エルリーゼとレイラの一日

 エルリーゼの一日は大体、午前七時か八時から始まる。

 前世では不規則な昼夜逆転生活を送っていたので起床も昼過ぎだったが、こちらの世界では長年の聖女の城での規則正しい生活のせいですっかり健全な生活リズムが身に付いてしまっていた。

 聖女を引退したエルリーゼは、以前までプロフェータが暮らしていた森の中にログハウスを建てて、レイラと二人で気ままな生活を送っている。

 食事当番は日替わりで、今日はレイラが当番なので朝ご飯が出来るまでやる事がない。

 なので預言者の力を使って世界各地を覗き見し、それからレイラに呼ばれて食卓へ向かった。

 今日の朝食は燻製肉とパン、付け合わせの芋。自家栽培で育てている野菜の盛り合わせだ。

 デザートには守り人から献上された新鮮な果物もある。

 この世界の基準で考えるならば、かなり贅沢な内容だと言えるだろう。

 パンを焼くための窯は貴族や教会が独占しているが、そこは仮にも大聖女の住んでいる家だ。

 アイズに竈を注文したら、次の日には職人が沢山やって来て、あっという間に取り付けてくれた。

 パンは作るのが手間なのでエルリーゼはあまり作らないが、レイラは頑張ってパンを捏ねて焼いている。

 最近はどんどん腕が上達しており、地味に楽しみの一つだ。


 朝食を終えれば、レイラは狩りに出かける。

 その間、エルリーゼは畑の世話……は実はあまりしていない。

 そんな事をしなくても回復魔法の応用でいくらでも成長させてしまえるし、やろうと思えば本当にすぐにでも収穫出来る。

 しかも最近は畑に興味を持った守り人に、野菜の育て方を教えてみたら喜んでやり始めたので本当にエルリーゼは何もしなくてもいい。

 なのでエルリーゼは適当に森の中をブラブラと散歩する。

 仕事も責任も義務もなく、ただ何も考えずに歩く……ああ、何と解放的な事だろう。

 時間という有限で貴重なものを無意味に浪費するという最高の贅沢。それを堪能しながら歩いていると木陰から鹿や兎、元の世界にはいないよく分からない動物などが出てきてエルリーゼの周囲にまとわりつき出した。

 彼等の半分以上は作物を荒らす困った奴だったのだが、駆除するのも面倒だったのと、それで無駄な罪悪感を背負いたくもなかったエルリーゼはとりあえず最初に説得を試みた。

 その結果、何故か上手くいってしまったのが始まりだ。

 生き物の感情というのは空気中のマナに流れ出す。

 それを利用して自らの感情を少しだけ魔力に乗せて意思を伝えようと試みてみたり、逆に空気中のマナに流れ出した彼等の感情を読み取ったりして、色々とやった結果、少しくらいならば意思の疎通が出来るようになってしまった。

 それで意思疎通をしてみた所、助けを求められたり食べ物をせがまれたりしたので要望に応えてやった結果、こうして懐かれてしまったわけだ。

 尚、野生動物の持つ病原菌や寄生虫に関しては、出会い頭に浄化魔法をかけて全て消している。

 また、エルリーゼ自身も常に自らに浄化魔法をかけ続けているので、体外、体内共に汚れや有害なものは発生次第浄化され、仮に有害な菌や毒が入り込んでもその瞬間に消滅してしまう。

 なので病気になる心配はない。

 また、常に自身に薄いバリアを張っているので大型動物がじゃれてもエルリーゼが怪我を負う事はない。

 仮に熊が本気で引っ掻いても、その時は熊の爪の方が砕けるだろう。

 とはいえ、今の所動物達がエルリーゼに危害を加えた事はなく、皆大人しくしていた。

 木を背もたれにして座ったエルリーゼに、虎……いや、虎サイズの猫がゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を擦り付ける。

 虎などの大型動物を触ったりしてみたい、というのは実はエルリーゼの前世の頃からの密かな夢だ。

 海外の金持ちがよく虎やライオンをペットにしているように、彼等は男の浪漫を誘惑する何かを持っている。

 なので、密かに夢の叶ったエルリーゼも内心でテンション爆上げであった。

 これは虎ではなく、虎サイズの猫だが、これはこれでいいものだ。


(おお、ゴロゴロいっとる……すげえ音……)


