強する時には腹痛。ちょっと無理ある嘘を、カーラは見事についてくれた。
シーラは、以前ルナと逃げ出した時のように、窓から外に出た。
カールの小さな頃の服を借りて、まるで男の子のようだった。これならば、村でいくらシーラの事が知られていたとしても、誰も、モアラ家の婚約者とは、思わないだろう。
シーラは、門の外で待っている馬車に乗り込んだ。
カールは、十五歳。ウーレンでは大人と認められる年齢である。
だが、所詮は青二才だった。母親からたっぷりと言われて、シーラがあきれるほど、おどおどと緊張していた。彼自身は、時々買い出しに村にも行くので、普通にしていたら何事もないことはよく知っていたのだが。
「お嬢様と一緒だなんて……なんだか、悪い予感がするんで」
「その悪い事が起きないよう、カールを連れてゆくんじゃない?」
初めての村の様子に、シーラは興奮した。
モアラの村は、文字通り、モアラ家の城下の村である。かつて、モアラの屋敷には、あふれんばかりの人が住んでいた。その人たちの需要を満たすために生まれた村であった。
ジェスカヤのような都会でもない。今は、モアラ家の衰退に伴い、やや寂れた村となっていた。
のどかである。どちらかというと、牧場のあった村と似ていた。
「できるだけ目立たないように……。で、男の子のふりでお願いしますよ」
馬車の上に立ち上がったりしてはしゃぐシーラに、カールのおどおどは続いた。
気が急いたのか、早く着きすぎた。
村は、まだ朝で、雑貨屋の扉は堅く閉ざされていた。村の広場に面した馬車の待機所で、シーラとカールはしばらく待つ事にした。
朝日がまぶしかった。
シーラは、馬車の上で伸びをし、自由を満喫した。
その時だった。横の馬車から、男の話し声が聞こえてきた。
それは、特に聞くべきこともないたわいもない世間話だった。デルフューン家の名前さえ出なければ、シーラは気にも留めなかっただろう。
「ひでーな、今年の馬の値段は……。デルフューンの成金めが、これ以上儲けようって腹だな」
「ギルトラント様がお隠れになって、政局がまだ安定していないからなぁ、いつ戦争になってもいいように、軍馬はどこでも欲しいから。そこにつけ込んでやがる。王立牧場が、聞いてあきれるぜ」
「しかし……そのデルフューン家から嫁をもらおうなんて、モアラ家もずいぶんと落ちたものだなぁ」
「身売りみたいなものよ。仕方がないじゃないか、足の不自由なデイオリア様には金がかかる。ソリトリュート様は、愛妻家だしな。苦渋の選択だ」
「デルフューンの成金は、相当の持参金をつけるって、話じゃないか」
「その持参金が、おれらの買いたい馬の値段を釣り上げているわけかい? ひえ、たまんねーよな」
シーラは、思わずわなわなと震えた。
デルフューン家の悪い噂を聞くのも嫌だったし、モアラ家のこともひどい言いよう。
そういえば……。
デューンは、デイオリアを慰めたかったと言っていなかっただろうか?
この婚約は、希望の光だと言っていなかっただろうか?
――希望の光って……お金の輝きだったのね!
私を、お金目的で引き受けたのね!
そんなの、嫌!
「ちょっと! 取り消しなさいよ! 今の話」
シーラは、後先考えずに、叫んでいた。
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