月の裏側


 これは例え話なのだが。

 貴方が何か素晴らしい才能を持っているとしよう。それはもう周りから期待も賞賛も飽きるほどされて、将来の就職先だって引く手数多で、誰からも「貴方は何も心配しなくて大丈夫だね」だなんて言われて、微笑みかけられて。

 そのとき貴方が感じるものは何だろう。

 幸福か? 喜びか? 安心か?

 ではこの例え話に、もうひとつ条件を追加しよう。

 貴方のその才能は、貴方のやりたいことではない。もしそうだったならば、貴方はどう思う?





「昨日の反省点を簡潔に述べなさい」

「よく知らないものを口に入れない」

「よろしい。本来ならば幼児のときに習うべきことなのだがね。齢十四にもなって、全く仕方ない子だ……」

 まあ小言も程々にしておこう、とウィンターレインはまたハーブやスパイスをテーブルに広げた。檸檬雲を見て、ニコラスは思わず「うえっ」と舌を出す。

「んーと……最初のは僕が選んで良いんですよね」

「ああ」

「じゃあ……この白い葉っぱ。良い匂いします」

「それは雪暮楓の葉だね。花の蜜より葉の繊維の方が甘みの強い珍しい植物だ。すぐ虫に食われるから栽培が難しいとされている」

「へえ……かじってみても良いですか?」

「君は本当に懲りないな。怒るぞ」

「冗談です、ほんとに冗談。怒らないでください」

「……」

 ウィンターレインは腕を組み、一度目を逸らしてからニコラスを見た。

 ニコラスはその仕草の意図が読めず、自分より頭ふたつ分は高い位置にあるウィンターレインの顔を見上げる。

「前に私が感情的に君を追い出したことを、まだ気にしているのかね」

「え? ええ……それは、もちろん気にしてますよ。ほんとにもう会えなくなったらどうしようかと思ったし……」

「あのときのことは、そうだな。私も大人げなかった。そこは謝罪しよう。しかし人には誰にでも、触れてほしくない部分がある。月の裏側のように醜くて寂しい部分がね。だから、理解してくれ」

「……」

「さて。ハーブティー作りを再開しよう。雪暮楓に合うハーブやスパイスはいくつかあるが、君は果物は好きかね」

「……」

「ニコラス君?」

「……あ、ああ。何ですか?」

「果物」

「果物? 好きですよ! まあ、ウィンターレインさんへの熱情には及びませんけどね。えっへん」

 嫌そうな顔をするウィンターレイン。

 ニコラスはえへへへとわざとらしく笑って両手を振った。

 月の裏側。醜くて寂しい部分。

 誰にでもある、誰にも触れてほしくない……。

 ……本当にそうなのだろうか?

「このサンセットロゼッタという花は乾燥させて茶にすると、擬似果実と呼ばれるほどに果物の風味が強く出る。この花自体は実はつかないのだがね。詳しいことはいまだに解明されていない」

「ふーん、面白いですねえ。あ、じゃあこっちの青い木はどうです? ちょっとシナモンみたいな匂いがして果物に合いそうですよ」

「ふむ……夜明ノ木の枝か。試したことがなかったな。良いだろう」

 選んだ植物でウィンターレインが茶をいれる。その間にテーブルの上を片付けておくよう頼まれたが、茶を作る彼の後ろ姿を見て「かーわいい」などと言い睨まれる時間の方が長く、最終的には何を言っても無視を決め込まれた。

 ややしばらく経ち茶が入り、また向かい合って座りティーカップに口をつける。

「あ、美味しいですよ! けっこう良いんじゃいですか!?」

「悪くない。……が、フルーツティーに近すぎるな。私はもう少し……」

「草っぽい方が好みです?」

「言い方は落第点だがまあそうだね。……ああ、そうだ。クッキーを出そう」

「僕が昨日持ってきたやつですね!」

 クッキーを食べて。

 茶を飲んで。

 少し話をして。

「そろそろ帰りなさい。もうじき暗くなる」

「はい。ありがとうございました」

「ずいぶん素直になったね。良いことだ」

 ニコラスは一通り帰り支度をして、外へ出る前にウィンターレインの顔をじっと見た。

「……何だね」

「あの、僕、明日も来ます!」

「だろうね。それがどうした?」

「いえ、それだけです。またクッキー持ってきますね、ハニー!」

 夕暮れの帰路で、これから輝く月がうっすらと見えた。

 表側の月は、とても綺麗だった。




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