別れ

 翌日、シーラは思ったよりも早く目覚め、いそいそと厩舎へと向かった。

 ちゃんとポニーが迎えに来てくれていて、ひとっ走りだった。

 早すぎたかな? と思ったが、もう既にデューンは来ていて、馬装の準備も整っていた。

「遅刻しなかったな」

 にこりと微笑んで、デューンが言った。

「遅刻なんかしないわよ」

 つんと澄まして、シーラが答えた。

 デューンはそれに答えることなく、馬を引いて外に出た。

 馬は、チョビクロ。今の名前は、アロウだった。

 真っ黒い馬なのだが、鼻の先だけ少し白い。だから、チョビクロ。比較的小柄で、おとなしい馬である。

 だが、それでもまだまだ小さいシーラは、デューンの手を借りなければ、馬に乗る事ができなかった。勢いよく持ち上げてもらい、もう少しで反対側に落馬するところだった。

 鐙には足が届かず、鞍に座ると、馬体に触れるところがなかった。

 ポニーでなれているとはいえ、シーラは不安だった。しかも、いつもとは勝手が違いすぎて、苛々した。

 自分が馬を動かしているのではなく、デューンの顔色で馬が動いているのも腹立たしかった。

「駄目よ! 命令しないで! 私が動かすから」

 めちゃくちゃな手綱操作をしながら、シーラは叫んだ。

「ではどうぞ。お好きに」

 うやうやしくデューンが言ったとたん、馬はぴたりと止まり、シーラが何をしても動かなくなってしまった。

 シーラは、顔を真っ赤にして、足でボンボン馬の腹を蹴飛ばしたり、弾んでみたり、手綱で首を叩いたりもしたが、無理だった。すべては空振り。そもそも、シーラは小柄すぎたのだ。

「今日は、これで終わりだな」

 かんかんになっているところ、デューンが言った。


 ――うんもう! チョビクロ、かわいくないわ!


 帰り道、シーラは、ポニーに乗って走りながら思った。

 でも、明日も練習することを約束した。しかも、お昼はデイオリアと一緒に、三人で外で食べる約束も、どうしてもわからない勉強を見てもらう約束も。

 気がつけば、先生が来る時間以外は、ほとんどデューンと過ごすことになっていた。



 そんな日々を数日過ごした後、シーラはどうにか馬を自分でも動かせるようになっていた。

「やはり、素地があると、覚えが早い」

 デューンが褒めてくれて、シーラはうれしくなった。

 彼は、あまり笑わない。たまに意地悪っぽく笑ったり、口元に笑みを浮かべることはあっても、ニコニコすることは滅多にない。

 むしろ、厳しい顔をしていることのほうが多い。だから、笑顔を見せられると、かなりうれしくなってしまう。

 常につんつん顔をしてしまうのだが、こんな時は、シーラもはにかんだような笑顔を見せてしまうのだ。

 シーラの笑顔を見て、つぶやくようにデューンが言った。

「今度の休暇には、遠乗りできるかも知れない」

「今度の休暇?」

「夏になったら」

「夏?」

 シーラは、怪訝な顔をしてみせた。

「そういえば、言っていなかったな。私は来週、兵学校に戻る予定なのだ。今度の休みは夏になる」

「え? じゃあ……」

「しばらく会えなくなるが、我慢してくれ」

「! べ、別に、我慢だなんて!」

 よほど残念な顔をしてしまったのかも知れない。シーラは、慌てて否定した。

「あ、あなたの顔見なくてすむなんて、せ、せ、せいせいするわ!」

 首まで真っ赤になって叫んだが、デューンは口元が笑っていた。

「う、う、嘘じゃないわよ!」


 デューンは、十三歳。

 シーラが学ぶ事ばかりであるように、彼もまた、学ぶ事がある。まだまだ、ウーレンでは一人前とはされない。

 王族の子息は、家で家庭教師を雇うことが多いのだが、モアラ家では代々寄宿兵学校に入れる。王族ということで、特別扱いしないことが、家風になっている。

 今回は、皇子の誕生日祝いとシーラのことで休みを取って帰ってきた。そのうちに、政変の危険が起きたりしたので、長く家にいたのだ。

 デューンは、けして暇だったわけでもないのに、可能な限り時間をシーラに割いていたことになる。あの夜の、約束通りに。

 ところが、シーラときたら、ずっとデューンがここにいて、ずっと自分と一緒に過ごすのだと、勘違いしていた。

 別れがあるだなんて、想像もしていなかった。


 ――寂しくなんか、ないんだから!


 その夜、ベッドの中で、シーラは何度も寝返りを打った。

 なかなかなじめなかったモアラ家だったが、ポニーやカーラが来てくれたおかげで、安心して眠れるようになった。

 だが、デューンがいなくなると思えば、なぜか、ぽっかりと心に穴があいたような気分になってしまう。

(べ、別に……。あの人なんて、親が勝手に決めた婚約者だもの。私が好きで決めたわけじゃないし。だいたい、嫌なのよ、そういう押しつけは!)

 寂しさの次に来たのは、腹立たしさだった。

(だいたい、何で私がここにいなきゃならないのよ! だいたい……どうして、甘んじているのよ、私ったら!)

 だんだん興奮して、眠れなくなってきた。

(ここにいたら、そのままあの人のお嫁さんにされちゃうのよ? どうにかしないといけないのに。なのに、どうしてこうも毎日流されていたのかしら?)

 それが自然……と、デューンは言った。それが腹立たしいと、シーラは感じた。

 目をつぶっても、ちらちらとデューンの顔がまぶたに浮ぶ。

(私、あの人嫌い! そうよ、大嫌い! 嫌い! 嫌い! 大嫌い! 全然好きじゃないから、いなくなるとせいせいするんだから)


 ――何で会えない事を我慢しなきゃならないのよ! バカ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る