サプリ・メントの一日

 サプリ・メントの一日は変な祈りから始まる。

 学園に用意された教師用の寮の一室で目を覚まし、ベッドを整え、朝一で大浴場に入って身を清める。

 念入りに歯を磨き、髪を整え、それから部屋に戻ると何故か純白の法衣に身を包んだ。

 そうしてしっかりと身だしなみを整えてから鉄の扉で厳重に守られた保管庫へ入る。

 中にはサプリが集めた聖具……エルリーゼゆかりの数々の品が飾られており、中央にはサプリがエルリーゼより直々に賜った仕込み杖が収められた箱が置かれている。

 この杖はエルリーゼが魔法で作り出したもので、その頑丈さは他の武器の追随を許さない。

 普通に武器として使っても世界最高峰の、逸品だが、サプリは『魔女』との戦いで使用したのを最後にこの武器を保管室に封じていた。

 その理由はベルネルのように、聖女から賜った武器を持つのにまだ自分が相応しくないと思ったから……ではなく、普段から使って汚れたりどこか欠けたりしたら困るからだ。

 その杖の前で仰々しく膝を突き、頭を下げて祈る。

 この世界にエルリーゼという奇跡がいてくれる事。そして同じ時代に生まれ、数々の奇跡を拝めた事への、心からの感謝!

 ひたすら拝んでは頭を下げ、それを一時間繰り返した後にようやくサプリは部屋を出た。

 それから学園教師の服に素早く着替え、出発。

 まずは食堂で軽く朝食をとり、授業に向かう。

 この学園は騎士を育成する為の機関だが、エルリーゼの活躍によって魔女や魔物の脅威から解放された今では、従来通りの授業は意味がない。

 これから先、騎士の役割は変わり、戦う相手も魔女や魔物ではなく野生動物や人……主に盗賊などの無法者となるだろう。

 なのでサプリの授業は従来のやり方をバッサリと切り捨て、これから先の時代に必要とされるだろう技能や知識の習得へ切り替えていた。


「おはよう、諸君。エルリーゼ様への感謝は毎日捧げているかね? 捧げているならば結構。

さて……ああ、教科書は仕舞いたまえ。それは魔女との戦闘を想定したものだ。私の授業ではもう使わない」


 教壇に上がり、生徒達を見回す。

 何人かは、急な路線変更を行ったサプリに不満そうな顔をしているが、不満なら不満で別に構わない。

 元より騎士とは一部の者しかなれない職業で、それ以外の者は容赦なく落とされる。

 これから先の時代に適応出来そうにない候補生は、ただ落ちていくだけだ。


「魔物は先の王都の襲撃以来目撃情報がなく、魔女もいなくなった。

魔物はまだどこかに潜んでいるかもしれないが、魔物は魔女の力を与えられる事でしか生まれない……つまり自然発生はあり得ないので、放置しても時を経ればやがては消える。

ならば、魔女や魔物と戦う為の精鋭である騎士は、これから先何を相手に戦うのか?

