ウィンターレイン
昨日の言葉どおり、今日もニコラスはウィンターレインの家を訪ねた。が、さすがに気まずさは抜けきらない。
「……こん、にち、は……」
目を泳がせながら挨拶をすると、ウィンターレインは無言でニコラスを迎え入れた。
「あの、ウィンターレインさん、その……昨日、いろいろあったでしょ……? それでハーブティー飲まないで帰っちゃったから、お詫びに……」
鞄から小さな包みを取り出して差し出す。
ウィンターレインがそれを受け取って包装を剥がすさまを、なんとも言いがたい気持ちで眺めた。
「……『ウィンターレイン』か」
「はい。ハーブの専門店に行ったら見つけて……ウィンターレインさんの名前、この花から取ったのかなって」
「高かったろうに」
「僕昔から無趣味で、お小遣いずっとほとんど使ってなかったので……。そのお金全部はたいても、これしか買えなかったんですけどね」
「……」
ウィンターレインの手が、ケースに入った藍白の花を撫でる。壊れものに触れるようにゆっくり、愛おしそうに。
「ありがとう」
「良かったです、気に入ってもらえたみたいで」
笑ってみせると、ウィンターレインもほんの少し表情を動かした。
「君も買った際に身をもって知ったろうが、この花は非常に貴重で高価だ。おいそれと買うものでも使うものでもない」
「……」
「しかしまあ、埋め合わせをしたいのはこちらを同じだ。座りなさい、茶をいれるから」
「は、はい!」
背もたれのある方の椅子に座りしばらく待つと、なんとも言えない良い香りが漂ってきた。
その香りを吸い込んでふと思い出す。一昨日、ハグをしてもらったとき。ウィンターレインから微かに同じ匂いがした。
優しくて甘くてひんやりした、とても好ましい匂いだ。
「……」
ウィンターレインがハーブティーの注がれたティーカップを差し出してくる。それをありがとうございますと受け取り、一口飲んだ。
「わ、わ、すごく美味しいですねこれ!」
「少量でもここまで風味が出る。もう少し濃く入れるとまた違った味になるよ」
「へえ……高いだけありますね。へへ、ほんとに美味しいや」
「ああ。本来ならば大切な人の人生の節目に贈る花だ。残りは君が持って帰りなさい」
「いえ、差し上げます。受け取ってください。貴方みたいに上手にお茶をいれられないので、僕が持ってたって宝の持ち腐れですよ」
「練習すれば良いだろう」
「鈍い人だなあ。僕が自分でハーブティー作れるようになったらここに来る口実なくなっちゃうじゃないですか」
ふう、と息を吐いて、ウィンターレインは少し身を引いた。
「仕方のない子だな、本当に」
「結婚したあかつきには毎日食後にお茶をいれてもらいます。それを優雅に飲み、そして僕は微笑んでこう言うのです。『美味しいよハニー。ああ、君との日々はこんなにも美しい』、ってね」
「度し難い……」
こめかみをおさえて嫌そうな顔をするウィンターレイン。うふふとニコラスは笑う。
「本気ですよ」
「だから度し難いのだよ」
それからぽつぽつ話をしながらゆっくりと『ウィンターレイン』の茶を飲んだ。
昨日の発言の真偽も意図もまだ分からない。気にならないわけがない。しかしニコラスはあえて蒸し返さなかった。彼と居る時間は、なるべく楽しい時間にしたかったから。
「明日から冬休みなんですよ。だから今日は授業がなくて、ハーブ屋さんに寄れたのです」
「それが何だね」
「だから明日からしばらく、昼間からここに来られますよ」
「来なくて良いよ」
「来ますよ。毎日居座ります」
「勘弁してくれ。考えただけで頭痛がする」
ニコラスが声を上げて笑う。
ウィンターレインがうるさいと小言を言う。
これだけで。
「……これだけで良いんです、僕。この時間だけがずっと続けば良いのに」
「その思考は危うい。視野を広く持ちなさい」
「発言がおじさん臭いですよウィンターレインさん」
「残念ながら私はおじさんだ」
さてもうじきに暗くなる、とウィンターレインが言う。
タイムリミットか、とニコラスはひどく寂しくなった。
「明日は何時頃来るのだね」
「え?」
「冬休みなのだろう? 昼間に来るとしても昼食のあとにしてくれ。食事はひとりでしたいんだ」
「……」
「どうした?」
「ウィンターレインさん! 好きです!」
「は?」
立ち上がってウィンターレインに飛びつく。その拍子にウィンターレインは椅子から転げ落ち、二人揃ってひっくり返った。
「何をするんだ! 危ないだろう!」
「ごめんなさい! でも好きです!」
「意味の分からないことを言っていないで離しなさい!」
目いっぱい強くウィンターレインを抱きしめて、それからようやくニコラスは身を起こした。
「僕が来る前提で話してくれてるのがほんっとに嬉しくて! 失礼しました!」
「次に同じことをしたら二度と家に上がらせないからな」
「えへへ」
「えへへじゃないよ」
頭を小突かれ、それもまた嬉しくて笑う。
今日の帰り道は、世界に戻る寂しさが少しだけ薄かった。
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