ユア・セルティマ・センカー

 再び人間界を訪れる許可が出たのは三十年後のことだった。


 お気に入りだがちょっと派手な湖水狐フィマカ毛皮の外套も、珍しく降った雪のせいで注目されずに済む。皆、傘を差すか足元を見ているからだ。

 水鏡で見ていた通りの道筋を辿って車寄せを通り過ぎ、自動ドアを通り抜ける。入口内の総合受付端末でお見舞い相手のIDと自分の名前を入力し、お見舞いの可否表示を待つ。あらかじめ登録された家族など近親者なら、検査中や食事中でもその旨表示した上で面会可AVAILABLEが出るし、それ以外の第三者なら設定に従い面会不可NOT AVAILABLEが出る。患者IDを知らされている人しかお見舞い可否情報にアクセスすらできず入棟できない、という仕組みが現代では一般的になったらしい。

 まあ、いいんじゃないのかな、それで。会いたくもないうっすい関係の人に病室まで押し掛けられても迷惑だしね。

 私? 私は別にIDお知らせされてはいないんだけど、知っているから。

 いつも見てるから。


 『センカワ ユア さん → 患者ID:E7=691B=K3275 面会可AVAILABLE 東7棟418号室 この表示内容は当日14:56まで有効です』


 私の名前が許可リストに登録されてることも、知っている。

 いつも見てるからね。



 外套をロッカーに預け、手荷物を自動X線検査にかけてから、手指消毒。エアロック室で四方八方から風を吹き付けられ全身のほこりちりを飛ばされると、やっと病院内に入ることができる。明るく清潔そうな病棟を歩き、指定の病室へ。

 病室ドア横のセンサーに掌をかざすとやがて応答があって、自動のスライドドアが静かに開いた。

 中には、ベッドに寝かされた中年の女性と、怪訝そうな顔でそのそばに立つ高齢女性がいる。


「こんにちは」


 入室した私はベッドの女性の方に声をかけた。


「入れてくれてありがとう。具合は?」


「あんまりよくないよ。でも具合わるいのと機嫌は別だから、今はうれしい。

 ゆあかっこよくなったね」


「そうかな?」


 うん、と頷いてお姉ちゃんが微笑む。

 お姉ちゃんも変わったよ。大人っぽくなった。


「あの」


 ベッドサイドの女性が声を出した。


「失礼ですが、心桜みおとはどういう……入院するときこの子が、どうしても近親者リストにユアという名前を入れてほしいというので入れましたが、親族にこの名前の人はいませんし、誰だろうと思っていたんですが……」


「ご本人は何と?」


「妹だというんです。この子は一人っ子なのに」


「そうですね」


 私は子供ではなくヘルパーだったからね。

 『千川優心ゆあ』を千川心桜みおの妹だと思っていたのは、最初から千川心桜ひとりだけだったから。


のおっしゃることが正しいですよ。お嬢さんには妹がいたんです。私はユア・セルティマ・センカー」


 高齢女性――お母さんはたちまち不審から驚きに表情を変えた。式符師セルティマという魔法界の職人種名は、人間界でも知られている。


「魔法使い……?」


「ええ」


心桜みお守護魔法使いエッカーがいたんですか!」


人間界こちらではそんな風に呼ぶようですけどね。妹です」


「じゃあ心桜みおを助けに来てくれたんですね」


 じゃあって何だ。私は医者ではなく治癒魔法も使えない。私は魔法使用を補助する式符セルの製造職人であって、人間のがんは治せない。


「違いますよ」


 私はお母さんの目を見て言った。


「私には病気をどうこうする能力はないので。今日はお別れとお礼を言いに来ました」


 お母さんの顔にはたちまち失望の色が浮かぶ。魔法界が人間をあなどり見下しているように、人間も魔法使いを万能と考えすぎるきらいがある。この三十年、お母さんはあまり進歩していないようだから、これで私に不満を抱いたことだろう。勝手に期待して勝手に押し付けてそれが満たされないと勝手に被害感情を持つ、昔のままのお母さん。


「あなたね、お別れって縁起でもない……!」


 いらった調子で言いかけたお母さんは、ふとベッド上の娘の様子に気付いて言葉を止めた。お姉ちゃんは昔と同じように、くふくふ笑っていた。


「ゆあ、ゆあ、おいで。じかんがもったいないよ」


 そうだ、お姉ちゃんはいつも私に対して、お姉ちゃんっぽい言い方をした。誰にどんな風に滅茶苦茶言われても、お姉ちゃんだけは私を支援者ヘルパーじゃなく妹として見ていた。お姉ちゃんだけが都合ではなく現実で私を見てくれていた。

 だからこそ三十年前、本当のことを知らせて許してもらいたかった。実際には言い出せなくて、イルミナに一切合切バラされてしまったけれど。

 でもね、お姉ちゃん。

 許してくれて嬉しかったよ。

 背中を押してくれて嬉しかったよ。

 のあの朝、学校に行くふりをして家を出る私に言ってくれたこと、今でも忘れてない。


――ゆあ、ゆあがすきなことみつけておいでね。

――みおがずーっと、おうえんするからね。


 あの言葉があったから私は、魔法界での元人間差別とか偏見に遭っても人一倍頑張って来られた。独りじゃないと分かっていたから。ここで自分の好きなものを掴み居場所を作れなければ、私を送り出してくれたお姉ちゃんに申し訳が立たないと思っていたから。

 役割のために魔法界の都合で造られた魔法使いではあっても、その中で私自身が好きになれるものを探し続けた。

 そして私は式符師セルティマになり、今では弟子を取ることも許されるようになって、姉が死ぬ前に一度だけ人間界に戻らせてほしいという願いもようやく聞き入れられたのだ。


 私は病室の床に膝をつき、ベッドに頭をもたせかける。

 懐かしいお姉ちゃんの匂いがする。

 あの頃はぷくぷくだったお姉ちゃんの手は今や痩せ細り、それでも優しく私の頭を撫でる。


「ゆあおおきくなったねえ」


「そうなの。実はちょっと背が伸びてさ」


「すごいじゃん。すきなものみつけた?」


「うん。今の仕事好き」


「どんな?」


「小さめの紙とかに、決まった魔法の力を持たせる仕事。式符師セルティマっていうの。魔法使いはその式符セルを組み合わせて、もっと大きな魔法を使う時の道具にする」


「おふだみたいなの?」


「そうだね。そんな感じ」


 私は話す。今の私の日常を。その言葉は私から流れ出してお姉ちゃんという器の中に溜まっていく。お姉ちゃんはもうすぐ死んで消滅する。その時、私から流れ込んだ記憶や言葉も一緒に消滅する。

 それまでのほんの僅かな時間だけでいい。私のことを知っていてほしい。

 あなたが作った私の道を知っていてほしい。

 そしてあなたが消えた後も、私の中にあなたは残る。

 たったひとりの家族として。



 その日、二時間ほど病室にいてから、人間界を後にした。そうそう許可が下りるものではないから、もう二度と戻ってくることはないかもしれない。

 私たちは笑って別れた。


 大丈夫、お姉ちゃん、私まだ泣いてないよ。

 魔法界夢の中に行くまで泣かないよ。


 ありがとうね。








 * * *



 それから一月ほどしてお姉ちゃんは亡くなった。







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