知らない名前
ニコラスは今日も昼食を食べて家を出る。刺すような寒さがマフラーの隙間から首元を撫でた。
親はニコラスにもお友達ができたのねだなんて見当違いなことを言っているが、そんなことはどうだって良い。
今日は手土産もあるのだ。ウィンターレインに早く会いたい。急ぎ足で森へ向かった。
夢幻草の甘いにおいは慣れないが、家の扉が開けばそのにおいは嘘のように消える。
「こんにちはハニー!」
「ああ」
「うっふっふ」
「何だね、気持ちの悪い笑い方をして」
怪訝そうなウィンターレインに、ニコラスはもう一度含み笑いをしたのち持っていた紙袋を差し出した。
「プレゼントです」
「ふむ」
まあとりあえず入りなさい、とウィンターレインはニコラスを迎え入れた。ストーブの効いた室内は暖かくて過ごしやすい。
「これは……」
紙袋の中身を見て、彼は呆れたような顔をする。
「ビーフジャーキーです! 前に干し肉がお好きって仰っていたので、作ってきました!」
「相変わらず極端な子だな……。まあ良い、ありがとう。いただくよ」
「食べてるとこ見してけろ」
「……」
きもちわるい、とウィンターレインはわざと変な声で言った。ニコラスはけらけらと笑った。
「君が帰ったら食べるよ」
「そう言って僕が帰ってから捨てる気でしょ!」
「どうしてそうなるのだね」
「勘!」
「ずいぶんとまあ的外れな勘だね。……まあしかし分かったよ。これ以上騒がれても迷惑だから」
「何だかんだワガママを聞いてくれるハニーが大好き。ちゅ」
「やめなさい」
尻尾で膝の裏を叩かれた。その拍子にニコラスは膝から崩れ落ちる。いわゆる『膝カックン』をウィンターレインにされるとは夢にも思わなかった。
そんなニコラスに目もくれず、ウィンターレインはハーブティーの用意を始める。
しかし今日はどうもひとり分しか作っていないようだ。
「あれ、僕の分だけ?」
「今日はね」
言い、彼は部屋の奥に引っ込んですぐに戻ってきた。手にはワインの瓶とグラスが抱えられている。
「干し肉があるなら酒が飲みたくなる」
「僕も」
「駄目だよ」
「えー、一緒に飲みたいです」
「君が成人したらね」
ウィンターレインはグラスにワインを注ぎ、一口飲んでからビーフジャーキーに手をつけた。
それをニコラスはじっと見つめる。口に合っただろうか、美味しいと言ってもらえるだろうか、とぐるぐる考えながら。
「……」
「……」
「……そんなに人をじろじろ見るものじゃないよ」
「美味しいですか」
「美味しいよ」
「やったー! やったやった! よっしゃー!」
「うるさい」
ウィンターレインはそう言いつつもビーフジャーキーとワインを交互に口にしていく。あっという間に瓶の半分ほどを飲んでしまった。
「ウィンターレインさん、酔ってます?」
「それなりにね」
「なんだ、全然普段と変わらないじゃないですか」
「君が何を期待していたかは知らないが、別段気分が高揚することも眠くなることもないよ。多少ふわふわするがね」
つまんないの、と返してニコラスはハーブティーを飲む。昨日作ったものと同じ味がした。
「ウィンターレインさん、前に指輪くれたじゃないですか。あれほんと嬉しくて、ちゃんとケースに入れて飾ってますよ」
「あれは消耗品だよ。儀式で使いなさいと言ったろう」
「やですよ! 僕とハニーの絆の証なのに!」
「はは……君は相変わらず非合理的だな、オリヴィエ」
「え?」
「うん?」
「オリヴィエ……って、どなたです? ニコラスですよ僕」
「……今、私は君にオリヴィエと言ったか?」
「はい」
ウィンターレインの顔が一気に曇った。それから申し訳なさそうに「すまない」と謝罪の言葉を口にする。
「クールを気取った手前格好がつかないが、ずいぶん酔いが回っていたみたいだ。すまないねニコラス君。今日はもう帰ってくれないか」
「……ウィンターレインさん、僕に何か隠してますよね、やっぱり」
「思い上がらないでくれ。別に君にだけではないよ」
「……」
深くため息をつくウィンターレイン。
ニコラスはどうしてかひどく悲しくなった。彼をひとりにしてはいけないような、ひとりにしてあげなくてはいけないような、複雑な悲しみだった。
「……分かりました。また明日会いましょ、ウィンターレインさん」
立ち上がって、頬にキスをして軽くハグをして。
ウィンターレインはその間もうつむいて何かを考え込んでいるようだった。
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