第15話



 小学生低学年と言ってもついこの間までは幼稚園児。

 その年頃ふわりはよくある遊びをしていて、誰しも一度は聞いた事や、実際にしたことがある遊び。

――そう思っていた。

 けれど、柚ちゃんは『おままごと』を知らなかった。


「何をして遊びたいの?やっぱり“おままごと”かな?」


 柚ちゃんは目を点としながら首を傾げる。


「お、ママー…ごぉと?」


 あたしは驚きを通り越し焦りだした。


「あ、あれ?!柚ちゃん“おままごと”知らない?!!あ、あたしだけだったのかなよくやってたの」


 あたしだけ?と、確認をとるために海夏君をチラチラ。


「俺はあるよ……って、あれ?柚って“おままごと”知らなかったっけ??」


 どうやら海夏君も知らなかったみたい。


「ううん。柚ちゃ、おママごぉと知らない。……ママになるの?ごぉとってなぁに?」


 さっき知ったばかりの言葉の意味を小さな頭で考えながら口の端に人差し指を当てる。

 嘘だろ……と額に手を当てながら、大きな溜息が海夏君から出る。


「俺って何やってたんだろ……」


 額に当てていた腕に飛び付くように、小さな両手で体が揺すられた。


「おママごとってなに?柚ちゃそれ!それ!やってみたい!!おママごとしよ?」

「わかった、わかった!だからあんまり揺するな」


 妹の頭をポンポンっと優しく微笑む姿は、あたしまで心がほっこりする。


「柚ちゃんがママかな?」


 ふるふると首を揺らした。


「柚ちゃ、妹。このままでいい!う〜んとねぇ、お兄ちゃん、パパね。ふわちゃー…ママ!」


 同時に口を揃え「え」と零れた。


「あ、でもそしたら妹じゃない……。柚ちゃ二人の娘!」


 つまり、それって。


「俺らが」

「結婚した前提ってこと……だよね」


 ただの“おままごと”だしね。そうお互いに何故か照れながら笑い合った。胸の鼓動を隠しながら。

 柚ちゃんは早速その場に座りながら手を動かし、エア調理。どちらかと言うと、ママ役のあたしの気がするんだけど、敢えて言わないことにした。


「コツコツコツコツ人参さん切ってるよ」


 そっとそんな様子を見ながらあたしの隣に来てコソッと。


「あまんまり、気にするなよ」


 頬を人差し指でポリポリしながら。


「柚が“おままごと”知らなかったのに無神経な事言ったかな……とか」


 それは、心の隅でチクチクと刺さっていた事だった。

 皆が当たり前って事じゃなくて。当然なんて無いって事。

 柚ちゃんには聞こえないギリギリの普段の声量に戻りながら言われる。


「確かにふわりは、無神経、世間知らず、のう天気なとこあるー…」


 グサグサグサッ


「海夏君……実はそんな事思ってたの?」

「ー…けど、優しくて、空気がふわふわしてる」


『空気がふわふわ』って、褒め言葉なのだろうか。


「そこがいいんだよ。ふわりはそのまんまでいてよ。これ以上ー…」


 聞き間違い、だろうか。

 もう一回だけ聞いてみる、しか。

 ねぇ。どうしてこっちを見てくれないの?

 次の野菜を口で告げながら刻む擬音が心地良い音色の筈なのに。

 見ていたその微笑みは少し前に頭を撫でていたものとはどこか違った。微笑んでるのに、こんなの微笑んでいないよ。


「“踏み込んでくるな”って、“俺に関わるな”って……そう、言った?」

「言った。これ以上踏み込んでくるな、俺にも必要以上に関わるなって。そう、言った」


 もう一度あたしに目線を向けずに、よりはっきりと返答があった。


「グツグツコトコト。ママ〜パパ〜おかえりなさい!柚ちゃ特性うましうましカレー出来たよ!!」


 すると、海夏君がいつもと変わらない笑顔をあたしに向けながら、

「仕事帰り一緒かな?ママいつもお仕事お疲れ様。少し疲れてるんじゃない?」

頬に優しくキスをした。

 わからない。

 キスをされたところを両手で触れる。


「あー!パパママいちゃついてるぅー!!」

「愛してるよ、ふわり。ほら、愛しい娘が温かいご飯を作って待ってるから行こうか」


 あたしの手を引いて柚ちゃんの元へ。

 何を考えてるかわからない。

 だけど、これだけはわかる。普段の笑顔だけど、あたし、海夏君に壁を作られた。見えない壁を。


「うん……パパも、少し疲れて見えて……無理だけは、無理だけは絶対に……しないでね」


 そう、伝えるしか無かった。

 ふわりは引かれている手を握り締める。


「あたしも、愛しているから」


 海夏も強く握り返した。



 これは“おままごと”。


  

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