前編
日は変わって数日後。
あんな目にあったというのに、僕は連日あの少女の姿を探していた。
逆に出会いが強烈だったからこそ、また会ってみたかったのだろうか。
「にゃー、にゃあ?」
あの声だ。
昂ぶる気持ちを抑えつつ、僕はゆっくりと河川敷を下る。
「……」
「やぁ、元気?」
こんなに早くまた出会えるとは思っていなかった。
僕は出来るだけ平静を装いながら、さも偶然であったかのように少女へ声を投げる。
「……また来たの、あんた」
昨日に引き続き不機嫌な少女。
そんな少女とは対象的に、猫はあぐらを急かすように僕のズボン裾をかりかりと引っ掻いてくる。
前回の件でてっきり嫌われていると思っていたが、少なくとも猫には好かれているらしい。
「……」
僕のあぐらの上で丸まる猫を一瞥し、僕に恨めしそうな視線を向ける少女。
僕としては、お猫様の要求を聞いただけなのにそんな顔をされると実に悲しい。
「こっち来て、撫でてあげたら?」
昨日はそうしてたのに、と声を続けようかと思ったが、今の少女の機嫌を考えると藪蛇になりかねないので黙っておく。
「……むむむ」
唸りながら少女が僕の方へとにじり寄り、限界まで僕に近づかないようにしながら猫の方へと手を伸ばした。
ぎりぎり届いた少女の手に猫は頬を擦り寄せ、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
そんな仕草が両者両様に可愛くて、ついつい手僕は手を伸ばしてしまった。
「……っ!」
少女の手と僕の手が触れた瞬間、少女がバッとその場から飛び退く。
それに驚いた膝元の猫も、驚きの鳴き声と共に飛び上がった。
「わっ……」
「……あ」
完全に不意を突かれた。視界の端から空がぐるりと回る。
不安定な体勢だった僕は受け身もままならず、そのまま頭から地面に叩き付けられた。
「あぐぐ……」
痛みに悶える僕の耳に、ざっざっと遠ざかる足音が地面を伝って響く。
しまった、なんて思った時には既に遅く。
予想通りと言うかなんというか、起き上がった僕の眼前から少女と猫の姿は無くなっていた。
(……また、逃げられた)
頭の裏に付いた土を払いながら、僕は伸びをする。
あの子と出会うと、碌なことが無い。二回の出会いで分かりきったはずなのに。
僕はまた明日、少女を探そうと心に決めて帰路に着いた。
「やぁ、元気?」
「……ん」
何度目になるか分からない挨拶を僕は少女と交わす。
あれから数度、生傷を作っては交流を繰り返した結果、やっと少女が普通に会話してくれるようになった。
いつものようにあぐらをかいて座った僕の膝上に猫がぴょこんと乗り、それに合わせて少女も僕の目の前に座る。
「そうだ、今日はいいものを持ってきたんだ」
「?」
鞄をごそごそと漁る僕を、少女がキョトンとした顔で見返してくる。
万を持して、と言った感じで僕が取り出したのは猫じゃらし。学校の近くで拾ったものだ。
膝の上で丸まる猫へ向けて猫じゃらしを振ると、それに合わせて猫も足をぶんぶんと振る。
取られないように、だが興味は失わせないように。
絶妙な感覚で僕が猫じゃらしを振り続けると、猫もそれを躍起になって追う。
なにこれかわいい。
「……」
ふと少女の方へ視線を向けると、少女の目線も猫じゃらしに合わせて揺れている事に気付いた。
試しにゆっくりと右へ左へ動かしてみると、くりくりと丸い目がそれに合わせてぐるぐる回る。
なにこれかわいい。
「……っ」
しまった、ばっちりと目が合ってしまった。
視線が自分に向いていることに気付いた少女が、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
前までならここで猫の爪が飛んできていただろうな。
僕は猫の頭を撫でながらそんなことを思う。
ゴロゴロと喉を鳴らす猫。目を細めながらそんな猫を撫でる少女。
僕が少女のことをここまで気になってしまった理由は少女が猫のようだから、なのだろうか。
「あ、もうこんな時間か」
河の色がほのかな紅色に変化したのを見て、僕はそう呟く。
少女と共にいると、時間が進むのが早くて仕方ない。
僕はまだ猫のまとわりつく猫じゃらしをしまうと、膝上の猫を持ち上げ地面に降ろす。
