眠る貴方へ




「ウィンターレインさん」

「……」

「ウィンターレインさん」

「……ああ」

「キスして良いですか?」

「はっ倒すよ」

「あはは元気そうですね」

 頬をつつくと手を跳ね除けられた。

 昨日の知らない名前に引っかかりつつも、ニコラスはあえていつもどおり接するという選択をした。クッキーを持ってウィンターレインの家の扉をノックして、笑って挨拶をして。

 ……が、ウィンターレインはいつもどおりではなかった。

 見事な二日酔い。頭痛と吐き気に悩まされていたウィンターレインは、ニコラスにいつもの帰りなさいコールをする気力もなくベッドにもぐりこんでしまった。

「やっぱり酔ってたんですねえ」

「そうだね……」

「おっと心配しないでくださいね。さすがに体調の優れないハニーを襲うほど僕もケダモノではないので」

「……」

「お水要ります?」

「……頼んでも良いかな」

「はーい」

 一旦寝室を離れキッチンへ向かい、棚から適当なコップを取って水を注ぎ、また戻る。

 ウィンターレインは毛布を頭までかぶって小さくうなっていた。

「ハニー、起きられますか? お水持ってきましたよ」

「うん……ありがとう」

「うふふ、なんだか新婚みたいですね」

 水を飲むウィンターレインの頬に触れる。それに対し、彼は「やめろ」と珍しく強い言い方をした。

「悪いが今日は茶の用意はできないよ」

「構いませんよ。こうして貴方の傍に居られるなら、それだけで」

「……」

「うふふ」

「……君の、『月の裏側』の話なんだが」

「え? ああはい、何でしょ」

 またベッドに身を倒して、ウィンターレインはひとつ呼吸を置く。

「私に触れてほしいのだろう?」

「そうですね。そんなようなこと言いましたね」

「ならば、話すと良い。聴いているから」

「……良いんですか?」

「今は君の声が恋しいんだ」

「え、ちょっとそれってもしかしてついに貴方のダーリンを受け入れてくれたんですかハニー!?」

「大声は勘弁してくれ。そして忘れなさい、 さっきのはただの譫言だ」

「……」

 今さら、ニコラスは気づいた。

 ウィンターレインは思ったより弱っている。二日酔いが原因というより、精神的に弱っているところに二日酔いが追撃を食らわせた、と言った方が正確か。

 とにかく、彼は弱っている。

 ニコラスはベッドの傍らに座り、ゆっくり目を閉じた。

「……僕ね、何も好きじゃなかったんです。ほんとに、なーんにも」

「……」

「僕がちっちゃい頃から貴方の声をずっと聴いて論文や記事もあさってたから、周りが勝手に『この子は魔術史学者になりたいんだ』って思い込むようになって、別にそんなことなかったんですけど、まあどうでも良いやってずっと反論もせず勉強だけして生きてきて」

「……」

「虚しかったです。すごく」

「……」

「それでも僕が生きてこられたのって、やっぱり貴方の存在が大きかったと思うんです」

「……何も好きではなかったのでは?」

「もちろん。でも、周りの思い込みによる僕の擬似的将来の夢は、ある種僕の拠り所でしたから」

「……」

「正直、まだやりたいことは見つかってません。せいぜい貴方と二人でうふふな生活したいなあって思うくらいで」

「……」

「このままで良いのかなあと思いつつ、良いんだろうなあと思う自分も居たりして……」

「……」

「僕ね、貴方に出会ってからほんとにたくさんのことを考えるようになったんですよ。もう世界がうるさくてたまりませんよ。……『普通』の人達って、こんな世界で生きてるんですね。不思議です。僕、薄ぼんやりと一生このまま生きていくんだろうなあって確信じみたことを感じてたんですけど、それがひっくり返っちゃったんですから」

「……ふ」

「あ、今笑いましたね。何がおかしいんですか、もうっ」

「……神が恋をして人間に堕ちる話は、どこの国でも往々にして王道だよ」

「えっ僕もしかして神様!?」

「うるさい。いい加減比喩というものを覚えなさい」

「うふふ。僕の醜くて寂しい部分はこんなところです。浅いでしょ、なんにも感じないで生きてきたら、人生なんてこんなもんですよ」

「……」

「って言っても……まだ十四ですけどね、僕。人生語るには全くもって未熟のぴよぴよです」

「……」

「……」

 ウィンターレインが寝息を立て始め、ニコラスは言葉を止める。

 どうしてかとても穏やかな気分だ。そして深い幸福を感じる。ウィンターレインの肩の辺りまで毛布をかけて、眠る彼の瞼にそっと口唇を押しつける。

「おやすみなさい、ハニー。愛しています」

 どうにもこの幸福感が名残惜しく、ニコラスはもう一度ウィンターレインにキスをした。

「……また明日」


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