エピローグ

Sérénade élégante

 『JRが遅延してる。ごめん、結構待たせると思う』


 「了解」と返信して、高峯たかみね あきらは息を吐いた。


 謝らなくていいのに。たとえ何時間待たされても、あきらは決して不機嫌にはならないだろう。会えるだけで上機嫌だ。ただ、「もう少しで会える」という状態が長引くのが、もどかしくて仕方がない。


 昨年の春に十年越しの再会を果たせたとはいえ、言えない期間はやはり歯がゆく忍耐が必要だった。過去が明かされて本当の再会を果たしてから、ようやく真の意味で一緒にいると感じられるようになったのだ。


 今日は一年に一度、七つの大学のピアノサークルが一堂に会する合同コンサートの日。ソロはもちろん、大学の垣根を越えた連弾や二台ピアノもできる。音大生ではない生徒たちによるこの規模のコンサートは、なかなか無いだろう。


 今年の主催は、玲が所属するT大学ピアノの会だ。よって会場も東京である。


 入学当初こそ入会するか迷っていたサークルだったが、他大学との交流があるこのコンサートの存在を知ってからは即決だった。K大学音楽研究会に入会したも、同じだったようだ。


 彼は夏休みで帰省していたので、2人で練習する時間はたっぷりあった。高校の学校祭の時とは時間的余裕も精神的余裕も比べ物にならない。長年追い求めていた至福の時間。まさに夢のようだった。


 彼の技術テクニックの回復速度は凄まじかった。彼の中学時代を玲は知らないが、その時と遜色ないかもしれない。それはひとえに、彼の努力の賜物だ(彼は努力だとは思っていないようだが)。


 今日のコンサートには、二人の恩師である神成先生を招待してある。神成先生の快活さは10年経っても変わらず、数ヶ月前に訪問した際には『女の子みたいに可愛かった天使二人が、随分かっこよく成長したね』と二人を抱きしめた。


 「玲」


 その声で、玲はもう何も考えられなくなった。


 「お待たせ」


 幼少期に出会い、10年後に念願の再会を果たした唐木田からきだ しょうその人は、申し訳なさそうにしながら息を乱していた。どうやら改札から走ってきたらしい。


 「しょうくん。全然待ってないよ」


 「30分も遅延して、待ってないわけないじゃないか」


 「咲くんを待つ時間なら苦じゃないから。気にしないでよ」


 「玲、いつもそんな天然タラシなこと言ってるの? 」


 咲は呆れたように首を傾げた。


 「もしかして慣れてる? 付き合ってる人がいるとか」


 「恋人に愛を囁く? ボクには縁遠い話だね」


 「どうして? 告白とかされない? 」


 「恋するって感覚がよくわからないんだ。長いことピアノと咲くんのことばかり考えてたからだと思う」


 「ああ、僕のこと女の子だと思ってたんだっけ? それで…」


 「女の子じゃないってわかったあとも、かな」


 「それってどういう…」


 目を白黒させている咲がおかしくて、玲は吹き出した。


 「別に想うのは恋人のことだけじゃないでしょう? 遠く離れた家族、思いを共にした仲間、友人…それぞれに大切な人がいる。ボクのそれが咲くんだったってことだよ」


 「ああ、そうだよね。うん」


 咲はまた申し訳なさそうな表情を浮かべた。この友人は、きっと彼が思っている以上に表情に出やすい。その素直さが魅力でもある。


 「ボクが何より大切にしたいのは友情だから。多分セリフも咲くんにしか言ってないよ」


 「『ボクのことだけ考えて』ね。懐かしいなぁ。僕は気がついてなかったけど、あの時玲は十年越しに僕と連弾をしていたんだね。だからあんなに必死だったわけだ」


 「そうだよ。


 「もしかして玲、結構根に持ってる?」


 「冗談だよ。でも、転校してきた日に睨まれたのはちょっと傷ついたかも。なんてね」


 「あれは。目を逸らしそうになるのを堪えてたんだよ…。なんか、逸らしたら負けのような気がして」


 「なにそれ」


 玲は笑ったが、咲は真面目な顔で続けた。


 「なんて言えばいいかな…。ああ、そうだ。玲、受賞者コンサートで〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉を弾いたでしょう?


その選曲について外山に、不思議に思わないのかって聞かれたんだけど…その時はなぜか全く気にならなかったんだ。玲がその曲を弾くのを、自然と受け入れていたというか」


 「もしかしたら、無意識下では覚えていたのかもね」


 「うん。気がつかないうちに、気がついていたのかも」


 「変な日本語」


 「ところでアキラ。ピアノ、好き?」


 「うん。大好き」


 今度は二人とも顔を見合わせて笑った。


 「走ったから喉が乾いた。まだ時間あるし、喫茶店に寄らない? 」


 「いいよ。最近できた店なんだけど…こことかどう? 」


 店の概要が表示されたスマートフォンの画面を見せると、咲は「そこにしよう」と頷いた。


 歩き始めて、ふと気になったことを口にしてみる。


 「ねえ咲くん。『セレナード』ってどういう意味? 」

 

 「え? 」


 「その喫茶店の名前。『カフェ・セレナード』」


 「恋人などを称えるために演奏される曲、だったかな──って、玲ならそれくらい知ってるでしょ」


 「そうか。なるほどね」


 不思議そうな顔をしている咲の隣で、玲は小さくつぶやいた。


 玲が〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉を選曲したのには、咲に自分のことを思い出させるという狙いがあった。それは確かだ。


 しかし、玲はステージ上でそんな意図とは無関係に、ただひたすらに彼との思い出、彼との現在いま、そして彼への感謝おもいを溢れるままに全て旋律に乗せて演奏していた。


 溢れる想いを乗せて、ひたすらに。ひたむきに。


(そうか…)


 我ながら突拍子の無い発想だが、妙にしっくりときた。その言葉を、玲は心の中で噛み締めるように唱えてみる。



 (あれはきっと、ボクにとってのセレナードだったんだ)



Fin.

─────────────────


ここまで読んでいただき、ありがとうございました! 本編はここで終了です。これからは、様々な視点から前日譚や後日譚を描いた外伝(続編)『アンコール・セレナード』の連載を開始します。もしも興味を持ってくださる方がいれば、是非、次のページに進んで頂けると嬉しいです♪

あらためて、ありがとうございました。

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