第4話

 チャイムがなって、昼休み。

 食堂には、多くの生徒で賑わっていた。その一角に、真帆と白子もいて、真帆は日替わり定食(今日はチキン南蛮とオニオンサラダ)を、白子は卵と大根おろしの乗った月見おろしうどんを食べていた。

「…………」

「ふーふー、つるつる……」

 いつにも増して、静かな食事だ。いつもなら、真帆が話しかけて、白子がそれにずれた返答をして、という具合に楽しく食べる昼御飯なのだが……真帆は、どうしても白子の様子をじっと伺ってしまう。

 一方白子は、話しかけられないなら話しかけられないで、うどんに集中してつるつると啜っている。その表情は真剣そのもので、ほかのことに意識を奪われることはない。

(食べるの好きだもんなー、白子)

 何に対しても浅く広く興味を持つ白子であるが、食べ物に対しては一等強い興味を示す。だから、彼女が食堂で注文するメニューは、毎日違う、文字通りの日替わりランチを楽しんでいるのだ。

「つるつる、あ」

 と、その白子が、何かを見付けたように動きをとめた。十代の瑞々しい唇から、うどんがつるんと滑り落ちる。

「どうしたの?」

 タルタルソースをご飯に乗せて食べようとしていた真帆は、急に動きを停めた白子をびっくりしながら見上げた。白子はしかし、「ちょっとごめん」と言って席を立つ。

「んん?」

 タルタルご飯を口に入れながら、ぐるりと振り返って白子を視線で追いかける。すると白子は、壁際の席に座った男子生徒の元へと歩いていった。いつの間にか、手には紙袋に入った何かを持っている。

(マジで!? ここで!?)

 タルタルソースを吹き出す勢いで驚いた真帆は、その男子生徒の正体を知って、二度目の驚きに打ちひしがれる。

 その壁際の席に座って昼食(ホットケーキにコカコーラをかけた下手物)を食べながら本を読んでいるその男子生徒は、同じクラスのネクラオタクである、樹真一だった。平凡で描写に困る顔を難しげにゆがめながら読んでいる本は、初音ミクっぽいイラストがどーんとあしらわれた「天体の回転について」というタイトルの本で、表紙からするに、気持ち悪いライトノベルだろうなと真帆は思った。

「樹くん」

 と、白子が声をかけると、

「ヒィッ!?」

 とひきつったような声を出す樹だ。返事のつもりなのだろうか。

「ど、どど、どうしたノ?」

 裏返った声でどもりながら本に栞を挟んで脇に置く。そこへ白子が、先ほどの紙袋を差し出した。真帆はその、これまた短い長方形をしたそれが、スーパーに売ってあったチョコに見えて仕方がない。知らぬ間に、チキン南蛮に箸を突き立ててしまっていた。

「え、ええ! お、俺に!?」

 と、ちょっとヒくくらい嬉しそうな声を上げる樹。今まで接触した男子とは露骨に異なる反応に、真帆は改めて動揺させられてしまった。

(そ、そんな……だって、そいつ、オタクだよ? いや、アニメくらい、今は普通に見る人いるけど、樹はムリっしょ!? だってそいつ、自分の自転車に《アーバレスト》とか名前付けてるよ!?)なにそれ、ヒくわ。

 震える手で、樹は恭しくその紙袋を受け取る。さながら彼の脳内では、女神からの天恵か、あるいは修復の天使のCIP誘発かという、神々しい心象風景が具現化していたことだろう。脳内だけど。

「あ、あ、あ、」あじゃねーよ。「あけても、いい?」

「?」

 白子は、不思議そうに首を傾げる。「いいよ?」

 樹は深呼吸を一つ、そして、まるで爆弾を解体するかのように、そっとそ~っと、紙袋を開けて、中身をゆっくり取り出した。

「~~~~~ッ!?」

 真帆の突き立てた箸は皿を貫き、テーブルに今日の日の記念を刻み込んでいた。

 果たして、紙袋から取り出されたのは――「刃牙道」の4巻だった。

(マンガかい!!)

 真帆は内心で思い切りつっこみ、溜まっていた息をぜはー!と吐き出した。

 その真帆のため息にかき消されるくらいの小さなため息を、樹もまた、漏らしていた。

「そ、そっか、貸してたネ……」

 露骨にがっかりするが、そこは相手が白子である。なぜがっかりするのか分からない、確かこの本を借りてたはずだけど?みたいな目で見ている。樹は噛みしめるようにうんうんとうなずいてから、気を取り直すように、

「お、どうだった? 面白かった?」

 と聞いた。ここで白子が刃牙に興味を持ってくれたら、本部が守護キャラであるという渾身のネタから、距離を縮められると、そう踏んだのだろう。が。

「ひどい」

 ……現実はかくも厳しい。物語は、この世界に存在しないのか。白子は無情にも、たった一言で、「刃牙道」の4巻を表現してみせた。

 さらに、追撃するように「うどんのびちゃうから」と、もはや刃牙にも樹にも興味がないことを言外に宣言して、ぱたぱたと自分の座っていた席へと戻ってしまった。

「ごめん、もどってきた」

 それだけ言って、白子は箸を取り、再びうどんを啜り始める。

「つるつる……つるつる……つるつる……どうしたの?」

 不思議そうに、白子が真帆を見る。真帆は、再び深くため息を吐いた後、エクスカリバーを引き抜くように箸を引き抜いて、答えた。

「いや、別に……」

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