Sérénade ~セレナード~ 後編

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 「外山、先帰ってていいから」


 「え? まだ帰らないよ。高峯くんの顔見てから帰る」


 コンサートの全プログラムが終了したものの、人混みでなかなかホールから出られない状況に苛立ちが募る。


 「それより、大丈夫だった? 〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉の時、真っ青だったけど」


 「全く問題ないよ。ごめんね。でも、あの驚き方はちょっと大袈裟だったんじゃない?」


 「そこそこ付き合いの長い元クラスメイトの男子が隣で涙流してたら、誰でも驚くと思うけど?」


 「正論だね」


 「気がついてなかったの?」




 ようやく人ごみを抜けることができた。『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた立て札の向こうへ進む。


 「ちょ、ちょっと、ショウ。関係者……」


 「僕は関係者だよ。このホールにいる人は、皆少なからず関係はしている。誰かを締め出したいのなら、どこからが関係者じゃないのか定義を示さないとね」


 「ショウってそんな感じだったっけ……」


 外山は半ば呆れたように笑った。


 「はぁ……仕方ないな。いってらっしゃい」


 「外山もアキラに会いたいんじゃなかったの?」


 「いいの。それよりも、何か積もる話でもあるんじゃないの? 早く行った方がいいよ」


 どうやらただならぬ様子を察して、気を遣われたらしい。心配してくれたのに、刺々しくなっていたのが急に申し訳なくなった。


 思えば、あまり社交的じゃない僕が、中学から外山の存在に助けられてきた回数は少なくない。外山は都内のK音大に合格したから、きっともう会う機会も無くなるだろう。


 「外山、来週タイ料理行こうか」


 高校の近くにタイ料理店がオープンするらしく、エスニック料理好きな外山が「あと一年遅く生まれてたら通ったのになぁ」とこぼしていたのを思い出したのだ。


 外山は目を見開いて硬直した。みるみる顔が赤くなる。


 僕は、咄嗟とっさに出た自分の言葉に呆れた。食べ物で返そうだなんて安直にも程がある。感謝はきちんと言葉で伝えなければいけない。


 「ごめん、今のは忘れて―――」


 「行く」


 取り消そうとしたら、外山に遮られてしまった。


 「ただし、おごろうとか考えないでよね。気兼ねなく好きなものを注文したいから。じゃ、高峯くんによろしく」


 「は? ちょっと待って、それじゃあ意味無いんだけど……」


 それでは、ただ一緒に食事するだけじゃないか。


 僕の抗議も虚しく、外山はスタスタとエレベーターに乗り込んでしまった。


 軽くため息をついて、通路を進む。すると、すぐに声をかけられた。


 「ショウくん」


 控え室へ向かう通路からは外れた、人が立ち入らなそうな壁に、腕を組んで寄りかかったアキラがいた。


 「来てくれてありがとう」


 「なんでこんなところに立ってるの?」


 「外山さんと話してるみたいだったから、出ていくタイミングを見失ってたんだよ」


 「聞こえてたかもしれないけど、外山がアキラによろしくって」


 「伝言ありがとう。聞こえてなかった。ところで、ボクとはタイ料理に行ってくれないの?」


 「聞こえてるじゃないか……」


 違う、こんな会話をしている場合じゃない。聞きたいこと、言いたいことが山ほどある。


 何か気の利いた切り出し方は無いものか。




 「アキラ……いや、レイちゃんだよね?」




 なんとも陳腐ちんぷな問いかけに我ながらガッカリしていると、アキラは一歩進んで僕の肩を抱き寄せた。僕も彼の背中に腕を回す。


 「再会のハグ?」


 「泣きそうなのを誤魔化してる」


 「あのアキラが?」


 「だって、忘れられてるんじゃないかって思ってた」


 僕が彼の立場だったら、我慢ならなくてすぐに自分の正体を告白してしまっただろう。あきらの自制心と我慢強さに脱帽する。


 「気がつかなくてごめん。高峯あきら、それで『レイちゃん』だったんだね」


 「うん。実はね、ボク……最後の最後まで、サキちゃんのこと本気で女の子だと思ってた。本当は唐木田しょうくんっていうんだって知ったのも、中学生になってから」


 「僕だって数時間前までレイちゃんは女の子だって信じ込んでたよ。だから気づけなかった」


 「ボクたち、だいぶ馬鹿だったね」


 「紛らわしい呼び方をしてた神成先生も悪い。今度二人で会いに行かない?」


 「もちろんいいよ。ちなみに、しょうくんが通ってる高校は神成先生に教えてもらった」


 「まさか、僕に会うために転校してきたの?」


 「父の転勤の話は本当だよ。単身赴任する予定だったらしいけど、チャンスだと思ったんだ。それでボクが『転校してもいいよ』って言ったら、一家で引っ越すことになった。


父の勤務先と高校は少し遠かったけど、しょうくんの高校があそこで助かったよ。進学実績見せたら、親はすぐに納得してくれた」


 あきらの奔放ぶり舌を巻く。


 「あきらってすごいな……。でも、そうまでして会いに来てくれたのに、なんで最初に教えてくれなかったの?」


 「自分から押し付けたくなかったんだ。あんな少しの期間に、ここまで執着してる方がおかしいんだ。だから、忘れられてるかもしれない、迷惑がられるかもしれないって思った。しょうくん自身で思い出して欲しかったんだ」


 「忘れてないし、迷惑なわけない。ピアノから離れてもラヴェルはずっと好きだった。


あきらと聴いた音色は、約束した音楽は、僕にとっても原体験だったんだ。あきら、〈道化師の朝の歌〉を弾いてくれてありがとう。


〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉で泣いちゃった。十年前と同じ。そして、会いに来てくれて、僕にピアノを思い出させてくれて、ありがとう」


 「こちらこそ、ボクにピアノを与えてくれてありがとう。ボク、小学校で浮いてたんだ。『女の子みたい』っていじめられるか、遠巻きに見られるだけでさ。友達なんて一人もいなかった。孤独だったし、自分なんて何も成し遂げられないって思ってた。


しょうくんと出会ったから、ボクは変われたんだ」


 「でも、そのコンクールの使い方は頂けないな」


 「バレてたか」


 「僕の目に入るために、認めさせるために出てたんでしょう? だから、連弾したあとに『全国大会に出ない』なんて言い出した。本番を投げ出すほどあきらが結果を気にするなんて、なんか腑に落ちないなって思ってたんだ」


 「そうだよ。タイトルをいっぱい取って、しょうくんに相応しくなりたかったんだ。しょうくんに見つけてもらえるかもって思ってたし。それなのに、全然気がついてくれなかったけどね……。


とにかく、ずっとそれだけのために走り抜けてきたから、急に参加する理由が無くなって、気が抜けちゃったんだ」


 「僕に相応しくって……何をどうしたらそんなに僕を買い被れるんだ?」


 「最初にサキちゃんに憧れたから、今のボクがいるんだよ」


 あきらがようやく僕の身体から離れた。


 そして、右手を差し出した。


 「あらためて、二人の再会を記念して」


 僕も、右手を差し出す。


 「二人の行く末を願って」


 この友の手の感触に伴う懐かしさと希望を、僕は生涯忘れないのだろう。



(エピローグへつづく)

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