誰か分かる者はいるか?」

「ええと……野生動物……後は、同じ人間ですか?」

「正解だ、ジョン君」


 これから騎士が戦う事になるだろう相手は、野生動物と人間の二つ。

 そのうち野生動物はあまり重要ではない。そんなものの相手は騎士がやるより、専門の狩人などを育ててそちらにやらせた方がずっといいだろう。

 ならば重要なのはもう一つ……対人間である。

 世界は平和になった。だが平和になったからこそ、今までは共通の脅威を前に手を取り合っていた国と国が敵同士になる可能性がある。

 アイズ国王から聞いた話だと、過去に行われた人間同士の大規模な争いはいずれも、魔女がいない空白期間に行われていたという。

 ならば、その戦争に対する抑止力が必要だ。

 どの国にも属さない、そしてどの国が暴走しても抑え込める調停者がいなければ、人同士は容易く互いを食らい合う。

 そして聖女と騎士は、どの国にも属しておらず、精鋭のみを集めている為に戦力は世界最強だ。

 つまりこれからの時代の調停者となれる資格を満たしている。


「今はどの国も平和である幸せを噛み締めているが、平和に慣れれば人同士の戦争が起こるだろう。その時に、国の暴走を抑え込める調停者が必要だ。

今はエルリーゼ様がおられるから、人同士の戦争はまず起こらない。

聖女の座を退いても、存在しているだけで人の世の平和を保ち続ける存在……まさに聖女の中の聖女と呼ぶ他ないだろう。

しかしエルリーゼ様がご存命の間はよくとも、問題はその後だ。

その時の為に、今から世界の調停者としての聖女と騎士という認識を作り、根付かせていかねばならん。

ただ、聖女はもしかしたらもう生まれないかもしれないから、その時の事も考える必要がある。

……さて、前置きが長くなってしまったが、今日は対人を想定した陣形を学んでいこうか」


 午前の授業が終われば、足早に学園を出る。

 普段は午後の授業も受け持つのだが、今日は特別だ。授業よりも優先するべき大切な使命がある。

 学園の外に出るとサプリは指をくわえ、指笛を吹いた。

 すると大空から一羽の巨大な鳥が舞い降り、サプリの肩を掴んで飛翔した。

 この鳥は名前をイマタテコンドルといい、普段は忙しく空を飛び回っていてなかなか姿を見る事の出来ない希少な鳥だ。

 大きさは巨大なもので四メートルに達し、牛や馬どころか時には魔物ですら捕らえて捕食してしまう。

 魔物は人間を殺める為に自然を荒らし回る、野生動物にとっても非常に迷惑な生き物だった。

 だが動物もやられっぱなしではない。環境に適応するのが動物だ。

 動物の中には、魔物という天敵に対抗するべく巨大に、力強く進化した生物も存在する。

 このうちの一つがこのイマタテコンドルだ。

 最大高度は2万m! 最大速度は時速五百㎞!

 そのパワーは体重五百㎏の魔物を掴んで瞬く間に大空に飛翔し、そのまま二十四時間ぶっ通しで飛び続けられるほどに強い。

 以前エルリーゼに倒されたバーカドリですらイマタテコンドルの前ではただの餌であり、飛行可能な魔物の何種類かはこの鳥によって絶滅させられたと言われている。

 もうこれ、ほとんど魔物と変わらないんじゃないかな。

 そんなイマタテコンドルを、サプリは捕獲して飼い慣らしていた。

 その目的は一つ……エルリーゼの住む森に、いつでも馳せ参じられるようにしたいからだ。

 エルリーゼの住む森は王都から汽車に乗る事で辿り着ける。

 しかし王都は学園からは遠く、更に汽車に乗っても更にそこから時間がかかる。

 それではいけないと、サプリは執念でこの鳥を捕まえて調教したのだ。

 ……尚、イマタテコンドルは魔物どころか人間すら普通に捕食対象にしてしまう極めて危険な存在であり、あまりの危険さから魔物と同一視されて騎士の討伐対象にまで入ってしまっている生物だ。

