どれほどの虚しさを貴方は




 どこかの誰かが言っていた。

 喜びや楽しみ、悲しみや悔しさ、驚きや退屈までもが全て人生の糧になるが、虚しさだけはいけないと。

 生きることが虚しくなったら、もうおしまいであると。

 彼はそれを痛感している。自分が終わりかけていることを、痛感している。





「こんにちは!」

「ああ」

「クッキー買ってきましたよ。バニラとアーモンドと、あと僕ホワイトチョコチップが好きなのでそれも」

「ありがとう。こちらも用意はできている」

「あ、それと、傘ありがとうございました」

「うん」

 今日は比較的暖かいですねえ、と当たり障りのないことを言いながら家に上がる。いつもよりハーブの匂いが強く感じられた。

 ウィンターレインはいつもどおりだ。いつもどおり、物腰は柔らかいがどこか物憂げで気難しそうな人だ。

「これとこれが昨日買い足したものだ」

「えーとこれはオウルリーフですね」

「ああ、よく知っているね」

「勉強したんです。えっへん。えっとこっちは……何だこれ……こんなの本に載ってなかったぞ……」

「これはアメノウズメというスパイスで、極東の国で栽培されているものだ。あちらでは薬としても使われる」

「へえ、そうなんですね……良い匂い」

「ではこれを使おうか」

「はい! せっかくですからね、新しいの使いたいです」

「うん。アメノウズメに合うのはネイビーウッドや夜海草だが、どうだね。……私の好みに寄りすぎているかな」

「もちろんウィンターレインさんの好きなもので構いませんよ! 貴方のダーリンは貴方の好きなものが好きです!」

「しかしそれではいつもどおりの味になるだけだろう。もうひとつ選んでみなさい」

「えー……分かりました。えっと、じゃあ、これ。緑色の花なんて珍しいし綺麗ですよ」

「シャノン・チェリーブロッサムか。良いだろう、少し待っていなさい」

 ハーブティーを作るウィンターレインの後ろ姿を眺めながら、ニコラスは少し考える。

 この人は三十年間誰とも交流を持たず、ただひとりでお茶を飲んで、強盗に襲われれば住処を変えてまたひとりで過ごしていたのだろうか、と。

 寂しくはなかったのだろうか。悲しくは、切なくは、なかったのだろうか。

「ねえ、ウィンターレインさん」

「うん?」

「前と一緒で、答えたくなければノーコメントで構わないんですけど」

 ウィンターレインの後ろ姿に、ニコラスはその考えをぶつける。寂しくはなかったのかと問う。ウィンターレインは少し手を止めたあと、ため息混じりに笑った。

「私は人間が嫌いだ。嫌いなものに会わなくて済むならむしろ気楽なものだろう」

「……じゃあ、どうして研究者として表舞台に立ったんです? その気になれば発表やらその他は他人に丸投げして、引きこもって研究だけしてるってことも可能だったでしょ?」

「……」

「あ……き、気を悪くしないでくださいね。ごめんなさい」

「いや、そう謝らなくて良いよ。そうだね。当然の疑問だ。……君にならば、話しても良いのかもしれないな」

 言いながら、彼はハーブティーをカップに注いで渡してくる。それを受け取り、ニコラスはじっと彼を見た。

「……メディアに顔を出していたのはね。私では……アーロン・ヴィンセントでは、ないのだよ」

「ど、どういうことです? なぞかけ? どう考えたって貴方でしょう?」

「ああ。『今の世界』ではそういうことになっている。しかし『前の世界』ではそうではなかった」

「意味が分かりませんよ……」

「分からなくて良いよ。いっぺんに話す気は毛頭ない。私の理性は君に全て話しても良いと思っているが、心がついてきていなくてね。時が来れば説明しよう。約束はしかねるがね」

「……」

「先ほどの質問の答えの続きだが」

「え? ああ……はい」

「嫌いなものに会わない生活は気楽だった。だが……同時に虚しくもあったよ」

 虚しかった、とウィンターレインは繰り返す。

 それからティーカップに口をつけ、少し目を丸くした。

「美味しいじゃないか」

「……あ、ほんとです?」

「ああ。君も飲むと良い」

「ほんとだ。美味しいや」

 ……誤魔化された?

 ニコラスの頭に一瞬そんな疑問が浮かぶ。

 しかしその疑問を口にすることなく、ニコラスはただ笑ってみせた。



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