無いものねだり。

 「向こうをで見てみろ。」

指差した前方の海に双眼鏡をかざす。

「..何もないぞ」

「運が悪いな、偶に遠くが微かに赤っぽく煌く。何かはわからないが」


「本当か?

他の連中は見えないと言っていたぞ」

「不思議だよな、何度もここにきたが俺以外は一切見えちゃいない。」

 そんな希少な光を態々彼女に伝えたそれは彼女がそれを見る素質を持っているからに他ならない。

「あそこに何があるかは後で教えてやる、行き方を知っているか?」

「何があるかもわからないんだ、行き方なんてわかるかよ。」

「役に立たないな、やっぱり男は..」

「そうでもないと思うぞ?」

 さっきまで止め処なく響いていた獣のうめき声がやんだ。


「おーい!」

「奴ら

アレを担いで態々迎えに来たのか?」

「そういう奴等だ、帰るぞ。」

何しに来たのだといつも疲労が体を蝕むのみで手間ばかりが掛かる。手紙を読んで燃やすだけ、工場を壊して燃やすだけ、今回はよく知らない男の話を聞いて海を眺める。悪循環は今日こんにちも続いて彼女を惑わせる。

「なんか見つかったか?」

「..なにも」「やっぱりな!」

 船から再度海を眺めたが赤い煌きは見えなかった。聞いた話が全てデタラメの嘘ならば、殺し屋としての仕事をする事になるが暫くは双眼鏡を握って誤魔化すことにした。

「着いたら飯だ、お前も食うよな?」

「貰おうか。」

「お、素直に食うか!

やっぱり我慢してたんだな」

「明確な目的を掴んだ。その為の腹ごしらえをするのさ。口に入れば何でもいい、調理して振る舞え」


「客の態度だとは思えねぇな...。」

 街に戻る頃には陽が落ちて薄暗くなっていた。タジン料理といえば鹿や猪だが男達が拵えたのはカラスにトカゲ、名もわからぬカニなど特殊な品ばかり。鹿や猪はちらほら添える程度の飾りくらいに皿に盛られている。


「ほら食え、美味いぞ!」

〝何でもいい〟と言ったのが仇となり本当に見境の無いメニューが現れてしまった。

「酒でも掛ければ毒が消えてくれるだろうか、腹で暴れるなよ?」

特にカニは細菌が湧きそうなので、殻と肉の間に度の強い酒を流し込む。

「酔ったか甲殻類、弱いな。

酒に飲まれる方だなお前は」


「お、お前酒持ってんのか!

少し分けてくれよ、宴といこうぜ!」

「これは私の酒だ。

悪いが一滴も分けてやれないな、代わりにこれをくれてやる」

懐から取り出した札束を食卓にばら撒く。これが人を殺した対価だとは誰も決して思うまい。

「嘘だろ、いいのかよ⁉︎」

「構わない。魚でも酒でも好きに使え惰性で待ってたが旅には一番必要の無いものだからな」

 衣・食・住が約束されていない環境では金が役立つと執拗に懐に詰めては来たが行く街行く街機能をまるでしない廃墟であれば価値の無い紙切れでしか無い。事実ここに来るまでの軌跡の中で役立った事は一度も無かった。

「男は金が好きなのか..」

「お前が変わってんじゃねぇか?

金なんて皆手が出る程欲しいのによ」

 金は酒に替わるチケットだと思っていた。酒は好きだがそれを替える紙切れ自体に価値など無いのか当たり前。


「取り戻さねば、直ぐに心を。」

 戻したところでわからない、笑顔の仕方は覚えていない。ただ感情を溜めておく場所を設けておきたい、捉えたものを留めておきたい。突然無くした身体の器官をもう一度取り戻したい。

「そうすればいつかはきっと..」

 最終的な彼女の目標は、殺し屋を完全に辞めること。銃を置き酒を置き、笑わなくとも自由を歩く。

「じゃあな、男たち」

「おう!気を付けていけよ!」

「誰に言っている?

心配される前に標的は死んでいる」

「いちいち言う事怖いな姉ちゃん...」

「双眼鏡は貰っていく。」

赤い煌きが見える箇所が他にもあるかも知れない。

「蟹の味は良かったな、今度見つけたら自分で調理をしてみよう」

男達との思い出は酒臭い蟹と泥臭い双眼鏡のたった二つ。これでもしっかり残ったほうだ。


「酒は飲まれど飲まれるな..偶には飲まれてみたいものだな。」

空の酒瓶を道端へ投げる。

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