第5話

 そして、放課後の公園である。

 件の「モニュメント #1056」の足下に、真帆は座り込んでしまっていた。傍らの通学鞄にしているリュックには、結局ガトーショコラが入ったままだ。

「はぁ……」

 がっかりしながら、もう何度目か分からないため息を漏らす。

(完全に、空回りしちゃってたな……)

 やきもきしすぎた自分を、情けなく思う。今日がバレンタインだからと言って、白子はそんなことはまるで興味がなかったのかも知れない。少なくとも、今こうして、夕日を見ながら落ち込んでいると、学校での白子は、いつもの白子だったような気がしてくるのだ。

(だけど、それなら……)

 それなら、あのチョコは一体何だったんだろう? いや、今日の勘違いと慮るに、あれがチョコだったということすら、勘違いだったのではないだろうか?

(いや、チョコ、なのは間違いないんだけど……)

 なにせ、仮に買ったのが台所用洗剤だったとして、あんなうっとりした乙女表情を浮かべているキャラクタがいたら、作者の頭がどうかしてしまっていると考えるのが普通だろう。少なくとも、白子は不思議系ではあるが、電波系ではないのだ。

(私、友達としか思われてないんだろうなぁ……)

 なんだか、自分が恥ずかしくなってくる。人は、一方通行な気持ちを自覚させられた時ほど、惨めな気持ちになるものなのである。

 リュックを見やる。その中に入っているガトーショコラが、早く出せとせっついているようにも思えてきた。いっそ、ゴミ箱に捨ててしまおうかな、と思って、再びため息を吐いたところへ。

 ぱったぱったと、聞き慣れたローファーの足音が聞こえてきた。とくん、と心臓が跳ね上がる。すでに聞き慣れた足音だ。

「はぁ、はぁ……まほ?」

 走ってきたのか、白子が息を上げて立っていた。真帆はその姿を見て、やはり嬉しくなってしまうのだ。

「まほ、いた……先かえっちゃうから、あわてた」

「うん……ごめん……」

 白子はその場で深呼吸して、息を整える。そして、同じくモニュメントの足下、真帆の隣に座り込んだ。

 白子は、鞄をあけて中をごそごそと探っている。そして、白いビニール袋に入れられた、何かを取り出した。

「まほ、はい」

「……何か、貸してたっけ?」

 苦笑しながら言った。もう勘違いはこりごりだった。

「え?」と白子が意外そうに答えるので、「なんでもない」と答える真帆である。

 ビニール袋を受け取る。そこには、昨晩行ったスーパーのロゴが印刷されており、うっすらとピンク色の中身が透けて見えていた。

(ふふ、なんだ……)

 もう一度、内心で苦笑しながら、ビニール袋の中身を取り出した。

 それは、昨日売られていたチョコだ。

「白子……」

「わたし、料理できないから、お店のだけど……いつも、ありがとう」

 にぱっと、白子が笑った。少し照れたような、愛らしい笑顔。思わず、真帆は白子のことを抱き締めてしまっていた。

「白子~!!」

「え、まほ、どしたの?」

「白子、可愛すぎる~! 大好き~!!」

 白子も、驚きながらも真帆のことを抱き締め返してくる。

「う、うん、わたしも、まほのこと好きだよ」

 きっと、真帆と白子の「好き」は、それぞれ意味合いが違うのだろう。だけれど、それでも大丈夫だと、真帆は思った。時間はまだ、たっぷりある。白子と過ごす時間は、まだまだある。それを大事に過ごしながら、いつか、自分の想いが伝わればいい。今日のように、やきもきすることももちろんあるだろうけれど、そこは、悪い虫が付かないように!私がしっかりしてればいいのよ、と真帆は思った。

「……あけていい?」

 もらったチョコを掲げる。白子が頷くので、さっそく、破らないように――せっかく白子にもらったのだから、包装紙ですら破れてほしくなかった――丁寧に封を解いた。

 そこには、バレンタインチョコのお約束のハート型のチョコで、その上にはホワイトチョコで、「ユウジョウ!」と大書されている。カタカナの意味は分からないけれど、友情、すなわち友チョコを選んでくるあたり、やはり白子だなぁ、と思う。