 巨大猫の喉を撫でながら、エルリーゼはこの時間を楽しんでいた。

 流れて来る感情は慕うものや感謝の気持ちなので、とりあえず懐かれていると思って間違いないだろう。

 何故感謝されているのかだが、どうも野生動物にとっても魔女と魔物はこの上なく鬱陶しい存在だったらしい。

 魔物とは動物が魔女に変質させられてしまったものだ。

 なので動物からすれば魔女は、自分達をわけの分からないモノに変えてしまう敵であり、そして魔物はわけの分からないモノとなってしまった敵だ。

 しかも魔物は人間を殺す為だけに自然は荒らすわ水に毒は流すわでやりたい放題だ。

 そのせいで魔物の攻撃対象ではない動物達も食べ物がなくなり、非常に迷惑していた。

 かといって排除しようにも、魔物は強いのでどうにもならない。

 そして彼等は本能か、それともこの世界ならではの動物同士でネットワークでもあったのか……エルリーゼが敵を排除してくれた事を何となく理解し、その情報を共有していた。

 他にもエルリーゼの近くにいると身体の調子がよくなったりするので、居心地がいいらしい。

 今も、エルリーゼの膝の上に陣取っていた巨大猫を、横から来た別の巨大猫が無理矢理どけて横取りしている。

 しばらくそうして過ごしていると、何かを感じ取った巨大猫が逃げるように退避し、木の影からレイラが現れた。


「エルリーゼ様、ここにおられましたか。そろそろお昼なので、一度戻りませんか?」

「ええ、分かりました。それでは皆、また後で」


 動物達をどけて立ち上がり、レイラと共にログハウスへと帰る。

 念願のニート生活を手に入れた今、エルリーゼはこの上なく平和になった世界を満喫していた。



【レイラの一日】


 レイラの一日はエルリーゼよりも少しだけ早く始まる。

 まずは外で軽く素振りをし、仮想敵を相手に様々な型を試していく。

 既にエルリーゼは聖女の座から退き、それに合わせてレイラも騎士の位を返上してエルリーゼについてきた。

 なので今のレイラは身も蓋もない言い方をすれば無職だ。

 しかしそれでもレイラはエルリーゼの騎士であり、魔女の脅威がなくなった世界でも有事に備えて鍛錬を続けていた。

 鍛錬を終えれば、その後は朝食の準備に入る。

 食事は交代制で、今日はレイラの番だ。

 エルリーゼほど上手く作れないが、それでもやるからには手抜きは出来ない。

 最近はそれなりに上手くパンを焼けるようになり、こういうのも楽しいと思えてきた。


 朝食が終われば、レイラは狩りに出かける。

 狩りの対象は主に魚だが、時には餌を求めて近くの山から熊が降りて来る事もあるので、発見したらそれも狩らなければならない。

 放置して守り人が襲われる事があれば大事だし、万一にもエルリーゼが害される可能性は減らしておきたい。

 無論、魔女の攻撃ですら通らないエルリーゼを害する事が出来る存在などいないと分かっているが、それでも念の為だ。

 今日は熊はいなかったが、代わりとばかりにかなり大きめの魚を捕獲してしまった。

 大きさは一メートルはあるだろうか。


「これは大物だな。一日ではとても食べきれそうにない」


 これだけ大きな魚を手に入れたなら、今日の成果はこれで十分だろう。

 とりあえず早急に魚の内臓を処理し、血抜きを済ませて、今日は帰る事にした。

 それから帰る途中でエルリーゼを呼ぶべく、普段エルリーゼが散歩コースにしている道に向かう。

 少し歩くと、木陰で動物達に囲まれているエルリーゼを見付け、その幻想的な光景に思わず足が止まる。

 本来は人を警戒して近付かないはずの動物まで、エルリーゼの近くでは安らいでいて、心を許しているようだ。

 もし仮に、あそこにいるのがレイラだったならば動物達はあんなに寛がずに一目散に逃げているだろう。

 あまりに幻想的な光景を壊すのが憚られ、声をかけるべきかどうか悩んでしまう。

 だがその時、レイラはエルリーゼの膝の上に頭を乗せてくつろぐ巨大な猫を発見した。

 け、獣風情が何と羨ま……いや、無礼な!