 当然、本来ならば人に懐く鳥ではない。

 それを支配下に置けたのは、ひとえにサプリの執念。エルリーゼへの常軌を逸脱した愛があればこそだろう。

 要は、あまりのサプリの変態オーラにイマタテコンドルですら「あっ、これ逆らったらアカン奴や」と察してしまったのだ。


 イマタテコンドルに運ばれたサプリはエルリーゼが住む森の上空へやって来た。

 そこで何を考えたのかイマタテコンドルは爪を放し、上空からサプリが落下する。

 当然、地面との距離はまだ遠い。その距離、実に三十m! 人間など余裕で即死出来る高さだ。

 しかしサプリは恐れずに両手を身体に付けて空気抵抗を最小限にし、地面へと落ちて行く。

 眼鏡がキラリと光り、木々の間にある開けた場所を見付けてそこに身体を捻じ込んだ。

 そして落下! ――と同時に魔法を発動し、自らが落ちた地面を柔らかな砂へと変えてクッションとする。

 力を抜き、軽く膝を曲げた状態で爪先から地面に着地。

 着地と同時に膝を揃え、右に突き出す。膝の角度は三十度、両手は握って後頭部に当てて肘を締める。

 膝と逆方向に身体を捻り、足、すねの外側、尻、背中、そして肩の順に着地する事で衝撃を五か所に分散し、そして何事もなかったかのように立ち上がった。

 猫は高い場所から飛び降りたり、逆さまに落下しても怪我をする事が少ない。

 それは彼等が本能で、衝撃を身体の各所に分散させる動きをしているからだ。

 サプリは猫の動きを観察し、その動きを取り入れる事で高所から落下してもこのように無傷で済むようになっていた。

 無論、人間は猫ほどの柔軟さはないので、魔法で地面を砂に変えるなどの工夫が必要なのは言うまでもない。

 ただしレイラやベルネルなどの一部の例外は砂でなくても平気だ。


「タカヤオ! ガイタンヘラカラソ!」

「ヨタキタマ! ネガメイタンヘノコ!」


 空からの登場に周囲の守り人が驚くが、気にせず身体に付いた砂を魔法で取り除き(サプリは土属性魔法が得意なので、身体に付いた砂を纏めてどこかにやるくらいは出来る)乱れた髪を持参した櫛で整えてエルリーゼが住むログハウスへと向かう。

 そしてドアをノックすると、中から足音が近付いてきた。

 エルリーゼの足音とは違うので、多分レイラだろう。

 案の定、ドアを開けて出てきたのは愛しの大聖女ではなく、その側仕えの騎士であった。


「何だ、サプリ教諭か」

「人の顔を見るなりそれかね。まあいい、エルリーゼ様はおられるかな?」

「今は二階でお休みになられている。用件があるなら私が伝えよう」


 レイラは用件ならば自分が伝えるから、ここでさっさと言えと要求してくる。

 そんな彼女に、サプリはわざとらしく肩をすくめて馬鹿にするように首を横に振った。


「レイラ君、君は馬鹿かね。私は五日に一度はエルリーゼ様のお姿を拝見せねば禁断症状で身体が震え出すのだぞ」

「それはお前がおかしいだけだ」

「では聞くが、君はエルリーゼ様から数日も離れて平静でいられるのかな?」

「む、それは……確かにそう言われると分からないでもないが……」


 否定は出来まい。何故ならレイラは、エルリーゼと離れ離れになる事に耐えられずに騎士の位を捨ててまで同行した女なのだ。


「仕方ない……そこで座って待っていろ。今、呼んでくる」


 レイラが一度二階へ上がり、それから少ししてレイラと一緒にエルリーゼが降りてきた。

 以前までは白いドレスを着用していたエルリーゼだが、隠居生活に入ってからは主にアイズ国王から贈られてくる服や、自作の服を着るようになっている。

 今日の服装はフリル付きの半袖の青いシャツに、エルリーゼにしては珍しい黒色のロングスカートというラフなものだ。

 髪は首の後ろで結んでおり、聖女時代とはまた違ったイメージを抱かせる。

 マーヴェラス! サプリは心から感動した。

 正直、こうして色々な姿のエルリーゼを見たいが為にここに来ていると言っても過言ではない。

 それからサプリは外の様々な情報を伝えながらも、意識の大半はエルリーゼの姿を見る事や、同じ空間にいられる事の幸福を噛み締める事に費やしていた。

 この変態……レベルアップしている……!

 そして伝えるべき事を伝えた後に、別れの挨拶を言ってログハウスを出た。


 ――今日はとても良き日であった。

 ――これでまた明日から生きていける……。


 こうして、ある意味この世で一番幸せな男は浮かれた気分で学園へと帰って行った。

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