ユア・セルティマ・センカー
再び人間界を訪れる許可が出たのは三十年後のことだった。
お気に入りだがちょっと派手な
水鏡で見ていた通りの道筋を辿って車寄せを通り過ぎ、自動ドアを通り抜ける。入口内の総合受付端末でお見舞い相手のIDと自分の名前を入力し、お見舞いの可否表示を待つ。あらかじめ登録された家族など近親者なら、検査中や食事中でもその旨表示した上で
まあ、いいんじゃないのかな、それで。会いたくもないうっすい関係の人に病室まで押し掛けられても迷惑だしね。
私? 私は別にIDお知らせされてはいないんだけど、知っているから。
いつも見てるから。
『センカワ ユア さん → 患者ID:E7=691B=K3275
私の名前が許可リストに登録されてることも、知っている。
いつも見てるからね。
外套をロッカーに預け、手荷物を自動X線検査にかけてから、手指消毒。エアロック室で四方八方から風を吹き付けられ全身の
病室ドア横のセンサーに掌をかざすとやがて応答があって、自動のスライドドアが静かに開いた。
中には、ベッドに寝かされた中年の女性と、怪訝そうな顔でそのそばに立つ高齢女性がいる。
「こんにちは」
入室した私はベッドの女性の方に声をかけた。
「入れてくれてありがとう。具合は?」
「あんまりよくないよ。でも具合わるいのと機嫌は別だから、今はうれしい。
ゆあかっこよくなったね」
「そうかな?」
うん、と頷いてお姉ちゃんが微笑む。
お姉ちゃんも変わったよ。大人っぽくなった。
「あの」
ベッドサイドの女性が声を出した。
「失礼ですが、
「ご本人は何と?」
「妹だというんです。この子は一人っ子なのに」
「そうですね」
私は子供ではなくヘルパーだったからね。
『千川
「お嬢さんのおっしゃることが正しいですよ。お嬢さんには妹がいたんです。私はユア・セルティマ・センカー」
高齢女性――お母さんはたちまち不審から驚きに表情を変えた。
「魔法使い……?」
「ええ」
「
「
「じゃあ
じゃあって何だ。私は医者ではなく治癒魔法も使えない。私は魔法使用を補助する
「違いますよ」
私はお母さんの目を見て言った。
「私には病気をどうこうする能力はないので。今日はお別れとお礼を言いに来ました」
お母さんの顔にはたちまち失望の色が浮かぶ。魔法界が人間を
「あなたね、お別れって縁起でもない……!」
「ゆあ、ゆあ、おいで。じかんがもったいないよ」
そうだ、お姉ちゃんはいつも私に対して、お姉ちゃんっぽい言い方をした。誰にどんな風に滅茶苦茶言われても、お姉ちゃんだけは私を
だからこそ三十年前、本当のことを知らせて許してもらいたかった。実際には言い出せなくて、イルミナに一切合切バラされてしまったけれど。
でもね、お姉ちゃん。
許してくれて嬉しかったよ。
背中を押してくれて嬉しかったよ。
七日目のあの朝、学校に行くふりをして家を出る私に言ってくれたこと、今でも忘れてない。
――ゆあ、ゆあがすきなことみつけておいでね。
――みおがずーっと、おうえんするからね。
あの言葉があったから私は、魔法界での元人間差別とか偏見に遭っても人一倍頑張って来られた。独りじゃないと分かっていたから。ここで自分の好きなものを掴み居場所を作れなければ、私を送り出してくれたお姉ちゃんに申し訳が立たないと思っていたから。
役割のために魔法界の都合で造られた魔法使いではあっても、その中で私自身が好きになれるものを探し続けた。
そして私は
私は病室の床に膝をつき、ベッドに頭をもたせかける。
懐かしいお姉ちゃんの匂いがする。
あの頃はぷくぷくだったお姉ちゃんの手は今や痩せ細り、それでも優しく私の頭を撫でる。
「ゆあおおきくなったねえ」
「そうなの。実はちょっと背が伸びてさ」
「すごいじゃん。すきなものみつけた?」
「うん。今の仕事好き」
「どんな?」
「小さめの紙とかに、決まった魔法の力を持たせる仕事。
「おふだみたいなの?」
「そうだね。そんな感じ」
私は話す。今の私の日常を。その言葉は私から流れ出してお姉ちゃんという器の中に溜まっていく。お姉ちゃんはもうすぐ死んで消滅する。その時、私から流れ込んだ記憶や言葉も一緒に消滅する。
それまでのほんの僅かな時間だけでいい。私のことを知っていてほしい。
あなたが作った私の道を知っていてほしい。
そしてあなたが消えた後も、私の中にあなたは残る。
たったひとりの家族として。
その日、二時間ほど病室にいてから、人間界を後にした。そうそう許可が下りるものではないから、もう二度と戻ってくることはないかもしれない。
私たちは笑って別れた。
大丈夫、お姉ちゃん、私まだ泣いてないよ。
ありがとうね。
* * *
それから一月ほどしてお姉ちゃんは亡くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます