ベルネルとエテルナの一日

【ベルネルの一日】


 ベルネルの朝は早い。

 日が昇り始めて間もなく起床し、まずは目覚ましの軽い走り込みを行う。

 彼が現在いる場所は霊峰ローラン。

 まだ対魔女戦のセオリーが確立されておらず、騎士の必要性も理解されていなかった二代目聖女ルーチェの時代……当然、今のように大勢の騎士もいなければ近衛騎士という階級も存在しない。

 そんな時代に彼女を支え、魔女イヴを倒す為にこの山で鍛え抜き、鋼の肉体を手に入れた漢がいた。

 彼はあらゆる脅威からルーチェを守り、どんな攻撃もその肉体で受け止め、イヴの魔法ですら彼の命を奪う事は出来ても身体を貫く事は出来なかった。

 そんな彼の活躍があったからこそ、ルーチェはイヴを打倒出来たのだ。

 最後までルーチェを守り抜き、そして名誉の戦死を遂げた漢の名こそ、騎士ローラン。

 当時の国王は彼の活躍に感動し、その在り方こそまさに騎士の中の騎士と褒め称え、彼の位牌に騎士の頂点……即ち筆頭騎士の称号を贈った。

 そして彼の戦いぶりがあったからこそ、騎士が聖女を守り切れば聖女は魔女に勝てると皆が理解し、騎士は聖女の盾としての地位を確立した。

 つまり今の肉盾戦法が出来たのは大体こいつのせいだ。

 そして彼が身体を鍛えたこの山は彼に肖り、霊峰ローランと名付けられ、以来、多くの騎士が心身を鍛える為に訪れた。

 ベルネルもまた、そんな険しい道に挑む一人だ。

 世界は平和になった……だがベルネルは己の不甲斐なさが許せなかった。己の弱さが我慢出来なかった。

 エルリーゼに自らが犠牲になるという悲壮な決意を抱かせてしまった。己の中の力すら制御出来ていなかったせいで、その引き金を引いてしまった。

 そして……死なせてしまった。

 結果だけを見ればエルリーゼは奇跡の復活を果たし、プロフェータの命を受け継いで今も生きている。

 だがそんなのは本当に結果論だ。ベルネルが騎士としての役目を果たせなかったという事実は何も変わらない。

 ベルネルはエルリーゼに想いを寄せている。

 だが今のままでは、フラれるフラれない以前の問題で、想いを伝える資格そのものがない。

 だからベルネルは自分を一から鍛え直す事を決めたのだ。

 ちなみに当のエルリーゼからは「平和になったのに何やってんだこいつ……」と呆れられている事を彼は知らない。


 軽い早朝トレーニングで三千mほど走った後は朝食をとり、腕立てや腹筋、スクワット、剣の素振りを行う。

 そうして自らを鍛えていると、鍛え抜かれた感覚が何者かの接近を感知した。

 現れたのは……筋骨隆々の逞しい大男だ。

 何者か、とはあえて聞かなかった。

 この山にいるならば目的は一つ……強く、ただ強くなる事。

 彼もまた強さを求める求道者だ。そして求道者同士、磁石が引かれるように自然と惹かれ合った……ただ、それだけの事に過ぎない。


「強き者と見受ける。手合わせ願おう」

「望むところだ! かかってこい!」

 

 言葉は少なく、しかし両者が同時に取った構えが何よりも互いの意思を雄弁に語る。

 ベルネルと大男は一瞬で互いの力量を感じ取り、この場で出会えた事に感謝し……そして勝利への決意と敗北への覚悟を固めた。


 ――Round1 Fight!!


「でいやっ!」


 ベルネルは腰を落とし、掌打を放った。

 両者の距離は5mほど。とても届く距離ではない。

 しかしベルネルは魔力を編み、それを自らの生命エネルギーと融合させて解き放ち、『飛ぶ掌打』を実現させていた。

 彼に以前まであった魔女の力はもうない。

 だが、それを使っていた経験は今も生きている。

 それが彼だけの、属性すら持たぬ技を完成させるに至っていた。

 大男は咄嗟にガードするが、すぐに次の掌打が飛来する。

 しかし同じ手は二度食わない。大男は跳躍し、上からベルネルを襲う。

 これに対し、ベルネルは素早く迎撃。地面を強く踏みしめ、固めた拳は天を昇る龍の如く。

 高く跳躍し、拳を高く突き上げて大男の顎を殴り、打ち落とした。

 大男もすぐに起き上がろうとするが、起き上がるよりも先に飛ぶ掌打を放ち自らも素早く接近。

 飛ぶ掌打は大男が立ち上がると同時に着弾し、防御を強要する。

 上の防御に意識を割いたのを狙って今度は素早く下段攻め。足を素早く連続で蹴り、体勢を崩す。

 最後に強く蹴って転倒させる。すると何とか立ち上がった大男は続け様の攻撃によってふらついており、頭の上を星が飛んでいた。

 その隙を逃さず再び飛ぶ掌打を放ち、自らは跳躍。

 着弾と同時に飛び蹴りを叩き込み、着地と同時に休む間もなく蹴り上げ、続けて踵落とし。

 最後に回し蹴りへ移行し、大男を倒しきった。


 ――YOU WIN! PERFECT!!


 その後意識を取り戻した大男は己の未熟さと、もっと強くなりたいという決意を抱いて立ち去り、ベルネルもまた、もっと強くなるために修練を続ける。

 あの聖女の隣に立つに相応しくなるまで、彼の修練は終わらない。



 尚、預言者の力でたまたまベルネルの様子を見ていたエルリーゼは「こいつギャルゲ主人公だったはずなのに、何で格ゲーやってんだ……?」と戦慄していた。

 もう彼は色々と手遅れなのかもしれない。



【エテルナの一日】


 世界が平和になってからも、エテルナは変わらずに学園に通い続けていた。

 もう魔物や魔女と戦う事はないが、それはそれとして魔法の腕を磨いて損をする事はない。

 学園でしっかり学べば知識と教養を身に付ける事も出来るし、必ず将来の役に立つはずだ。

 覚えた魔法で生まれ育った村の生活を支えて、親孝行もしたい。

 エテルナが選んだのはそんな、聖女としてではなく村娘としての平凡な人生であった。

 エルリーゼが自らの強大過ぎる影響力を危惧して聖女の座を退き隠居した時、現代の真の聖女であるエテルナこそをエルリーゼの次の聖女に、という声は当然あった。

 しかし、エルリーゼの後に「私が真の聖女です」などと名乗り出ても滑稽なだけでしかない。

 なのでエルリーゼの後の聖女はアルフレアとなり、エテルナは今まで通りの生活を続ける事となった。

 勿論、エテルナがこの時代の本当の聖女であるという事実は、一部の王族や教会上層部、近衛騎士しか知らない事で、世間一般には秘匿されている。

 あくまで一般的には、今でもこの時代の聖女はエルリーゼ、という扱いなのだ。

 また、万一にもエルリーゼの他に現代の聖女がいるという事が明るみになった時の対策として、教会は先手を打ってエルリーゼに『大聖女』という新しい称号を贈る事で、エルリーゼを「聖女を超えた特別な存在」と定めていた。

 ここまで多くの奇跡を起こし、悲劇の連鎖を断ち切ったエルリーゼを今更「本当の聖女ではありませんでした」と認める事など、聖女教会には出来ないのだ。

 そうした教会の思惑やエテルナ本人の希望など、様々な要素もあって最終的にはエテルナの立ち位置は『聖女に近い力を持ち、魔女撃破に多大な貢献をした学生であり、エルリーゼやアルフレアの友人』という事になっていた。

 『魔女』との戦いでアルフレアと共に戦っている姿は大勢の兵士に目撃されているので、完全にただの一般人には出来ず、この辺りが落とし所となったのだろう。

 そんな微妙に複雑な立ち位置にいるエテルナはこの日、アルフレアに呼ばれてお茶会に参加していた。


 聖女の城のテラスで、テーブルを挟んで座っているのは三人。

 現代の真の聖女、エテルナ。

 初代聖女アルフレア。

 そして先代聖女にして今代の元魔女、アレクシアだ。

 聖女という事で同じ悩みを共有出来る三人は時折、こうして集まって雑談に花を咲かせている。


「ねえ、この前さー、教会の人に信徒の皆に祝福を授けて下さいとか言われたんだけどさー……今の聖女って祝福を与える力なんて備わってないわよね? 私が旧世代の聖女だから出来ないってわけじゃないわよね?」

「初代よ、安心しろ……聖女にそんな力などない」

「うん、私もやれって言われても無理だと思います」


 まず最初にアルフレアが、最近教会に頼まれた仕事を話題として出した。

 それにアレクシアとエテルナの二人共が祝福なんて力は聖女にはない、と答える。


「そうよねー。何かエルリーゼの祝福は本当に効果があって、病気が治ったり、病気にかかりにくくなったり、肌のツヤがよくなったりとか、色々あったらしいけど……」

「あいつがおかしいだけだ。何だあれは、世界が千年変わらない状況に飽きて聖女以上の存在を生み出したと言われた方がまだ説得力がある。あれで実は一般人だと? ふざけるな」


 苛々したようにアレクシアが言い、ティーカップにスプーンを入れて乱暴に掻き混ぜる。

 カチャカチャと音が鳴り、それから気分を落ち着けるために中身を一気に飲み干した。


「この世界からすればエルリーゼは救世主だろうし、その功績は私も認める。

私自身も奴に救われたのだから恩もある。

だがそれでもだ。それでも……敵対する側からすれば、奴は悪夢以外の何者でもない!」


 エルリーゼと敵対関係になる、という事は基本的にはない。

 世界のどこにでも文字通り飛んできて、王が見捨てるような小さな村であっても見捨てずに手を差し伸べる。

 まさに理想の聖女を具現化したような存在……たとえ裏切られても、その相手を憎まずに許す。

 そんな存在と敵対してしまった数少ない例外こそが魔女、即ちアレクシアであった。


「私が奴を初めて見たのは、五年前……いや、六年前か。

当時私は、憎きアイズに復讐する為に数年かけて多くの大魔級の魔物を作り、必勝を期して進軍している最中だった……そこに奴は現れた。当時まだ十二歳の幼子だ」


 アレクシアは一度息を吸い、それからゆっくりと吐き出す。

 それから、かつて目の当たりにした悪夢を語った。


「……私が育て上げた大魔級の魔物達が一方的に蹴散らされた。

当時のエルリーゼは今と比べれば、まあまだ弱かったが……」


 アレクシアはそこまで話し、遠くに見える山の一つを指さした。

 それは雲よりも高く聳え立つ、この国で一番の山だ。

 名を霊峰ローラン。二代目聖女の騎士であったローランという男が修行した事から、彼の名前が付けられた山である。


「あの山と」


 それから次に、そこから離れた位置にあるそこそこ高い山を指さした。

 先程の山に比べれば低いが、それでも人が登るならば、最悪遭難する事を覚悟しなければならない。


「あの山の違いのようなものだ。ちっぽけな人間からすれば、どちらも遥かに巨大である事に違いはない。

つまり私にとって、奴はそういう存在だった。

今より弱いからといって、私にとって手に負えない悪夢である事は何も変わらない。

今のようにたった一発で戦場にいる大魔級の魔物を全て消し飛ばすほど出鱈目ではなかったが、一発で奴の周囲五十メートル範囲にいた魔物は消し飛び、二発目で更に多くが消し飛び、そして三発目でほぼ全滅……慌てて逃げ出した私達に四発目が襲い掛かり、気付けば私は一人になっていた。一万は用意していたはずの魔物は影も形もなかった」

