心桜の手
居眠りしながら電車を乗り継ぎ、地元駅に着いたら直結のショッピングセンター五階のお手洗いに直行。美容室やネイルサロン、着付け教室などのフロアであまり人の出入りが多くない割にはトイレが大きくて綺麗なのでいつもここに来る。
個室に入り便器の蓋の上に座って、すぐに目を閉じた。
眠い。
修学旅行以来ずっと、すごく眠い。
通学中も電車の中で立ったまま寝ているし授業中も眠い、家に帰ってもあまりにも眠い。眠くて反応が鈍くなって何度もお母さんに文句を言われている。日に日にクマも濃くなってきていて正直ひどい顔だが、心配してくれたのは
原因は分かっている。夢見が悪い。
死体を見ながらコーヒー飲んでぼんやり泣いてる私。
これで『お姉ちゃんのための私』を辞められるかもしれない。お姉ちゃん優先の世界から解放されるかもしれない。
自分が心からそれを願ってたと気付いてしまって、でもそれで何が悪いの? って思ってて、けど本当にそんなこと許されるんだろうかと思って、喉が渇いてて、コーヒーおいしくて、家で待ってるお姉ちゃんとか目の前の友達の死体よりも自分のこと考えてる自分に泣いた。
……というような夢を毎日毎日見ていて、同時に死体だった友達とギャハギャハ笑って見せ、家ではやっと捨てられると思ったお姉ちゃんの世話を続けている。
厳しい。
しんどい。
頭の中がぬるい石みたいに重い。
――眠い。
そのまま三時間眠り込んでしまった私は、予定より大幅に遅れて帰宅してお母さんに散々怒られた。怒られるのは分かっていたけど、予想より遥かにたくさん怒られた。
何で連絡もしないの。何でLINE無視したの。お母さんが何度もLINEしたら
甘えたことなんてない。甘えていいと思ってそうしたことなんてない。
お母さんはお母さんじゃないし私も娘じゃない。お母さんは
そうは言えなくて、声は出なくて、夢の中では流れた涙も現実では下
お母さんはもう少し何かわめき散らして私のスマホを本当に取り上げた後、手に持っていたタオルをその辺に投げつけながら部屋を出ていく。この後の指示は何もなかった。私が予定外に帰宅しなかった間、お姉ちゃんの世話などがどうなっているかの情報共有もなかった。こういう時、私は自分で素早く家の中とお姉ちゃんの様子から何がどこまで済んでいるか察しをつけていつもより早く手を動かさなければならない。それでやっとお母さんの中で『ものすごいマイナス』から『ちょっと強いマイナス』に戻ることができる。
お姉ちゃんの部屋を覗くと、ベッドの上から小さく手を振られた。お姉ちゃんはお母さんが思うより赤ちゃんじゃない。ドアは閉めてたけど私が怒られたことは分かってる。さっきまでお母さんが機嫌悪かったはずだし私が帰ってこないとお母さんが言ってたに違いないからだ。
私はお姉ちゃんのことが嫌いなわけではない。
ゆあないてるの、とお姉ちゃんは言った。泣いてないよ、まだ。夢の中に行くまで泣かないよ。
ベッドの横の床に座って、布団の上に横向きに頭を乗せた。お姉ちゃんの匂いがする。ふかふかのお布団が頭の半分を包み込む。身体も頭もぐったり疲れている。私の頭をお姉ちゃんのぷくぷくの手が撫でる。
ゆあ今日の楽しいはなしは?
楽しいことあんまりないな。ああでも、
お姉ちゃんはくふくふ笑いながらずっと撫でてくれる。私ってお姉ちゃんにしか撫でてもらったことないんじゃないだろうか?
そう思ってるうち、お姉ちゃんは次にこう言った。
ゆあ、わるいゆめたいへん?
ゆあがんばりやさんだからだいじょうぶだよ。
いいまほうつかいになれるよ。
ああ、お姉ちゃんは。
お姉ちゃんだけが、私のことを。
しって、いるんだな。
私がお姉ちゃんを置いてここから逃げたいと思ってることを。
知っているのに、笑って撫でてくれるのか。
その晩、また夢を見た。
これまでとほとんど同じだけど、
――明日で約束の七日目です。調子はいかが?
よくはないよ。
――
――よかったじゃないの。何故泣くことがあるの?
だって私はたった一人の家族を捨てるんだから。
卑怯者なんだから。
――なにも孤立無援の環境に放置するでもあるまいに、べつに構わないでしょう。それより、立派な魔法使いになることこそ世のためではなくて? 魔法は世界を支える力ですからね。
イルミナの掌に七色に輝く闇みたいな不定形の何かが乗っている。それが
結界の中で徐々に濃くなる魔法圧に耐えられず、弱い者から死んでいった。その、死んだ九人から集められた
あの日、密室の中で最後まで生き残った私にそれが移植される。
私は誰の記憶からも消え、魔法界で生きることになる。
お姉ちゃんはどうして知ってるんだろう。私、何も言ってないのに。
するとイルミナは、きらきらの縁取りのある大きな目を三日月みたいに細めて笑った。
――私がお伝えしました。あなたには
――回収率が悪いと私の立場にも関わるの。人間界に拡散した魔法の力、
――
その夢の最後の瞬間、『ホテルうみねこ』のロビーにぶら下がっているのは私の死体だった。
生き残ることで人間界から消え、私は死んだ。
死ぬことで生きた。
生きてまた、役割のために使われるのだな、と思った。
お姉ちゃん。ごめんね。
* * *
今や私を元の名で呼ぶ者は、ほぼいない。
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