「考えてきました! 考えてきましたよウィンターレインさん!」

 扉が開ききらないうちからそんなことを叫ぶと、ウィンターレインはそれを「うるさい」と一蹴した。

「大声を出すなと何度言えば分かる」

「あ、ごめんなさい。でも約束守って言いたいことまとめてきたんですよ。ささ、褒めてください。こう、頭を撫でて、ハグして……」

「約束をした覚えはない。君が勝手に言い出したのだろう。……入るならさっさと入りなさい。せっかくストーブをつけたのに部屋が冷えるじゃないか」

「ちぇ。お邪魔します」

 ニコラスが部屋に入りいつもどおり椅子を引いて座ると、ウィンターレインもいつもどおりハーブティーの用意を始めた。

 机に肘をついて頬杖をつき、彼がキッチンから戻ってくるのを待つ。

「この前作ったハーブティーを改良した。味や香りは私の好みに寄っているが、君は好き嫌いがないようだから構わないだろう」

「あらま。僕達の愛の結晶の改良版ですか」

「嫌な言い方をするんじゃないよ」

 ニコラスの向かい側、背もたれのない椅子に座り、ウィンターレインは見た目に似合わずしなやかな仕草でティーカップを傾けた。

 ニコラスはそれにぼんやりと見蕩れてからふと我にかえり、ああそうですと語り出す。

「昨日夜なべして考えたんです、僕」

「子供の夜更かしは良くない」

「もうっ! 話の腰を折らないでください! 真面目な話しようとしてるんですよ!?」

「ああ悪かった悪かった。それで?」

「はい。結論から言うと、僕とウィンターレインさんには時間のずれがあるんです」

「ほう」

「貴方にとって僕は出会ってからたった一週間しか経っていない、ただのダーリンです」

 ウィンターレインがため息をつく。それから、もう指摘するのも嫌だと言いたげな顔で続きを促した。

「でも僕にとっての貴方は、僕の今まで生きてきた時間、ずうっと傍に居たハニーなんです。物心がついたときから毎日貴方の声を聞いていました。壊れかけの古い音響水晶を何度も直して、貴方の会見を聴き続けた。論文だって全部読みましたよ。図書館や古書店をいくつもハシゴして貴方に関係する記事もできる限り集めた」

 ニコラスはここで言葉を切り、深呼吸をする。

「……僕は貴方に関係ないのかもしれません。でも、貴方は僕に関係あるんです。貴方の声だけが、僕に安らぎをくれたんです」

 見えない手が首に添えられているような居心地の悪さ。言葉にできない、どうしようもない不快感。

 何不自由ないこの世界で、どうしてか自分だけが浮いていた。生ぬるい水中で、自分だけが沈めなかった。

「だから何だね。君の都合など知ったことか」

「……ですよね」

「まあしかし君の言いたいことは大方分かった。ここで私が黙るのもフェアではないから、ひとつだけ言っておこう」

「はい、何です?」



「私は人殺しだ」



「……え?」

 一瞬思考が停止する。

 ニコラスは必死に記憶を探ったが、当然そんな事件はどの新聞にもどの記録にも残っていない。人殺し? ウィンターレインが? そんなまさか……。

「完全犯罪というものだな。私の罪は絶対に証明できない。絶対に、誰にも。私自身でさえ不可能だ」

「……ウィンターレインさん」

「……」

「……そんな……そんな嘘ついてまで、僕を遠ざけたいんですか? そんなに迷惑だったんですか!? だったら最初から試すようなことしないでくださいよ! ハーブティーなんか作らせないでくださいよ!」

 ニコラスはそうわめきながら泣き出した。

 人殺しという言葉に怖気づいたわけではない。嘘自体が悲しいわけでもない。ただこの嘘が、あまりにも見え透いていることが悲しかった。

「幼さゆえの短絡さ……その手本のような激昴だね。まあ、どう受け取るかは君次第だ。あとは好きにしなさい」

「……」

 涙は止まらない。

 ぼやけた視界で必死にウィンターレインを見る。

「……何で」

「……」

「何で……そんな悲しそうな顔、してるんです? 嘘をついたのは貴方でしょう?」

「嘘ではない」

 ウィンターレインはゆっくり視線を落とし、平たい声で言った。

「嘘ではないから、悲しいのだよ」

「……」

 ニコラスのまつ毛から零れて頬を伝って、顎から落ちて膝を濡らす。

 静寂が訪れた。アンティークの時計の音と、冷めていくハーブティーだけが時間を示していた。

「……貴方はひどく優しいけれど、残酷にはなりきれないんですね」

 ニコラスの言葉を聞いて。

 ウィンターレインの表情が大きく動いた。

 端的に言えば驚いたような、しかし他にもたくさんの感情が複雑に絡んでいるような、そんな顔。

「……君も、そう言うのか」

「……?」

「いや、戯言だ。忘れなさい」

 言い、ウィンターレインは立ち上がった。

「また明日来なさい。今日はもう暗くなる」

「ウィンターレイン、さん……」

「……来たかったら、の話だがね」

「……」

 ニコラスは涙をぬぐい、へらりと笑った。

「来ます、来ますよ。絶対。貴方が振り向いてくれるまで」

「最初に君に出した条件、その三つ目。肝に銘じなさい」

「うふふ」

 帰り支度をして出ていくニコラスを、ウィンターレインは悲しそうに眺める。

 そんな彼を見て、ニコラスはどうしてか、彼をひとりにしてはいけない気がしてならなかった。




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