不信

 ウーレンの政変は、血を流す事もなく、無事収拾した。

 葬儀の翌日、ウーレン王妃フロルと第一皇子セルディーンは、エーデムに逃走。亡命した。

 王宮は、リナの率いる軍勢で埋まったが、戦う相手はいなかった。

 王妹フロルを無事にエーデムに帰したことで、エーデムとの同盟は維持された。

 リナは、一人取り残された第二皇子アルヴィラントを養子として引き取り、王母となった。もっとも、真に王の母となるには、アルヴィラントが成人して王位につく五年後ではあるが。

 東での地の小競り合いは、その後も続き、徐々にかの地でのウーレンの支配力を失わせていった。だが、ガラル以東においても、元第三リューマ地区を中心に、ウーレンの支配は安定していた。

 ウーレンは、王母リナを中心に動き始めていた。

 しかし、政治の大半を動かしていたのは、宰相のモアだった。

 リナは、元々政治に疎く、権力さえ手に入れれば、あとはどうでもよかったのだ。

 平和は、どうにか維持された。


 ――だが。



 花を浮かべたお茶をくるくると回しながら、デイオリアはため息をついた。

 重要な情報を餌にしたあぶり出しは、どうにかかろうじて成功した。

 とはいえ、あまりにも安易な家族会議に、モアラ家のあり方を知っていたルナは不信感を持っていた。動きは慎重だった。そして、モアラ家のほうではあまりにルナを信頼していた。

 まさに、水際だった。

「しかし、気がつかなかったわ。あのルナが、オイリア家の間者だったとは」

 彼女が持っていた巻き紙は、伝書鳩に付けるものだ。

 あの内容が、リナに組みしたオイリア家に渡っていたら、おそらく今の状況にはなり得なかっただろう。

 リナは、王妃の逃走計画に気がつき、もっと早くに動いたはず。そうすれば、モアラ家篭城という筋書きも、さらなる最悪の事態にもなったであろう。

「気がつかなくて当然。ルナは、ずっとこの家にいた。ほとんど、彼女が切り盛りしていてくれて……誰もが信頼していた」

 デューンは、自分のカップにお湯を注ぎたした。

「もしも、このような事がなければ、彼女も本来の仕事をせず、シーラのいい世話係でずっと過ごせただろうに」

「私も、大事な娘のような子を、二人も失ってしまったわ。ルナも、シーラも。母親のように慕われて、楽しい話がいっぱいできたはずなのに」

 幼いシーラを巻き込んでしまったことに、デイオリアは落ち込んでいた。

「母上は、するべきことをしただけです」

 デイオリアは再びため息をついた。

「デューン、私を助けてちょうだい」

 ルナが死んでから、シーラは部屋から出てこない。

 この家で一番身近だったルナに裏切られ、殺されかけた。そして、母と慕っていたデイオリアが、彼女を射殺した。しかも、目の前で。

 七歳の少女に、気にしないで……と言っても無理だろう。

 それでなくても、シーラは自分の意志に関係なく急にモアラ家に連れてこられ、この生活になじんでいなかった。

 勉強もまったく身に入らず、ぼっとしたまま。

 一日中、天井を見て過ごす日々だ。

 会いたくないのか、デイオリアとのお茶もしなくなった。

「母上、大丈夫です。シーラは強い。このままなはずはありえません」

「……だといいんですけれど」

 デイオリアは、何度目かのため息をついた。





 天井ばかりを見て、何日が過ぎただろう?

 シーラは、数えられなくなっていた。

 あの日以来、何もかもが、真っ白で空ろになってしまい……。

 目をつぶれば、コマ送りに、倒れてゆくルナの姿を思い出してしまう。

 だから、ベッドに横になっても、眠ることができない。

 ルナが付けた頬の傷は、既に直った。だが、心の傷は癒えなかった。


 ――あんなに親切で優しかったのに?


 モアラ家の歴史を語るルナは、どこか誇らしげに見えた。

 その彼女が、どうしてモアラ家を裏切ったのか……シーラにはわからなかった。


 人は……誰しも、信頼に値しないものなの?


 優しい母と思っていた人の、冷酷な一矢。

 目の前の命が消えてゆく瞬間――空ろな瞳。

 どうしても、デイオリアと顔を合わせるのが辛い。


 ――誰も、信じられない。


 その時だった。

 誰かの視線を感じた。

 窓から、何かが覗いている。

 恐る恐る、シーラは体を起こした。

「ぶひひひひひ」

 聞き覚えのある声。

 窓をこじあけようと、長い鼻先がもぞもぞと動いた。

「ポニー!」

 シーラは思わず叫んだ。

 まさか、そんなはずはない……と思ったが、目を凝らして何度見ても、牧場で仲良しだったポニーである。

 耳が埋まってしまいそうなくらいの、ふわふわの前髪が、ぶひひ……と揺れた。

 ポニーの高さでは、この窓は苦しいはず。後ろ足でたちあがっていたらしく、姿が見えなくなった。

 シーラは窓に駆け寄って、外を見た。

 ポニーは、シーラにとって嫌な思い出となった芝生の上を走り回り、転げていた。

 そして、立ち上がると、おいでおいでというように前足で地面を掘ってみせ、再び走り出した。

「待って! ポニー!」

 シーラは慌てて着替えると、外へ飛び出した。


 ――まさか! まるで牧場に帰ってきたみたい!


 目の前で小馬を見たというのに、シーラにはまだ信じられなかった。

 どこに行ったのか、ポニーの姿は見えなかった。

 しばらく探した後、シーラは牧場にいた時と同じことをした。

「ピュー」

 口笛。

「ひひーん」

 やはり、いななきが帰って来た。

 主人に呼ばれたポニーは、シーラ目指して一目散に走って来た。

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