第16話


 近づきたいのに、近づくことを拒まれた……。

 頬にキスをされ、愛してるよと言われた。

 だけど、きっとそれは“おままごと”だから。そう思うと悲しくて。溢れそうになるくらい嬉しかった気持ちも一瞬、今はただただ虚しい……。

 頬をパチンと両手で叩き、気持ちを無理やり切り替えた。

 “おままごと”に集中しなきゃ。そして、柚ちゃんと楽しまなきゃね。

 ついさっきまでカレーをモグモグと口を膨らませたフリをした二人。


「でっけぇ口……」

「おっきいモグモグだね」


 同じ事をした筈なのに。なんでだろう。


「だ、だって柚ちゃんの料理が?世界一、美味しい…から!」


 余りにも必死過ぎたのか。


「ふ〜ん。ま、そういうことにしとこうか」


と、くすりと笑われた。


「えへへ。柚ちゃの料理世界一だって!」


 柚ちゃんは、脚を組んで座った海夏君の肩に手を掛けながら、両足でジャンプ。

 振動で海夏君の首がグラグラ。ちょっと可哀想かも、と思いつつも口はニヤけてしまう。


「柚、ここに食べ残しがあるぞぉ」


 体をひねり素早く柔らかいお餅を伸ばし縮みする。


「オにゃいおニャイ」


 頬を伸ばし縮みする手はまるで職人だ。


「凄く美味しそうなお餅だわ」


 本当に食べちゃいたいくらい。

 そうだろと言わんばかりに頷きながら海夏君が手を離した。

 少し赤くなった頬をプクリと膨らませた柚ちゃん。


「柚ちゃ、お餅違うもん!」


 奥のリビングに走っていったかと思うと仕切りの襖を閉めた。と、直ぐに頬を膨らませたままの顔を半分覗かせる。


「兄ちゃとふわちゃの子供だもん!」


 グハッ!! 我が娘。か、可愛すぎる!!


「あたし、開いちゃ駄目な扉が開きそうかも……」


 心臓辺りを抑えながら、ヘルプと海夏君の隣に崩れ落ちながら言った。


「開くな閉じろぉ? 先生、誘拐は許しません」

「いつの間にか旦那さんから先生になってるよ」


 そうか? と少し考えてから、口を開いた。


「ー…じゃあ」


 手があたしの頬に触れる。


「危なくなったら、俺の事思い出して」


 あたしは息をするのを忘れるほど、目を見開きながら瞳を見ていた。


「俺だけ見ててー…」


 数秒お互いに見つめ合いながら、あたしは思考停止。だが、柚ちゃんの視線を感じすぐに我に返った。


「だ、駄目だよ。柚ちゃー…娘の事も考えて見なきゃ。あたし、ママだもん」


 ワタワタしながら、海夏君の側を離れる。

 どうにかして落ち着かせよう。

 そうだ。ママらしくしなきゃ。ママらしく。

 何気ない一言だった。


「こら、柚! ごちそうさました後の食器はちゃんと片付けなさい」


と、心を落ち着かせながら軽く注意してみる。

 慌てて襖から覗かせていた姿が見えなくなり、リビングの奥に消える。

 海夏君の側を離れた後、柚ちゃんの消えたリビングに向かった。

 中に入ると、誰もいなかったー…。


「柚ちゃんー…?」


 海夏君に知らせようとした時。リビングにある机が僅かに揺れていることに気づいた。

 地震?!!

 だとすると、今すぐ逃げ身の安全を確保して、柚ちゃんと海夏君にも知らせないとと思いつつ、聞こえてくる音が妙に変だと気づく。

 カタカタという揺れる音だけではなく、何かの音も混じって聞こえる。

 あたしは耳を研ぎ澄ませた。


「ー…サイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイ」


 ー…まさか。そう、思った。

 あたしはかがみ込みながら机の下を見た。

 柚ちゃんが小山座りをし、両手で耳を塞いで。血相を変えて、泣きじゃくり、小刻みに震え、ひたすら小さな声で謝っていたのだ。


「ご、ごめんね柚ちゃん! 怖がらせるつもりじゃなかったの」


 いくら謝っても、聞こえていないのか、変わらなくて。

 あたしに、分かるはずなかったんだ。

 親らしくならまだわかるけど、ママらしくってあたしにわかるはずがなかったんだ。

 あたしが小さい時に天国に行ったママ。記憶なんてほとんど残っていないのに。

 厳しいのも愛。

 何処か憧れてたんだ。優しいパパは大好き。でも、ママが居ないぶんからか怒られたことがなかった。それは別に悲しいとかじゃなくて、ただ、人と違うことを羨むのと同じ事だった。

 当然、怒られて喜ぶ子は殆どいないだろう。むしろ、泣くほど嫌がることだ。

 それにしても、柚ちゃんのこの反応は……。

 柚ちゃんの息遣いがだんだん荒くなっていく。

 またいつの間にかなり始めていた工事、息遣い、机の揺れる音がゴチャ混ぜになりながら頭の中で木霊しているみたいだ。


「ど、どうしよう。柚ちゃんがー…!!」


 工事の騒音のせいか、思ったより喉から声が出なかったのか、隣の部屋に居るはずの海夏君を3回くらい呼んだが反応がなかった。

 呼びに行くしかないと元の部屋に戻り、そこから目に飛び込んで来た景色に驚愕の他なかった。

 そこには、見知らぬ大柄の髭を生やした男と腹を抱えて苦しそうに床に倒れている海夏君の姿があったー…。




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