 けれど、このチョコを選び、会計の後胸に抱いてうっとりしていたのは、自分のことを想ってくれていたのだと考えれば、真帆はなんだか、報われたような気持ちになった。

「ユウジョウ!」

 白子が、書いてあることが気に入ったのか。少し片言っぽくそれを読み上げる。真帆も笑って、「うん、友情」と答えた。

「ユウジョウ!」

「はいはい、友情」

「違う、ユウジョウ!」

「ゆ、ユウジョウ……?」

「ユウジョウ!」

「ゆ、ユウジョウ!」

 なんだかよく分からないが、白子の調子に合わせないとスゴイ・シツレイな気がしてそれっぽく返す真帆であった。

「えへへ、食べよ?」

 白子が、もう待ちきれないとばかりにチョコを取り出した。ぽり、とチョコを割ってから、その一片を、真帆に差し出してくる。

「はい、あーん」

 白子の柔らかそうな指が、チョコを摘んでいる。真帆は、心臓の鼓動が一層速くなるのを感じた。熱でもあるように、頭がぼーっとしてくる。

 そして真帆は、無意識に、チョコごと白子の指を、口に含んでいた。甘い味わいと、指の柔らかな感触、そして、もぞもぞと口の中で動く指そのものを、ずっとこうして味わっていたいと思った。

「わわ、まほ、赤ちゃんみたいだよ」

 と言いながらも、白子は嫌がる様子はない。そのまま、チョコが全部溶けてしまうまで、真帆にくわえられたままにしていた。

 やがて、名残惜しそうに、真帆の唇が白子の指から離れる。真帆の心臓は、痛いくらいにキュンキュンと高鳴っていた。

「ッ!!」

 と、唐突に自分がやったことを恥ずかしく思う真帆だ。顔が真っ赤になるのを隠すべく、あたふたと自分のリュックを開けて、底に詰め込んでいた、ラッピングされた小箱を取り出す。

「は、はい、これ……」

 恥ずかしさで俯いたまま、真帆はその小箱――手作りガトーショコラを差し出す。

「え、これ、わたしに?」

「そ、そう……自分で作ったから、おいしいか、分かんないけど……」

 白子はそんなこと気にならないのか、箱を受け取った。待ちきれないとばかりにリボンを解き、包装紙を解いて、白い箱の蓋を開ける。

「わあ、ガトーショコラ? さすがまほ! すごいすごい!」

 白子が、大はしゃぎする。学校では決して見せない様子で、ガトーショコラをつまみ上げる。一口サイズに切ってあるそれをまじまじと見て、それから真帆に向き直って、

「いただきます♪」

 あんぐりと、一口でガトーショコラを頬張った。指についた粉糖を、ぺろりと舐める。図らずも、それは先ほど真帆にチョコを差し出した指だった。

「おいしい! おいしいよ、まほ! まほも食べて! あーん!」

「あ、あーん」

 口の中に、ガトーショコラが入ってくる。甘いチョコをたっぷり使ったはずのそれは、なんだかほろ苦い味がした。

「おいしいね!」と白子。

「うん、上出来上出来」と真帆。

 白子はさらにぱくぱくと、ガトーショコラを食べる、食べる、食べる。その食べっぷりが子供っぽくて、保護欲をかき立てられて、なにより、可愛くてたまらない。真帆は知らぬ間に、白子の頭を撫でていた。さらさらの髪が、指先にくすぐったい。

「もぐもぐ……ふぅ、ごちそうさま。まほ、お料理上手だね」

「そ、そうかな、レシピ見ながら作っただけだよ」

「まほには、ぜひわたしのお嫁さんになってもらいたい」

 白子が言った。

 きっと、冗談のつもりだったのだろう。

 けれど、それは真帆にはあまりに刺激が強すぎたようで、顔を真っ赤にして、俯いてしまった。

「え、まほ、どうしたの?」

「あ、ええ、えっと、その……」

 自分でも熱く感じるくらいに、顔が赤い。白子が心配して正面にしゃがみ込んでいるのも分かる。ああ、駄目だ、心配させちゃ駄目だ。

 顔を上げなければ。恥ずかしくて死んじゃいそうだが、それでも、顔を上げないといけない。ここで顔を上げなかったら、もうずっと白子の顔を見られないだろう。

 ここに、バッタはいない。言い訳はできない。自分の意志で、顔を上げるしかないのだ。そう、自分の意志で、今、顔を上げる!

 そして、真帆は白子を見上げて、

 白子は、どうしてか泣いてる真帆を見て、

 どちらからとなく、しがみつくように抱き締めあった。真帆が、ぐすぐすと泣き出してしまう。白子は、目を白黒させながら、それでも真帆の背中を優しく撫でる。

 そうして、真帆が落ち着いて泣きやむまで、暫時、二人は抱き合っていた。

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バレンタインには真白な百合を 樹真一 @notizbuch

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