第2話

 そんなわけで、時間軸は現在へ――2月13日の、午後9時過ぎへと戻ってくるのである。

 2月13日。

 2月13日である。

 ブダペスト包囲線が終結した日と言えば、誰もがうなずく2月13日であるが、同時に大きなイベントの日でもある。

 バレンタインデーの、前日だ。年間、最もチョコレートを食べられる日であるという説もある、バレンタインデーの前日である。

 そんな日に、自宅の台所を戦場のような有様にして、ガトーショコラを作る真帆。渡すお相手は、もちろん明治白子だ。

 入学式の日に出会って、はや10ヶ月。その間にお互いの家に遊びに行くような関係になり、連休ではお泊まりもして、冬休みには一緒にディズニーランドと千駄ヶ谷のラーメン屋に行った。ちょっとおっとり不思議系な白子は、一人ではどうにも危なっかしい。だから、仲良しの私が助けてあげるのだ、という体で真帆はいるのだが、その内心は変な虫(男女問わず)を近付けないためにある。もっとも、興味のあるところへ勝手に走っていくような具合で、なかなか手綱を握れずにいるのが本当のところなのだが、ともあれ、そうやって周囲に対して興味津々なところもまた可愛いのであって。

 そんなこんなで、真帆はキャッキャウフフな妄想の反面、明日14日にちゃんとセッティング通りの場所で渡せるだろうかという不安もまた、頭の中でぐるぐるとしているのである。

(よし、もう一度、リハーサル!)

 まず、放課後。一緒にあの水連公園まで歩く。そして、思い出深いモニュメントの足下へ。そこで少し話をしてから、ふとモニュメントの裏側へ。ちょうど、出会った時と逆の立ち位置だ。そして、ふとしゃがみ込むのである。白子は、きっと駆け寄ってくるだろう。そして、あの日の真帆のように、心配そうにのぞき込むはず。そこへすかさず、ガトーショコラを渡す。ぱっと嬉しそうな顔になる白子。そんな彼女を、素早く壁ドンしてしまう。白子は真帆より少し背が低いから、見上げるような格好になるだろう。そして、囁く。「好きだよ」それから、おもむろに唇を

「きゃああああああ!!」

 今すぐやりたい、すぐやりたい。真帆の脳内はもう停まらない。白子をベッド(どこのベッドかは分からない、白いシーツが眩しかった)にそっと寝かせて、そのリボンタイをしゅるりと、チョコのリボンを解くように――

「あ、いっけない!」

 現実へ帰ってくる真帆。可愛いラッピング用の包装紙は買ったものの、うっかり、そこを飾るリボンを買いそびれていたのを思い出したのだ。包装紙と隣り合わせて陳列されているはずなのに、どうして買いそびれたのかは不明。

 真帆は、ガトーショコラを冷蔵庫にしまい、それから兄のカーキ色のブルゾンを拝借して家を出る。歩いて5分ほどの24時間営業のスーパーへ向かうべく、バスケットシューズを履いて家を出る。

「リボンリボン♪」

 ご機嫌で、少女マンガ雑誌のCMの調子で歌いつつ、月の出ていない冬空を見上げながら歩く。街灯にも負けないほど輝く星々を見上げながら、ぽくぽくと歩いてスーパーに辿り着いた。夜も更けてきて、疲れた空気の漂う店内に足を踏み入れると、一等地にどどんとバレンタインコーナーが作られている。大抵が義理チョコ需要の既製品だが、手作り用の材料やラッピング用のアイテムも並んでいる。真帆はその中から、柄にもなくピンクの、レースにも似た可愛いリボンを選んだ。白子は、レースが好きなようなのだ(お泊まりの時にこっそり見た洋服ダンスの中には、レースの下着がいくつもあった)。

「よし、これにしよ」

 値段を確認して、ブルゾンのポケットから財布を取り出しながら、何気なく見上げた先――ちょうど、レジを通過したあたりに、なんと、白子がいた。

(きゃー! 白子! 運命!? 運命再編!?)

 即座に駆け寄ろうとして、はたと足が止まった。白子の様子をよくよく伺うと、なんだかいつもと様子が違っていたのだ。

 格好は、まあいたって普通である。ホットパンツにニーソで、白いパーカーという、気取らないいつもの格好なのだけれど、しかしその表情は、いつものぽやーっとしたそれとはかけ離れていた。

 何かを想ってうっとりしているような、そう、言うならば、恋する乙女の顔。そしてなんと、その胸にはスーパーのビニール袋を持っている。白いビニール越し、うっすらと色が透けて見える色は、ピンク色。まさしく、このイベント台で売られているチョコ達と同じ色だった。

 それだけなら、ああ、義理チョコかと思うのだが、そう思わせない表情が、真帆の足をその場に繋ぎとめてしまっていた。

(だ、だだだ、誰に……!? 誰に渡そうというの、そんな、既製品の、チョコを……うっとりした、可愛い顔で……なんで……!?)

 そんな真帆の内心を知る由もなく、ついでに、同じ店内にいることすら知らず、白子はうっとりした表情のまま、とことことお店を出てしまった。

「あ、ああ……なんてこと……」

 愕然としながら、まるで葬列の一員のような足取りでレジへ向かい、義務的に会計をすませる。お釣りを受け取り、しかし一歩歩くごとに硬貨を1枚ずつちゃりんちゃりんと落としながら、真帆は帰路に就くのであった。

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