第27話 海夏と、ちち



 ふわりと目線を合わせたとき。俺の中で、覚悟が決まった気がした。

 目の前の義父をまた見据える。ゆらゆらと立ち上がった義父は完全に頭に血を登らせ、血管を浮き立たせている。


「ー…こいよぉ。海夏ぁ!!さっきみたいに俺を殴ってみろよぉッ」

「俺はー…お前とは違う」


 俺はバットを前に構えていたが、握りしめる手を緩め手を下ろした。


「……あ?俺が憎くないのかぁ……?! 殴られたりねぇってか」


 龍がその言葉を聞いて殴りかかろうと前のめりになるのを海夏が止めた。


「やめろ、龍」


 クソッと言いながら拳を下ろしたものの、肩は怒りで震えている。


――憎くない?


――憎くない?


――憎くない? それ、本気で言ってるのか? 


――憎くない?


 俺は唇に血を流しながら歯を食いしばる。


――憎くない? そんなの。憎いに決まってる。


 どんだけ、俺達を苦しめたと思っているんだ。

 骨折をした傷がずっと痛いんだ。痛くて痛くてたまらない。

 思い浮かぶのはいつも苦しいことばっかりだ。

 嬉しいことの数なんか。恐怖心で一瞬で塗り替わって。ずっとその事だけループして。夢の中にまで支配して。

 母さんを。姉ちゃんを。柚を。どれだけ、泣かせたと思ってるんだ。どれだけ、傷付けたと思ってるんだ。どれだけ、苦しめたと思ってるんだ。どれだけ、痛めつけたと思ってるんだ。どれだけ、恐怖で埋め尽くしたと思ってるんだ。どれだけ――。

 


――殺したいほど、憎いに決まってる。


 だけど。


「俺はお前とは違う。俺はお前をもう殴らない。それでもー…」


 海夏がもう一度バットを強く握りしめた。


「それでも、もしー…ここにいる龍やまた、皆を苦しめるなら……」


――俺は。


――俺は。


「皆を守るためなら、殴るし。お前を殺す事も迷わない」


 何を言い出すのか。海夏の考えが甘すぎると考えたのか。義父が鼻で笑った。


「やってみやがれ! その前に俺がお前を殺してやるッ」

 

 バットを握りしめた手の上に龍の手が重なり、龍がそれを義父に目線の高さで突き付けた。


「バーカ! それをさせないために俺がいるんだよッ。海夏も海夏だ。お前が人殺しで警察に捕まったら誰が悲しむと思ってんだよッ」


 ふっ。さっきは龍が俺のかわりに殴ろうとしてたくせに。

 この止めれる自信はどこから来るのか。

 

――ほんと。お前が横にいると心強い。


「クッ……くそがああああああああああ!!!!!!!」


 義父が片方の拳を頭上に振り上げ接近、海夏の頭上に影が落ちた。そして、一気に振り落した。


「ー…私の息子に。手をあげないでもらえます?」


 義父の腕を、ふわりのパパがきつく握りしめながら、途中で止めていた。あと少しで目に当たっていた。


「………………とう……さん………………」

 

――とうの昔に忘れていた。


 ふわりのパパが後から入って来た警察に、義父を引き渡す。

 警官の一人がふわりのパパに注意をする。


「困りますよ! いくら息子さんが心配だからって……我々に任せて貰わないと、貴方も危険な目に合うかもしれないですから」

「すいませんー…」


 苦笑いしながらぺこぺこと警官にお辞儀をした。そして、俺と龍に視線を向けると近付いてきて。龍の怪我の確認の後。俺に視線を向けながらー…。


――忘れていたはずなのに。どこか、懐かしくて。


 気が付いたときには、ふわりのパパの胸の中にいた。


「ー…良かった。無事で………………とは。言い難いけど…………本当に。良かった」

 

――もう。顔も思い出さないのに。


「…………とう…………さん………………」


 色んな感情が高まって来て。もう、ぐちゃぐちゃだ。

 目頭が熱くなって。喉が熱くなって。


 きつく結ばれた腕の僅かな隙間から片手を動かし、俺は片手で目を覆った。手が震えて、力が思ったように入らない。

 覆ったつもりだったのに……。指の隙間からすり抜けて。すり抜けて。すり抜けてー…。


――アクアマリンの瞳から大粒の涙が溢れて。止まらない。


――止まることを知らない。


 俺は鼻を啜りながら、何度も何度も。何度も何度も何度も。目を擦る。


――でも。それでも。止まらなくて。


 ふわりのパパが泣き止むまでずっと抱き締めてくれた。


「よく、頑張ったな」


 頭を優しく撫でてから、ぽんぽんと。小さい頃にしてくれたように、大きな手がそこにはあった。


「海夏かぁああああ!!!! 覚えてろよぉおおおおッ! お前もいつか道連れにしてやるからよぉお!!」


 ふわりのパパが何も見えないように抱きしめ、耳を塞ぐようにしたが。それでも、聞こえてきた。

 警察に無理やり連行されながら、振り払おうとしているのだろう。俺に向かって義父が叫び続ける声が聞こえた。

 

 これが、アイツの最後のセリフだ。


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