優心の役目
この状況になってから三時間。
全力でホテル中を探検したり戻ってきたらロビーに死体が吊ってあったりで正直結構疲れてる。ロビーから続きの小さなラウンジにコーヒーポットが温めてあったので、そばに置いてあったマグに勝手に注いで勝手に飲んだ。めちゃくちゃ喉が渇いていた。
後ろを向けばロビーが見える。イコール、吊られたクラスメイトたちが見える。最初見た時は
ほんとうは生き残らない方がいいはずだけど、私はそう思っていない、と。
もしも最後まで生き残ったら
一方、最後の一人より前に死ねばそれは仮死。あるかなしかの
となれば、ふつうなら、元に戻りたいはずだ。つまりこの結界内での死を願うはずだ。
……それが。
このトンチキな状況に置かれて私は、感じてはいけない、言ってはいけないと思っていたある気持ちを抑えられなくなっている。
期待している。
生き残ったら、家に帰らなくても済むのか、と。
自分クズか、と思わず声に出してしまった。誰もいないと思うと発声のブレーキが
他に全く誰もいない場所というのは、私にはすごくレアだ。とりあえず死体は人数にカウントしない。死体っていうか触れないんだから幽霊みたいな感じだし。
とにかく、家ではまったく一人になれず、通学途中の駅ビルの大きくて綺麗なトイレの個室に二、三十分籠もるのだけが平日の唯一の楽しみ、という私が、今このホテルにたった一人でいるんだと気付いた時の静かなぶちアゲ気分は相当のものだった。
十七年の人生のうち少なくとも物心ついて以来の十年以上、マジで願い続けた『一人っきり』。寿命のいくらかと引き換えにしてもいいと本気で願うくらい心から夢見た環境だ。
ああ、できたら餓死するまでずっとここにいたい。誰もいない場所で好きなだけ過ごしたい。ここにはお母さんもいない、お父さんもいない。誰もいなくて、私には何の役目もない。
ラウンジの猫脚の椅子に座って、友達の死体をぼんやり見ながらコーヒーを飲んでいると、湯気に誘われたように涙が出てきた。
こんな変な状況にならなければ一人っきりになれなかったんだなあ、と思うと絶望的な気持ちになる。無事に死んで生き返ったらまた、絶対に逃れられない役目の私に戻るのだ。
私は、
必要とされているのは私ではなく、私の
中の人は私じゃなくたっていい。障害のある姉を大事にしてお世話し、障害児育児に心を砕くお母さんの一番の味方として支えになり家のことを手伝う、家族第一の娘であれば、それでいい。家族を含む多くの人に、そうなって当然でしょ、という目で見られ続けてきた。
お姉ちゃんの世話を優先せずに勝手に出掛けたり予定を変更することはできなかった。時間が遅くなる部活や塾は選べなかった。お姉ちゃんに医療費が掛かるから何かをねだったりはできなかった。家族で出掛ける時、お姉ちゃんが受け入れられない場所に行きたいとは言えなかった。お姉ちゃんなんか嫌い、いなくなれ、と言うことはできなかった。私のことも誉めて、と言うことはできなかった。いつもお姉ちゃんばっかりずるい、私を先にして、と言うことはできなかった。家から通えない学校に行きたいとは言えなかった。
それでいて、障害のあるお姉さんがいて下のあなたも大変でしょ、やっぱりこういう環境だといい子に育つものなんだねえ、かえって良かったのかもね、などと同情顔で分かった風なことをしつこく言う他人に出会うと、私はたちまち氷のサボテンみたいな気持ちになって、いやマジしんどいんですよそうやっていい人っぽく振る舞いたい人が寄ってきては嘘くさく寄り添うふりされるから、なんて刺し返して『障害児家庭に育って経験値が大人並の子供』みたいな真似もしてしまう。
とにかく私は常に単独の私ではいられなかった。いつも『千川
お母さんもお父さんも、おじいちゃんやおばあちゃんも、みんな繰り返し「下に
私がしていいことは、ほとんど決められている。私が生まれる前から。
両手で持ったマグがうすぬるく冷えてきていた。視界には向こうのロビーの天井からぶら下がる
死ぬの待ってる間、お腹空いたらどうしたらいいのかな。厨房には入れるから何かいただいちゃうか。
生き残ってしまったら、どうしたらいいのかな。
私は嬉しいんだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます