許せぬ理由


 馬車の中は、気まずい空気が流れていた。

 肩をいからせ、ずっと目をつぶったまま、口を堅く結んだままのシーラ。

 その向かいに座り、足を組み、じっとシーラを見つめている少年。

 旅が終わるまで、そのままの時間が流れるのだ……と思われた。

 が……。


 かすかなハミング。


 甘い旋律につられて、シーラはそっと目を開けた。

 ずっと見つめられていると思ったが、シーラの婚約者は外の景色を見ていた。

 黒髪と青い飾り紐、それに赤い飾り毛が、窓からの風でかすかに揺れた。

 ――整った横顔をしているが。

 どちらかといえば、精悍な顔つきで、少し触れがたい。けして親しみやすそうではない彼に、この歌声は武器だった。

 誰だって、惹き付けられてしまうだろう。

 ついつい、シーラも聞きいってしまい、ぼうっと見つめてしまった。


「デューンだ」

 いきなり声がした。

 シーラが歌の余韻に浸っている間のことだった。 

「え?」

 ずっと無視してやる! と決めていたのに、ついつい声をあげていた。

 少年は、窓から目をシーラに移した。

 鋭い赤い瞳は、まさに父親そっくり。見透かされてしまいそうだった。

「私の名前だ。モアラ家の嫡子には、皆、【ソリト】がつくから、略して呼ぶことにしている。モアラ家から出た最初のウーレン王の名前の部分を……な」

 シーラは歴史を学んだことがなかった。乳母が枕元で読んでくれた本でしか、知識がない。だから、ソリトという名前の王を知らなかった。

「モアラ家から王が最後に出たのは、もう百年以上も前のこと。今後も出る事はないだろう」

 少しだけ、デューンの顔に笑みが浮かんだ。

「だから、皆、私をデューンと呼ぶ。あなたも、だ」


 ――デューン。


 シーラは、はっとした。

 まるで暗示にかかったように、声に出してしまったのだ。

 デューンは、口元に微笑みを浮かべた。

 そして、呼びかけに答えるようにして、婚約者の名を呼んだ。

「シーラ」


 ――駄目駄目駄目!

 そんなの、絶対に駄目! 許せない!


 シーラは、顔を真っ赤にした。

 こんな婚約なんて、絶対に認められない。

 家のために、仕方がないから従っているけれど、心は違う。

 決められた道を行くなんて、絶対にまっぴらだ。

 拒否する方法は、きっとあるはず。


「あ……あなた、本当にこんな婚約、受け入れられるの? こんな早くに相手決められちゃって、嫌じゃないの?」

 つんつん無視作戦は駄目だった。ならば、ずけずけ本音作戦だ。

 シーラが、嫌だと思っているのだから、デューンだって、嫌だと思っているに違いない。

「少なくても、結婚って、親が決めたのではなくて、いつか……」

 シーラは、思わず言葉に詰まった。

(何、馬鹿なことを考えているのよ、私ったら!)


 ――いつか、お互いに好きになったら……。


 だが、デューンは不思議そうな顔をした。

「親が決めていない。私が決めた」

「え? だって……」

 シーラとデューンは、知らない同士だった。

 決めようがない。選びようがないではないか。

「私は、三度も選択する機会を与えられた。この話が形になる前に、父は私に相談してくれた。それが一回目」

 シーラはあきれてしまった。

 だいたい、それはデューンが物心つくか、つかないかの頃の話だろう。

 相談であるはずがない。言い含められたというべきだ。 

「で、でもっ! それって、私が産まれる前のことでしょ?」

「でも、産まれた時に会いにいった。あなたは覚えていないだろうが、私はちゃんと求婚した。それが二回目」

 シーラは、夢を思いだした。


 ――あ、あれって、本当にあったこと?


 おそらく産まれて間もない頃のこと。

 デューンが会いに来たことが、おぼろげにシーラの記憶に刷り込まれていたに違いない。

 子守唄も、おそらく本当に歌ってくれたのだろう。

 ならば、つじつまが合う。

 予知夢でも運命の巡り合わせでもなく、少女趣味な妄想でもない。

 だが……。


 待っていたよ、

 私の大事な姫君――

 あなたが、生まれてくる日をね。 


「どどどどっど……どの世界に、赤子に求婚する馬鹿がいるのよ? あなた、絶対に変! 変! 変! へん!」

「だから、三度目に確認した。あのパーティーの夜に」

 シーラは絶句した。

 とんでもない馬鹿げたことをやらかしたあの夜に? どう考えても、惚れられる要因がない。

「父は、あなたが本番を逃げ出してしまったことで、気が弱い娘と思ったらしい。モアラ家にはなじめないだろうと、この話を白紙撤回するつもりだった。でも、最終的には、私の意志を尊重してくれた」

 道理で、ソリトリュート・モアラの態度は、ああも無礼だったのだ。今から思えば、この娘のどこがいいのだ? という態度がにじみ出ていた。

 いや、おそらく、ソリトリュートはシーラを試したのだ。わざと、あのような態度に出て。

 最終的には、シーラがけして気が弱いとは、思わなかったことだろう。

 だが、それよりも問題は、なぜ、デューンは、父親を説得してまでこの話を押し進めたのか? だ。


 ――元々は、勝手に決められた婚約なのよ!

 私のこと、何もしらないくせに!


「な……なぜ、そんな意志を持てたのよ!」

「あなたが舞台からはなれた理由を知っていたからだ」

「ど、ど、ど、どんな理由よ!」

 デューンの口元に笑みが浮かんだ。

「私の求婚を覚えていたからだろう?」

「そ、そ、そ、そんなはず、ないでしょう!」

 シーラは、即座に否定した。確かに、夢で歌を覚えていたので、そうだ……とも言えるのだが。

 顔から火が出そうになって、シーラは顔を両手で覆った。

「私、あなたが大嫌い! こんな婚約、絶対、嫌!」

「冷静になりなさい。そうしたら、素直になれるから」


 その後、シーラはずっと顔を覆ったまま、膝におでこを付けるようにして、小さくなっていた。貝のように頑なに。

 その向かいで、窓に流れる景色を見ながら、デューンは再び歌いだしていた。

 あの子守唄の旋律を、ハミングで……。

 貝のように――は、嘘だった。シーラは、顔を覆ったまま、その優しい旋律を聞いていた。

 おそらく、デューンのことはそれほど嫌いではないと思う。

 ただ、どうしても素直に、はい、婚約者ですね……とは、認められない。

 この婚約には、許せないことがたくさんありすぎる。

 中でも、もっとも許せないのは……。


 ――私……。

 こんなに動揺しているのに。

 どうして、そんなに冷静でいられるの? 

 何を考えているのか、全然わからないっ!

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