第七十二話 フィオーリの亀(前半)

 夜元やもと 玉亀たまき

 それがここ数日調べて辿り着いたシナリオ製作者『フィオーリの亀』の本名だった。

 本当ならばすぐにでも分かったはずのこの名前一つ調べるのに、妙に時間をかけてしまった。

 伊集院は全く名前を思い出せず、会社で資料を調べても不思議と見付からない。

 まるで霧でも掴もうとしているかのようにスルスルと手から抜け落ちていく。

 結局この名前が分かったのも、『向こう』のストーリーがある程度進行してからの事だった。

 すると今度は不思議な事に、今まで分からなかったものが突然分かるようになってしまった。

 シナリオ製作者の本名も突然、思い出した。

 逆にどういうわけか、伊集院の頭の中にあった『本来の物語』……エルリーゼが我儘で自分勝手で悪役だった本来のシナリオの記憶が、まるで引き換えにするように薄れていた。

 エルリーゼが本来は悪役だった事や、確かに違うシナリオだった事はかろうじて思い出せる。

 しかしそれ以上に、『元々今のストーリーだった』、『エルリーゼは元々本物よりも聖女らしい偽聖女だった』という認識も強まってしまっているのだ。

 そう、それはまるで二人以外の全員がそう認識しているのと同じように。

 伊集院も徐々に前の世界の事を忘れ始めていた。


 これが一体何を意味しているのかはさっぱり分からない。

 そもそもこんなオカルトなど、どう解釈すれば正しい答えが得られるというのか。

 もしかしたらいくら探しても正しい答えなど得られないかもしれないし、そもそも答えそのものがないのかもしれない。

 だがそれでも探せる部分は探すべきだし、手詰まりになるまでやらなければずっとモヤモヤした気持ちが残るだろう。


 早速伊集院はフィオーリの亀――夜元に連絡を取り、直接会って話す事が決まった。

 その為の場所として向こうは値の張る少しお高めの喫茶店をリクエストし、そこで会って話す事になった。

 ……ちなみに食費は伊集院の奢りである。

 何はともあれ、ようやく接触出来た相手だ。この機会を逃すわけにはいかないと伊集院は仕方なくこの会食に賛同し、今日話す事が出来るようになったのだ。


 やってきた喫茶店は現代日本の中では浮いてしまいそうな煉瓦作りの建物で、中は木や椅子、床が木製で統一されている。

 照明は天井から吊り下げられた、シックな趣のキャンドル型シャンデリアで店内を明るくなりすぎない程度に照らしている。

 解放的なガラス張りの壁からは外の通りがよく見えた。

 どこか中世チックな雰囲気を感じさせるその店内で、伊集院は店員に待ち合わせをしている相手の事を訪ねた。

 すると店員は笑顔で一つの席を示す。

 そこに座っていたのは……女だ。

 しかも若い。二十歳を超えていないのではないだろうか。

 日本人らしい黒髪を肩まで伸ばした、スーツの女性だ。

 顔立ちは平均以上といったところか。目を見張る美女ではないが、そう悪い容姿でもない。

 二人はその席に向かい、まずは声をかけた。


「失礼。貴女が夜元さんですか?」

「ええ、そうです。貴方は伊集院さんですね? お待ちしておりました」


 どうやら本当にこの女性が目的の人物らしい。

 その事を確認し、二人は対面側の椅子に腰を掛けた。

 夜元の横にはいくらか皿が置かれていて、待っている間にかなり高いものばかりを頼んでいた事が分かる。

 この代金は勿論伊集院持ちだ。


「ところで、そっちの人は……」

「彼は付き添いだ」

「……あの、大丈夫なんですか? 顔色凄い事になってますよ」

「気にしないでやってくれ」


 夜元はまず、不動新人の顔色の悪さとやつれ具合を気にした。

 店員もあえて客の素性に口出しするような事はしていないが、時折こちらを見ているのでやはり新人の見た目の不健康さは目立つようだ。

 恐らくは『店の中で倒れるとか止めて欲しいな』と考えているのだろう。

 まかり間違えて死なれでもしたら、たとえ店側に一切の比がなくとも悪い噂になるので迷惑になる。

 なので店側としてはさっさと出て行って欲しいというのが本音のはずだ。


「それで……本日は私と話したいという事でしたが、どんな要件なのでしょう?

続編のシナリオでしたら、前から言っているようにまだ出来ていませんが。

……というより、最初に言ったように私は元々『永遠の散花』は一作で完結のつもりだったので、勝手に続編の告知をされてしまった事自体困っているんです。

元々考えていないものをどうしろと……」

「それについては申し訳なく思っている。だが人気が高かったし、我が社のゲームの中で一番売れているから続編を出さないという選択肢はないんだ。要望の声も多かったし……。

だから続編のシナリオは、また新たに別の人を立てて……」

「駄目です。どこの誰かも分からない馬の骨なんかに物語を預ける事は出来ません。

もういっそ、続編はないと告知してくれればいいのに」


 夜元はやや不満そうに話しながら、伊集院を責めるように見る。

 どうやら『永遠の散花』にいずれ続編が出る、というのは会社側で勝手に告知したものだったらしい。

 なるほど、いつまで経っても続編が一向に出ないわけだ。

 元々シナリオを書いている側が一作で終わらせるつもりだったのだから、続きなど最初から全く考えていなかったのだ。


「それは……と、今回はそんな話をしに来たわけじゃない。

実は少し、おかしな事になっているんだ。

オカルト染みていてあまり信じられないかもしれないが……まずは聞いてくれないだろうか」

「……オカルト、ですか?」


 それから伊集院は、ここまでに起こっている不可思議な出来事を話し始めた。

 自分と不動新人が知っている本来のゲームのシナリオ。エルリーゼというキャラクターの大きすぎる変化。

 こちらに何故かエルリーゼが出現し、そして彼女の行動に合わせてゲームの内容まで変わっている事。

 変わっている事を認識出来ているのは自分達二人だけで、他の皆は誰もが最初からこうだったと認識している事。

 更に、先の情報……つまりはネタバレを見ようとするとどういうわけか全く見れなくなってしまう事も。

 その全てを聞いた時、夜元は口元に手を当てて真剣な表情をしていた。


「興味深いねえ……私は最初から今のシナリオで書いたはずだが……しかし、今聞いた内容は確かに向こうにいる時に視たあの不可解なシナリオと一致している……。

時間軸のズレ……? 可能性の分岐?

やはり鍵はエルリーゼだったという事なのか……?」


 ブツブツと夜元が何かを呟いている。

 やがて彼女は顔をあげ、真っすぐに伊集院と新人を見た。


「大分素っ頓狂な話でしたが、とりあえず信じましょう」

「やけにあっさり信じるな。自分で言うのもなんだがかなりあり得ない話をしていると思うのだが」

「まあ、そうでしょうね。ただ……私も少し、あり得ない身の上ですので」


 そう言い、夜元は口の端を釣り上げた。

 やはり彼女は、この不可解な現象の何かを知っているという事なのだろうか。

 少なくとも、何らかの下地がなければこんな話を『はいそうですか』と信じる事は出来ない。

 実際二人は今日、夜元に馬鹿扱いされるのを覚悟の上でここまで赴いたのだ。

 だが次の瞬間、夜元の口から更に信じがたい事が明かされた。

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