"愚か者"




 ニコラスが教室に入ると、ざわめいていた教室が一気にしんと静まり返り、視線が一点に集中した。

 言いたいことは分かる。よくもまあ今日も学校に来たものだな、と、そう言いたいのだろう。案の定昨日ニコラスを突き飛ばした同級生が何人か憎々しげにこちらを見て、教室の隅にニコラスを追い込んだ。

 壁を背に自分より四つも年上のクラスメイト達に囲まれて、治ったはずの昨日の傷がうずく。ウィンターレインに心配をかけまいとして何事もなかったかのように登校したものの、やはり……。

「……」

 震えを隠すため全身に力を入れ、じっと睨み返す。クラスメイトが拳を振りかぶり、ニコラスの必死の強がりも虚しく目を閉じてしまいそうになった、その刹那。

 コートのポケットから不思議な畳み方をされた紙が飛び出した。

 複雑怪奇に折りたたまれた鳥のような形のその紙は、ひらひらとクラスメイトの鼻先まで飛び小さな花火のように火花を散らして爆ぜる。その花火とともに、とても綺麗な筆跡の"Stupid person"という文字が浮き出た。

 火花が鼻に直撃したクラスメイトは短く悲鳴をあげて体を仰け反らせ、そのまま後ろに倒れる。

 当然、ニコラスはこんなもの仕込んでいない。コートは昨日洗濯に出して、今日返ってきて……。

「……ウィンターレインさん」

 思わず笑いがこぼれる。あの人、思ったより子供っぽい仕返しを考えるんだな。

 ここで教師が教室に入ってきて、いじめも仕返しも強制的に終わる。それからいつもどおり授業を受けて、帰り道。

 ニコラスはあえて急ぐこともなく堂々といつもどおりの道を歩いた。当然、他クラスの生徒も連れたってやってきた同級生達に囲まれる。

 しかしもう怖くない。自分にはウィンターレインがついている。ニコラスはいじめの主犯である男子生徒の頬を鞄で思い切り殴って、できた隙間を縫って駆け出した。

 途中、何重にも結界が張ってあって。

 それを解きながら走って。

 同級生達は結界に太刀打ちできず、どんどん遠退いていく。

 森に入って甘いにおいの中を駆け抜けて。

「ニコラス君!」

「ウィンターレインさん!」

 家の前で待っていたウィンターレインの胸に飛び込む。息が切れて苦しくて仕方ないが、それ以上にニコラスの中には充実感が満ちていた。ウィンターレインは硬い腕でしっかりとニコラスを受け止め、珍しく破顔する。

「上手くいったかね?」

「もちろんですよ! 僕とハニーの間に言葉は要らないんです!」

 しばらく二人で大笑いして、それから家に入ってハーブティーを飲んだ。

「ところで」

「うん?」

「あの不思議な折り方の紙、何だったんです? どうやって折ったらあんな形になるんですか?」

「ああ、あれは極東の国の『折り紙』という文化だ。正方形の紙が一枚あればできるよ。やってみるかい?」

「はい!」

 ウィンターレインが用意した紙でオリガミとやらを体験する。やってみると存外楽しいが、ウィンターレインのように綺麗な形に折れない。ずいぶんと不格好な鶴が完成してしまった。

「初めはみんなそんなものだよ」

 言い、ウィンターレインは自らが作った美しい鶴を指で少しいじる。

「……これ持って帰って良いですか?」

「構わないが、こんなものが欲しいのかね?」

「こんなものなんて言い方しないでください、僕とハニーの大切な思い出です。それに家に帰って練習するとき、お手本があった方がいいでしょう?」

「ふむ……まあ良い、好きにしなさい」

 うふふ、と笑う。ウィンターレインも少し笑った。

「ああ、もうこんな時間か。ニコラス君」

「はいはい、帰ります。帰りますよーだ」

 ウィンターレインの頬にキスをして帰り支度をする。

「じゃあ、また」

「うん。また明日」

 よく晴れた夕焼けの空には、すでに薄く月が出ていた。


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