猫が名残惜しそうにじたばたするのに後ろ髪を引かれるが、あまり遅くなるわけにはいかない。
少女の視線もどことなく不満げに感じるのは、名残惜しい僕の勝手な体感だろうか。
(……というか)
僕が帰るときも、少女は決まってここに居座っている。
普段一体どこからここへ来ているのだろうか。
「ねぇ、キミってどの辺りに住んでるの?」
「……」
僕の質問に、少女が押し黙る。
少し困ったような、戸惑いを帯びた視線。
何となくした質問への思わぬ反応に、僕までどうしていいか分からなくなる。
一瞬の逡巡。その虚を付く形で、僕と少女の間に黒い影が走った。
影はそのまま僕の顔に覆いかぶさり、僕の額に一文字の傷を作って着地する。
久々の出来事に戸惑う僕の目の前を少女がすり抜けていく。
何かを言おうと考えてはみたが、結局言葉は何も出てこず。
(また逃げられた、か)
額の血を拭い、僕は夕焼けを見上げる。
改めて少女に拒絶されたような気がして、その日の帰路はとても気持ちが重かった。
「や、やぁ」
「……」
あの日から少女と出会えず幾日。もう二度と会えないと思っていた。
やっと見つけた少女に気取られぬ様、僕はゆっくり近づくとその背中に声を掛ける。
色々と言いたいことはあったはずなのに、いざ少女を目の前にすると言葉が出てこない。
「……何しにきたの」
口調は初めて出会った時のようにトゲトゲしい。
だが言葉の雰囲気が口調と対照的に弱弱しい気がする。
しかし何しに、と言われても困ったものだ。答えは一つしかあるわけがない。
「そりゃ、キミに会いに」
当たり前じゃないかと言わんばかりの僕の言葉に、少女がパーカーの帽子をぐっと引いて顔を隠す。
その行動の意図する所は分からなかったが、少なくともすぐに逃げられてしまうようなことが無くてよかった。
「……」
「……」
再び、沈黙。
お互いに言葉を探しているのか、それともどちらかが話し出すのをどちらとも待っているのか。
そんな静寂の中で、退屈そうに猫が一鳴き。
そんな鳴き声へ答える様に少女は猫の頭を一撫ですると、そのまま猫を抱えながらぽすんと座り込んだ。
状況はいつもの逆パターンと言った感じ。
ならば次に求められている行動はこうだろうか。
「……よし、よし」
僕は手を伸ばし、猫を撫でる。
猫を撫でる、はずだったのに。
「……っ!」
自分の思っていなかった場所とは違う場所へと着地した手の平。
この猫耳パーカー、思ったよりもふかふか素材で出来ている。なんてのはどうでもよくて。
折角出会えたというのに、逃げられてしまう。
などと大焦りしていた僕の想像と少女の反応は大きく異なっていて、少しうつむきながら恥ずかしそうな上目使いでこちらを見ていた。
来るかと身構えていた猫の奇襲も今日はなく、少女の膝上で一心不乱に頭を擦り付けている。
そのままの状態でしばらくの時間。
「ガム、食べる?」
静寂を破ったのは少女の方で。
言葉と一緒に僕の眼前までまで運ばれてきたのは一枚のガム。
初めて出会った時に食べていた物と同じ種類だろうか。
「膨らませてみてよ、それ」
僕がガムを受け取ったのを見て、少女も自分の分を口に咥えた。
「……んむー」
お手本を見せてやる、と言わんばかりに膨らんだピンク色の球体。
パチンと弾けたガムを再び膨らますところまで手慣れている。
フーセンガムを膨らませるなど、いつぶりだろうか。僕は見様見真似でゆっくりとガムへ息を注ぎ込む。
力なく膨らんだそれは少女のものと比べると些か覇気に欠けるもので。
「あははっ、何それ」
そんな力ない自信作を見て少女がけらけらと笑う。
これでも結構真面目にやった方だったのだが。とはいえ少女の笑顔が見れたので結果オーライではある。
「はい、これ」
少女が笑いながら、今度は箱ごとガムを取り出した。
「あげるよ、それ。次会うときまでに練習しておいてね」
それだけ言い残すと、少女はササッと走って行ってしまう。
次会うときまでに。
残された僕はガムをもぐもぐと噛みながらその言葉を反芻していた。
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