 動物相手に大人げなく嫉妬したレイラの殺気が伝わったのだろう。

 巨大猫は怯えたようにその場から飛び退き、エルリーゼの視線がこちらを向いた。

 レイラは慌てて姿勢を正し、何事もなかったかのように冷静に言う。


「エルリーゼ様、ここにおられましたか。そろそろお昼なので、一度戻りませんか?」

「ええ、分かりました」


 それでは皆、また後で、とエルリーゼが言うと動物達も素直に従って解散した。

 動物が人の言葉など分かるものなのだろうか?

 そう思うも、エルリーゼ様ならば不思議はないか、とレイラは勝手に納得した。


 昼食を終えた後は夕食の仕込みを始める。

 今日の成果である大きな魚は、一日で全て使うのは無理があるので今日はとりあえず一部だけを使う事にして、残りはエルリーゼの魔法によって冷凍保存された。

 さて、どう料理したものか……焼いて塩をかけるのも美味そうだし、煮込んでもよさそうだ。

 そう思案していると、誰かがドアをノックする音が聞こえた。

 人里離れたこんな森の中にある家を訪れる人物はそう多くない。

 ここに来るのは守り人か、アルフレアやアイズの使いでやって来る騎士か、あるいは外の情報の提供という名目で頻繁にやって来る、あいつか……。

 ドアを開けると、そこに立っていたのは予想通り眼鏡をかけた男であった。


「何だ、サプリ教諭か」

「人の顔を見るなりそれかね。まあいい、エルリーゼ様はおられるかな?」

「今は二階でお休みになられている。用件があるなら私が伝えよう」


 サプリは外の情報を持ってきてくれる、そこそこ有難い存在だが、そう大きな出来事が起きたのでなければわざわざエルリーゼを呼ぶまでもない。

 レイラが聞いて、後で伝えれば済むことだ。

 しかしサプリは小馬鹿にしたように笑う。


「レイラ君、君は馬鹿かね。私は五日に一度はエルリーゼ様のお姿を拝見せねば禁断症状で身体が震え出すのだぞ」

「それはお前がおかしいだけだ」

「では聞くが、君はエルリーゼ様から数日も離れて平静でいられるのかな?」

「む、それは……確かにそう言われると分からないでもないが……」


 ここで少しでもサプリに共感を示してしまう辺りが実にスットコである。

 仕方ないので二階に上がってエルリーゼを呼び、二人でサプリの話を聞く。

 もっとも、予想はしていたが大した話ではなかった。

 最近の王都の様子やアルフレアの様子、先日栽培を始めたサツマイモの普及具合などを軽く報告されただけだ。

 やはり報告は建前で、ただサプリがエルリーゼに会いたくて来ただけなのだろう。

 その後サプリは満足したような顔で帰り、夕飯の時間を迎えた。

 魚は悩んだ末、結局シンプルに焼く事にしたが、なかなか美味だったのでこれで正解らしい。

 二人でしばらく食事を楽しんでいると、開けていた窓からスルリと普通サイズの猫が入り込んできた。

 魚の匂いにでも釣られたのだろう。このログハウスにはよく猫がやってきては餌を強請る。

 エルリーゼも猫は嫌いではないようで、冷凍保存していた魚から骨のない部分を取ると火の魔法でしっかり加熱してから、猫が火傷しないようにすぐに風の魔法で冷まし、猫に与える。

 すると猫はガツガツと魚を食い、完食した後は満足そうにエルリーゼの足に尻尾を巻き付けている。


「…………」


 レイラは何となく、塩をまだ振っていない魚の一部を切り取って猫の前に出してみた。

 しかし猫はレイラを一瞥するも、まるで興味がなさそうに顔を逸らしてしまう。

 どうもレイラには懐いていないようだ。


「ぐぬぬ……」


 魔物を斬るのは得意なレイラだが、動物にはあまり好かれない。

 ある意味レイラにとってこの猫は、強大な魔物よりも手強い相手なのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る