月の裏側、再考
「僕考えたんですけどね」
ずず、とハーブティーをすする。
「行儀が悪いから音を立てるなと言ったはずだが?」
「あ、ごめんなさい。いれたてのお茶、猫舌にはキツくて。でも冷めたハーブティーなんか飲めたものじゃないでしょ? せっかく美味しいのだから美味しいうちに飲みたいじゃないですか」
「君の弁解などどうだって良いから、さっさとその考えとやらを話しなさい」
「もうっ、せっかちさん」
そんなところも好き、と言うと無視をされた。
「ウィンターレインさん、前に『月の裏側』の例え話したじゃないですか」
「さてね。どうだったかな」
「したんですよ。したんです。僕それずっと引っかかってて、一晩考えたんです」
「君はまた夜更かしを……。身長が伸びなくなっても知らないぞ」
「なんで! 貴方は! そうもどうでも良いところに引っかかるんです!? 僕今からすっごく良いこと言うんですよ!? 身長はそりゃあ気になりますけど!」
「うるさい。話の腰を折ったことは謝るから、ほら続き」
「はいはい、全くもう。困ったハニーですね。話戻しますけど、月の裏側ね。醜くて寂しい部分」
誰もが持っている、誰にも触れられたくない部分。
ウィンターレインの場合は彼がひとりで住んでいるはずのこの家の、『もうひとり』の気配。
ニコラスの場合は……。
「僕にもあります。醜くて寂しいところ」
「ほう」
「でも、僕は貴方とは違って……そこに触れてほしいです。見てほしいし、知ってほしい」
「……」
「もちろん誰にでもってわけじゃないですよ。貴方だけです。貴方だけに触れてほしいんです」
「……それで? 君は私に何を期待しているのだね」
「何も。今みたいに話を聞いてくれるだけで構いません。何なら聞いていなくたって良い。ここに居させてくれたら、それだけで」
ウィンターレインの表情は別段動かない。ニコラスは彼の目を見つめて微笑んでみたが、それでも変わらなかった。
「それで、ですね。僕ウィンターレインさんに訊きたいことたくさんあります。でもウィンターレインさんは『月の裏側』に触れてほしくない。だから……どこまでなら許されるかを、確かめたくて。今日はたくさん質問しますから、嫌だったら嫌って言ってください。もうその話題は出しませんから」
「……」
「駄目、ですか?」
「……いや。良いだろう」
「ありがとうございます!」
ニコラスはさっそく質問を投げようとしたが、いざとなると言葉は喉で突っかかった。訊きたいことをたくさん用意していたことが仇となったか。
……やはりウィンターレインを前にすると思考の言語化が難しくなる。これが恋かあ、とニコラスは呑気に考えた。
「えっと……えっとですね。ウィンターレインさんは子供の頃から魔術史学者になりたかったんですか?」
「ああ」
「どうして?」
「答えたくない」
「そうですか……じゃあ、この話題はもう出しません。では牛肉はお好きですか?」
「干し肉なら」
「あ、ほんとです? じゃあ今度持ってきますね! 一緒に食べましょう! あと、そうだ、これ訊きたかったんだ。あの三十年前の会見のとき言葉の発音が若干西の地方の方言に引っ張られてましたよね。ご出身はその辺りなんですか?」
「いや、あのときは数日前まで大陸の西端の田舎町に調査に行っていたのだよ。出身はこの街だ」
「そうだったんですか!? そっか単純に方言がうつってただけなんですね。ウィンターレインさんでもそんなことあるんですねえ」
「私を何だと思っているのだね」
「僕の可愛いハニー」
「ああ君に問うた私が馬鹿だった。……私とて人間だ。言葉の発音が周りに影響されることもある」
「うふふ。貴方研究はどんどん発表して功績も山ほど積んだのに、個人としての情報はあまりにもおおやけにしてないじゃないですか。インタビューもほとんど受けてないし。恥ずかしがり屋さんだったんです?」
「必要性を感じなかっただけだよ」
「ミステリアスなハニーも素敵ですけど、もっと貴方の為人知りたかったですよ僕」
「そうかね」
「まあ、今こうして貴方を独り占めできているから良いんですけどね」
言いながら、今度は音を立てないようハーブティーをすする。それからもう一度微笑みかけてみたが案の定無視された。
「ウィンターレインさん、どうして研究やめて失踪までしちゃったんです?」
「答えたくない」
「ああ……ごめんなさい。じゃあ、えっと、『原初の魔術』。あれの研究、どこまで進んでたんですか?」
「それなりにね」
「魔術史学の最終到達点とは言え、あまりにもふわっとした言葉じゃないですか。『原初の魔術』って、モノだったんですか? それとも概念的な何か?」
「どちらとも言える」
いいかね、とウィンターレインは少し身を前に出した。ニコラスはそれを意外に思う。ノーコメントだと言われることを覚悟して、駄目元で訊ねたことだったから。
「『原初の魔術』とは正確には魔術ではなかった。この星の核に繋がっている高密度の魔力の塊だ。そしてその魔力はあまねく生き物に影響を与え、人類をこの星の支配者に選び魔力を分け与えた。ゆえに原初、ゆえに魔術だ。そしてその『原初の魔術』がヒトの前に現れるとき……」
とん、と。
ウィンターレインの指先がニコラスの額をつつく。
「……その人間が一番好きなモノの姿に見える」
「見た、んですか、貴方は。『原初の魔術』を」
「ああ」
「貴方には、何に見えたんです?」
「大樹に見えたよ。『ウィンターレイン』の花が咲き乱れる、とても美しい木に見えた」
「そ、それって、世界中をひっくり返せるくらいの大発見じゃないですか! どうして貴方は……」
ああいや、とニコラスは口をつぐむ。
どうして研究をやめたかはもう訊かないと先ほど決めた。もどかしいがこればかりは仕方ない。
「……話しすぎたな。ニコラス君、今日はもう帰りなさい。少し眠りたい」
「僕も一緒に」
「帰りなさい」
「やだ」
「私が出した条件を忘れたのかね?」
「ずるいですよ、いつもそうやって僕を黙らせるんですから。特に今日はまだ暗くなるまで時間があるのに! 納得いきません!」
「嫌ならばもう来なくて良いよ」
「来ますよ! 来るに決まってるでしょ! でもやだ! 帰らない! 納得いくまで帰りませんよ僕は!」
「うるさいな分かったよ。明日は何か埋め合わせをするから」
「むー……」
「今はひとりになりたい。理解してくれるね?」
「……分かりました。明日の埋め合わせ期待してますからね、ハニー」
立ち上がってウィンターレインの頬にキスをする。今までで一番嫌そうな顔をされた。
しかしニコラスはそれなりに満足して、うふふふと笑ってウィンターレイン宅をあとにした。
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