「…………」

「…………」

「この間、僅か三分ほどの事だ。

一発目を撃たれた時、私は茫然としていた。正直、何が起こったのか全く理解出来ておらず現実を認識するのに必死だった。

二発目を撃たれてもまだ立ち直れなかった。夢でも見ているのかと思い、ただ棒立ちしていた。

三発目が終わった時点で魔物が気付いたらほぼ消えていた。そして私の足は、未だ立ち直れない私の思考を無視して全速力での離脱を選択していた。

聖女時代に身に付けた、『強敵に出会ったらとりあえず撤退する』、『まずは何をおいても生き延びる』という習慣が私を助けた。

そして四発目で派手に吹き飛ばされ、地面を惨めに転がった。それでも私は屈辱を感じる余裕もなかった。

……戦おうなどとは全く思わなかった。悔しいという気持ちすら湧かなかった。

ただ逃げる事しか考えられなかった」

「…………」

「…………」


 アレクシアの語る悪夢に、アルフレアとエテルナは何も言えなかった。

 ただ、エルリーゼと敵対するというのがどういう事なのかを知り、本来は敵だったはずのアレクシアに同情した。


「今のエルリーゼならば十秒で終わる戦いに三分かける……そのくらいの違いさ。

幸い……今だから分かる事だが、あの時のエルリーゼはまだベルネルと出会う前で、ベルネルの持つ闇の力も吸収していなかったから、私を殺す術がなかった。だから私は助かった。

だが当時の私はそんな事に気付く余裕もなかった。

逃げた。私はただ、恐怖して逃げた。僅か十歳の幼子を本気で恐れ、恥も外聞もなく逃げた。

そしてそれからの私は、どうすればエルリーゼと会わずに済むかばかりを考えて生きていた……。

…………おかしいだろう! 何だアレは! 十二歳だぞ!?

何であんな真似が聖女でもない一般人に出来るんだ! あれが一般人なら、そもそも聖女など要らん!

そんなに世界は私が嫌いか!? 私はそんなに嫌われる事を何かしたのか!? ああ゙ん!?」

「落ち着いてアレクシア! 貴女は泣いていい! 泣いていい……っ!」


 抑えが利かずにとうとう大声を出したアレクシアを、アルフレアが半泣きになりながらなだめる。

 それからアレクシアは何とか落ち着きを取り戻し、荒く呼吸をする。


「でも……エルリーゼ様はアレクシア様を倒す方法がなかったんですよね?

だったら、逃げなかったら実は勝てたんじゃ……」

「無理だな。確かに当時のエルリーゼは私の防御を突破出来ない。だが実力差がありすぎて私にも奴を倒す方法がない。そしてダメージを与える方法はなくとも、拘束するくらいは出来たはずだ。

例えば私の全身を魔法で作った鎖で縛って、重りでがんじがらめにするとか……」

「あ……そっか……」


 エテルナの問いに、アレクシアは諦めたように答えた。

 魔女は確かに聖女の力以外ではダメージを負わない。

 だがダメージを与えずとも無力化する方法などいくらでもあり、エルリーゼはそれを実行出来るだけの力があるのだ。

 つまり……仮にベルネルから力を受け取っていなくても、エルリーゼならばアレクシアを無力化する事は容易かったという事である。


「あ、そうだ。エルリーゼってさ、ばーって植物を生やして森にしたりとかするじゃない。

あれって、どうやってるの? 現代に伝わってる特別な魔法とか、そういうの?」

「……知らん。恐らくは普通の魔法の応用だとは思うが……何をどうして、あんな事が起こせるのか全く理解出来ない」

「ごめんなさい。私も分からないです……前まではずっと、聖女の起こす奇跡とだけ思ってて……神様から貰った特別な力とかなのかなって……」


 アルフレアが次の話題を出すが、やはり現代の聖女二人の答えは『分からない』であった。

 いっそ、理屈抜きの神様から貰った特別な聖女パワーと言われた方がまた納得出来る、という表情だ。

 普通の魔法の延長線上、というのが逆に納得出来ない。


「……聖女じゃないのにこんな事が出来るって……じゃあ聖女って一体……何なんでしょう」

「…………」

「…………」


 エテルナの言葉に、アルフレアとアレクシアは何も答えられなかった。

 正直これ、聖女いらないのでは……? と、どうしても思ってしまう。

 やがて、アルフレアは一気にお茶を飲み干すと、開き直ったような顔で言い切った。


「……エルリーゼは大聖女だからヨシ!」


 エルリーゼは一般人ではない。大聖女だ!

 だからヨシ! そう思う事で三人の聖女は心の平穏を保つ事にした。

 そんな平和な、昼下がりのお茶会であった。

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